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27 アールファレムの決意

 リベリオが目を覚ますと、アールファレムは既に起きているようだった。馬車の前方から外に出ると、朝靄の中、アールファレムの髪を梳かすアルスラーダの姿が目に入った。


「お早う、若旦那」

「お早う、よく眠れたか?」

「ああ、二人のお陰だな。今日は御者役は私に任せて、二人は後ろで休んでくれよ」

「随分張り切っているな。途中でばてても知らんからな。アルス、見張りお疲れ」


 アルスラーダは軽く手を上げて、リベリオのねぎらいに応じたが、アールファレムの髪を梳かす手を止める事はなかった。


「アルファ様はお酒さえ飲まれなかったら問題ない」

「いつも、アルスが髪を梳かしているのか」

「いや、女官か、ルーヴェルだな。自分でさせてくれないんだ」

「宰相や補佐官の仕事じゃないだろう」

「アルファ様の髪質は柔らかいですからね。優しく丁寧なお手入れが必要なんです。好きでやっているんだ。口出しするな」

「将来禿げそうだな」


 リベリオは嫌な予言をして、アルスラーダに睨まれた。


「俺も頼もうかな」

「手櫛で十分だろ。甘えるな」

「昨夜は俺にあんなに甘えてた癖によく言うな」


 リベリオの意地悪に案の定、アールファレムが反応した。


「昨夜私が休んだ後に、何があったんだ? 途中から眠ってしまったからな」

「二人で飲んだだけです。ちょっとだけ愚痴を聞いてもらっただけです」

「どんな愚痴だ。私も相談にのるぞ」


 アルスラーダは最後にぽんぽんと軽く頭を叩いた。


「はい。おしまいです。アルファ様の悪口ですので、聞かせられません」


 口を尖らせ、むくれるアールファレムの頬っぺたを、大きな左手で挟み込んだ。


「むぐぅ……」


 アールファレムは抗議しようとしているらしかったが、何を言っているか分からなかった。アルスラーダは笑いながら、手を離して、優しく頬を撫でた。


「冗談ですよ。アルファ様に不満なんてありませんよ」

「まさか道中ずっとお前らのいちゃつくの見せられるのか。勘弁してくれよ」

「なんだ寂しいのか。仕方無いな。若旦那、ここに座れよ」


 リベリオはアールファレムに言われるまま座った。アールファレムはアルスラーダからブラシを受け取ると、リベリオの髪を梳きだした。リベリオの髪質は柔らかく、寝癖がついていた。


「これは中々いいな」


 リベリオは気持ちよさそうに目をつむった。


「毎日女官にさせているんだろ」

「お前にしてもらうのが、新鮮で気持ちいいんだ。アルスも頼んだらどうだ」

「水を汲んできます」


 アルスラーダは桶を持って馬を二頭連れて逃亡した。水は一樽用意してあったが、近くに水場があったので温存したかった。


「リベリオ、昨夜アルスは何を愚痴ったんだ? 最近色々あったからな」

「あいつがお前を大事に思っている。それだけの事だ」

「力になってやってくれ。私には言えないだろうからな」

「お前らは不器用過ぎるんだよ。……アールファレム、お前結婚は考えているのか?」

「今は無理だ。リベリオはどうなんだ?」

「俺はどうとでもなるさ。別に子供だけが欲しいのなら、正妃にこだわる必要はない。周りは煩いがな」

「自分の子供か。想像出来ないな」


 アールファレムに子供を産む未来が訪れるとして、父親はアルスラーダなのか。アールファレムには見当もつかなかった。シルヴィンに無理強いされ、アールファレムはそういった行為が怖くなった。アルスラーダ相手なら受け入れられるのか自信はなかった。


「リベリオ、恋人が他の男に襲われたら許せるか?」

「当然殺すに決まっている」

「二人とも?」

「女を殺すか! ……本当に喩え話なのか? お前、まさか誰かに襲われたのか?」


 リベリオは立ち上がると、アールファレムの腕を掴んだ。


「痛い! そんな訳ないだろう。私は男だぞ」

「世の中そういう性癖の奴は多い。それともお前、女に襲われたのか?」

「私が被害者前提で話をするなよ。女官の話だ」


 アールファレムは、リベリオの手を振り払った。


「本当か? まぁ、流石に皇帝に手を出すような命知らずはいないか。話を続けろよ」


 訝しみながらも、引き下がった。


「まったく、早とちりするなよ。女にも悪いところがあったので、犯人の男を許したんだ」

「寛大を通り越して、馬鹿じゃないのか? 法律でも、勿論重罪だろう」

「被害者が許したのを、無理に裁く訳にはいかんさ。問題は恋人との仲だ。女が今後、結婚して子供を産めると思うか?」

「男次第だろうな。心の傷が癒えるように、どこまで寄り添えるかどうかだ」

「女が男を受け入れる事が出来なければ、男は去っていくのではないか? 彼女はそれを心配していた」

「そんな小さい男とは別れた方がいいだろうさ」

「ありがとう。男女間の事はさっぱり分からんからな。リベリオは経験豊富だな。色々頼りになる」

「言っておくが、俺は無理強いした事はないからな。強引に事に及んだ経験はあるが、事後承諾は得たぞ」

「それは微妙じゃないか?」

「本気で嫌がっていなかったからな。アールファレム、黒髪の恋人とはどうだったんだ?」

「なっ! 何の話だ!」


 アールファレムは耳まで真っ赤にして、後退りした。リベリオが逃がすはずもなく、衿を掴まれ引き寄せられた。


「ルーヴェルに聞いたぞ。どんな相手なんだ。アルスラーダは教えてくれなかったんだ」


 アールファレムは心の底からルーヴェルを呪った。

(いったいルーヴェルはどこまで話したんだ!)

 アールファレムとしては、下手な事を言うわけにはいかなかった。それにアルスラーダが恋人なのか分からなかった。お互いの気持ちは確認できたが、障害が多過ぎた。

 だがアールファレムは思い違いをしていた。アールファレムがアルスラーダに直接気持ちを伝えた事はない。態度では示しているが、アルスラーダの告白には答えていなかった。アルスラーダがいまいち自信を持てない原因の一つだった。

 その事実に気付かないアールファレムは、リベリオを放っておいて、アルスラーダとの今後を考え出した。

 今まで停滞していた関係が、ここ数日で急激に進展した。アルスラーダの告白から始まり、シルヴィンの暴行によって、アルスラーダに遠慮が無くなった。最初こそ戸惑ったアールファレムだが、やはり嬉しかった。色々思うところはあったが、このまま関係を深めるつもりではあった。だが先程リベリオに言ったように、土壇場でアルスラーダを拒否すれば、傷付けるだろう。

 今回の旅を楽しんでいたアールファレムだったが、帰りが二人きりな事にようやく思い至った。


「リベリオはタヘノスから、国に戻るんだよな」

「だから料理の特訓が必要なんだろうが。なんだ寂しくなったのか?」

「そりゃ寂しいさ。でも来月すぐに会うからな」


 こういう事をさらりと言ってのけるから、リベリオから『たらし』呼ばわりされるのだ。

 そしてリベリオは、簡単に陥落してしまうのだ。


「はっはっは。アールファレム、寂しいのか。そうだよな」


 嬉しそうにアールファレムの頭を、乱暴に撫でた。


「折角アルスが整えたのに、ぐちゃぐちゃじゃないか」


 ぶつぶつ文句を言い、結局自分で梳かす羽目になった。


「気にするなよ。ここは宮殿じゃないんだから、煩い連中もいない」


 リベリオは昨日のシチューを火にかけた。蓋を開けて量が足りるのを確認した。


「アールファレム、朝食の準備をするぞ。三人しかいないんだ」

「分かった。何をするんだ?」

「本当にこういう時は役に立たんな」

「すまない。一から教えてくれ」


 怒るでもなく、素直に教えを乞うところが、アールファレムの美点だろう。


「お茶を沸かすから、やかんと茶葉の用意だ。水はアルスが汲んでくるからな。後は食器とパン、それに果物も欲しいな」


 リベリオの指示に従い、アールファレムは雑用をこなした。

 やがてアルスラーダが、馬と共に帰還し、顔を洗うと朝食を済ませた。


 アールファレムが御者席に座り、隣でアルスラーダが地図を開きながら、行程を確認した。


「今日はブルッケンまでいけるかな?」

「かなりの強行軍じゃないか? 到着が夜になるぞ」


 リベリオは懸念を示したが、アルスラーダは今後の旅程を考慮すれば今夜の野宿は避けたかった。


「手前の街とブルッケンまでの距離が中途半端だからな。出来れば今日で距離を稼ぎたい。ブルッケンを過ぎれば、二日間は野宿になる。今夜は宿屋でゆっくりして、明日買い物しよう」


 アールファレムは目を輝かせて、アルスラーダの腕を掴んだ。


「アルス、何を買うんだ?」

「俺が選ぶ。お前らに任せたら、どうなるか分かったもんじゃない。ほとんど揃っているんだ。どれだけ長旅をする気だ」

「しかし昨日生鮮品を買い足すような事を言っていなかったか?」

「そんなに買い物がしたいのか?」

「したい!」


 アールファレムがしつこく食い下がった。リベリオは髪をかきあげ、そのまま天を仰いだが、馬車の幌が見えるだけだった。


「ただの買い物ではしゃぐなよ。分かったよ。必要ないものは買わないからな」


 おねだりが成功したアールファレムは、何故かアルスラーダと握手を交わした。


「ふふふ。昨日は素通りだったからな。楽しみだな」

「アールファレム、今日中にたどり着けるかは、お前次第だがらな」

「馬の扱いは任せなさい!」


 アールファレムは高らかに言いきると、張り切って馬車を走らせた。馬車は暴風のように街道を駆け抜けた。

 昼食を簡単に済ませると、リベリオが御者役を買って出た。


「アールファレム、あれでは馬が可哀想だ。俺がやる」


 何故か馬が同意するようにいなないた。アールファレムを見るつぶらな瞳が潤んで見えるのは、リベリオの気のせいではない筈だ。


「アルファ様、お疲れでしょう。後ろでお休み下さい。是非とも!」


 二人の態度は、気に食わなかった。馬車をとばすのはとても楽しかった。アールファレムは馬のたてがみを、優しい手付きで撫でた。


「どう思う? お前達も早く走りたいだろう?」

「限度を知れ!」


 リベリオは突っ込むと、後ろに座るように視線で促した。


「安全運転でお願いする」


 憎まれ口を叩くと、アールファレムは軽やかに馬車に飛び乗り、後ろの座席に寝そべった。


「あまり休むと、夜眠れませんよ」


 アルスラーダの忠告に片手を上げて返事した。


 馬車は無事、日暮れ前にブルッケンに到着した。


「早く着いたな。フィリップのお陰だな」


 リベリオは嫌味をたっぷり含ませた。


「そうだろう。えっへん」


 それぐらいの嫌味を気にするアールファレムではなかった。

 ブルッケンは東から帝都を訪れる際には、必ず通る宿場町として栄えていた。また温泉が最大の売りで、観光地としても有名な町だった。


「そういえば裸の付き合いはなかったな。背中を流してやろう」

「いや、正体がばれたら大変です。個室の貸切り風呂のあるところにします。若旦那は公衆大浴場を利用するといい。私もそちらを利用するつもりだ」

「ばれないだろう」

「この時期に危険を冒す事はない。慎重にいきたい。若旦那頼むぞ」

「仕方無いか。だとすると大きい宿屋の方がよさそうだな。何軒か心当たりを当たろう」


 一軒目は満室で、二軒目は部屋が二部屋しか空いていなかった。


「若旦那、私と同室でいいか?」

「まぁ、その組み合わせが妥当かな。別行動していいなら……何でもない」


 アルスラーダに睨まれ、諦める事にした。


「若旦那、私はアルスと一緒でもいいぞ。女性と過ごしたいんだろう?」

「たがが十日ほど禁欲しても死にません」


 アールファレムの気遣いをアルスラーダは一刀両断に切り捨てた。

 リベリオはアルスラーダと、二人きりになるなり尋ねた。


「アールファレムと二人きりになりたくはなかったのか?」


 にやにや笑うリベリオに荷物を投げ付けた。


「下らん事を言うな。とっとと温泉に浸かってこいよ」

「一緒にいかないのか?」

「アルファ様の警護が終わってからな。御風呂場で襲撃されたらどうするんだ」

「鍵掛かければ、大丈夫だろうが。過保護なんだよ。……終わったら起こせよ」


 リベリオは呆れたが、仕方無しに寝て待つことにした。


「フィリップ様。入ってもよろしいですか?」

「ああ。大丈夫だ」


 アールファレムは寝台に寝転がっていたらしく、そのままの姿勢でアルスラーダを見上げた。


「ルーヴェルも一緒だと、もっと楽しいだろうな」

「残念ですが、厳しいでしょうね。御風呂の準備致しますね」

「温泉に浸かりたいな」


 アルスラーダが荷物を用意するのを、眺めながらアールファレムはぼやいた。


「今度、貸切りましょう。そうすれば気にせずのんびり出来ますよ」


 皇帝の権力を使えば、可能であった。


「アルス。こっそり女風呂に入るとまずいかな?」

「アルファ様。今回は我慢してくださいね」

「そうか。我が儘言ってすまなかった」

「いくらでも甘えてもらって結構ですよ。出来る事なら何でもします」

「ありがとう。アルス、帰りは二人きりだな」

「ええ、そうですね」


 アルスラーダは会話がどこに向かうのか、内心どぎまぎしたが、表情には出さなかった。


「部屋は一緒にするか?」


 アールファレムはアルスラーダの反応を試した。


「よろしいのですか?」

「警護もしやすいだろう」

「そうですね。一緒に寝ますか?」

「アルスに任せる」


 アルスラーダは息を飲み、アールファレムの顔をまじまじと見詰めた。アールファレムは緊張を顔に出さずに、立ち上がった。


「風呂に行ってくる」

「お供します」


 アールファレムは怪訝な顔をして、アルスラーダを見返した。


「警護の為です! 外で待っています」


 アールファレムが誤解しているのを慌てて否定した。


「びっくりさせないでくれよ。まだ心の準備が出来ていない」


 アルスラーダの方がよっぽど驚いていたのだが、アールファレムは気にせず、風呂場に向かった。

 アルスラーダは帰りまでに覚悟を決める必要がありそうだった。脱衣場の外で待ちながら、アルスラーダは悶々としながら、時を過ごした。この精神状態で、風呂場の警護はきつかった。背後から聞こえる物音が、アルスラーダを刺激した。

 自然と厳めしい表情になり、宿屋の客から苦情が出た。店主が怖すぎて注意出来ずに通行止めになったのは、アルスラーダの与り知らぬ話であった。

 待ちくたびれたリベリオは本当に寝入っていたが、二人が部屋に入ると、気配に気付き体を起こした。


「やっと帰ってきたな。……ほぉ、随分感じが変わるな」


 アールファレムは、髪を編み込み白い布を巻いて金髪を隠していた。皇帝の顔を知る者は少ないが、髪の色は有名だった。勿論、アルスラーダが仕上げた。


「室内でフードを被る方が目立つからな。これは楽だぞ。今後これでいこう」

「そうですね。よく似合っておいでですよ」

「色を替えた方がいいな。肌が白いからな。濃い色合いの方が似合うだろう」

「何でもいいよ。私は部屋でゆっくりしているから、二人とも風呂に行ってきてくれ」

「部屋から一歩も出ないで下さいね」


 アルスラーダは念を押した。


「単独行動はしません。指示に従います」


 アールファレムは右手を上げて宣誓した。


「なんだそれは?」

「旅の注意事項だ。知らない人との会話は極力控える事、酒量にはいつも以上に気を付ける、体を冷やさない。食べ過ぎない。まだまだあるぞ」


 ルーヴェルとアルスラーダで決めた注意事項を全て暗唱させられた。


「お前は日頃の行いが悪いんだよ。大人しくしていろ。早く戻るから」


 仕方無しにアールファレムは窓から町中を眺める事にした。旅に出てから一人になるのは初めてだった。

 この数日間の疲れが、この二日間の旅で軽減されたのが自分でも分かった。

 宮殿を離れた事により、アールファレムは今まで無意識に緊張していた事を自覚した。自然体で出来ているつもりだったのだが、旅に出て想像していたより寛いでいる自分に驚いていた。はしゃぎ過ぎて二人には迷惑を掛けた気がしないでもないが、そこはアールファレムは気にしない事にした。

 アールファレムはシルヴィンの事に思いを馳せた。カスパードのシルヴィンへの対抗心は割りと分かりやすいので皆、気付いていた。

 ではシルヴィンの方はどうだったのか。シルヴィンは、感情を表に出す事が余りなかった。シルヴィンが本心をさらけ出したのは、今回のアールファレムへの事件が初めてだった事に今更、気付いた。カスパード相手には厳しかったが、基本誰に対してもそうだった為、違和感はなかった。だが本当にそうだったのか?むしろ今となっては憎しみではないのかと、疑いを持っていた。

 カスパードは死ぬだろう。それをシルヴィンは望んでいるのだろうか?アールファレムが尋ねれば、答えてくれるかもしれないが、それは卑怯な気がした。だが待っていて、また手遅れになり、後悔するのも嫌だった。これ以上、自らの過失により、部下を失う訳にはいかなかった。

 アールファレムはデュークを許せなかった。カスパードを自分の思うままに操り、女を殺し、幼児を政治に利用するような輩を許す訳にはいかなかった。

 だが、もう一人許す訳にはいかない人物がいた。アルスラーダを愛していたが、だからといって特別扱いしていい筈がない。その事はアールファレムには大きな負い目となっていた。アルスラーダを失いたくない。だが許していいのか?

 アールファレムの脳裏をよぎるのは、例の予言だった。アールファレムはあの予言が正しかったと今では思っている。あの予言はアールファレムが女性として生きる事が、国を滅ぼすと暗示しているのではないかと思わずにはいられなかった。

 確かにアールファレムはしたいように生きると決意した。したいことは二つ、アルスラーダと共にいる事、皇帝として生きる事だ。

 アルスラーダを切り捨てる事は出来そうにない。だが今後、心から信用は出来ないし、すべきではなかった。アールファレムは今後、アルスラーダを正しく導くつもりだった。もし再び過ちを犯した場合は、自分の手でアルスラーダを殺す事を決意していた。ルーヴェルにも言うつもりはなかった。

 アルスラーダを心の底から信用出来ない事が負い目となり、アールファレムを蝕んだ。その代わりにアルスラーダが望む事は、叶えてやりたかった。アルスラーダが望むのなら、自らを捧げるつもりだった。

 計算外だったのは、この旅の帰りが二人旅だった事だ。何故そこに思い至らなかったのかは、迂闊としか言えなかった。アールファレムは同盟の事と、宮殿を出られる喜びで、頭がいっぱいだったのだ。覚悟を決める前に絶好の機会がやってきたのだ。

 正直なところ、まだ恐怖はあったが、アルスラーダとなら大丈夫だと自分に言い聞かせた。リベリオに相談して、アルスラーダなら大丈夫だと判断した。

 アルスラーダには、まだそのつもりがなかったかも知れないが、焚き付け、退路を断った。

(後はなるようになるさ)

 アールファレムは、頭を軽く振ると、先程リベリオが寝ていたのと反対側の寝台に腰掛けた。まだアルスラーダが使った形跡はなかったが、アールファレムは枕を抱き締めると、そのまま後ろに倒れ込んだ。

 当然だが、宮殿の部屋よりも天井は低かった。


「お待たせしました」


 アルスラーダ一人が帰ってきた。


「若旦那はどうした?」

「酒場に直行しました。大丈夫でしたか? 退屈だったでしょう?」

「考え事をしていたら、あっという間だった」

「内容を伺っても、よろしいですか?」


 アールファレムは枕を放り出し、手を伸ばした。アルスラーダに引っ張られ立ち上がった。


「内緒だ。とても人に説明出来るような内容じゃない」

「私にもですか?」

「お前だからだ。行こうか」


 酒場はほどほどに込み合っていた。アールファレムが見渡すと、奥の方に見慣れた赤毛頭が見えた。相変わらず女給と親しく会話していたので、すぐに分かった。


「本能の赴くままに行動しているな」

「お目出度い男ですね」


 既に酒は運ばれており、三人は旅の始まりを祝って乾杯した。


「盗賊でも現れないかな。平穏無事な旅は刺激が無さすぎる」

「同感だが、どうせアルスがいれば我々の出番はないさ。もしもの時は残してくれよ」

「お戯れが過ぎます。治安がいいに越したことはありません」

「すまない。調子に乗りすぎたようだ」

「アルス、想像してみろよ。綺麗な女性が一人旅で、賊に絡まれる。そこを颯爽と俺が救い出す。そこから恋が生まれるんだ」

「まず綺麗な女性の一人旅は有り得ない。万一あったとして、その襲撃の場に通り掛かる確率は果てしなく低い」

「いや一人旅の必要はないんじゃないか? 要は綺麗な女性が、旅で襲われているところに遭遇するだけでいい」


 アールファレムは下らぬ部分に拘りを見せた。


「確かにそうだな。隊商では、護衛がいても腕利きとは限らんからな」

「よくこんな下らない話を続けられるな。フィリップ様、付き合う必要はありませんよ」


 アルスラーダはアールファレムに料理を取り分けながら、リベリオを睨んだ。リベリオが反論しようとしたが、隣席からゾレストという単語が聞こえてきた。盗み聞きすると、どうやら商人らしき二人組の男が、酒を飲みながら雑談をしていた。


「お前、カスパード将軍の謀反どう思う?」

「どうって、また戦争だろ。勘弁して欲しいよ」

「そうじゃないさ。カスパード将軍とシルヴィン大将軍のどっちが勝つと思う?」

「大将軍が勝つに決まっているだろう。だいたい戦力が違い過ぎるだろうが! 他の将軍が全員揃っているんだぞ。勝ち目はないさ」

「そんな事は分かっているさ。戦力が同じなら兄弟どちらが勝つか興味深くないか。金竜対銀竜だぞ」

「銀竜が勝つさ。でなければ陛下は金竜を大将軍に任命されただろうさ」

「確かにな。カスパード大将軍というのは言いにくい」

「そういう問題じゃないだろう」


 リベリオは面白がり、アールファレムを腕でつついた。


「フィリップ様、感想はいかがですかな」

「情報が早過ぎる」


 アールファレムが渋い顔で唸った。アルスラーダは慰めるように、酒を注いだ。

 商人達の会話はまだ続いていた。


「そう言えばゲイツの話を聞いたか?」

「ああ、馬鹿な奴だ。今回の事で儲けようとしているみたいだな」

「上手く立ち回れば大儲け出来るさ。間違いなく物資が滞るだろうからな。だが下手すれば戦いに巻き込まれる。命あっての物種だ。俺は止めたんだがな」


 リベリオは感心して顎を撫でた。


「逞しいというか、がめついというか、これだからガルフォン商人は油断出来ないんだ」

「一部だけだ。大抵の商人は戦争を嫌がるさ。流通が滞っては、不利益の方が大きい」

「それもそうだな」


 その後、アールファレムには制止が入り、すごすごと部屋に戻る事となった。アルスラーダは部屋まで見送り、酒場に戻った。


「酒ぐらい自由に飲ませてやれよ。途中で寝るくらい害はないだろう」

「昨夜はお疲れだったからあれぐらいですんだ」

「疲れてなかったらどうなるんだ?」

「……甘えられる」

「変わった酒癖だな」


 リベリオは自分にしなだれるアールファレムを想像してみた。自制出来そうになかった。


「お前も苦労するな」


 アルスラーダを労ったリベリオだったが、その夜に見た夢は間違っても人には話せない内容だった。

(アールファレムが女になった!)



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