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26 いざタヘノスへ

 アールファレムら三人を見送ったのは、ルーヴェル、シルヴィン、モニカ、フィリップの僅か四人だけだった。隠密に事を運ぶため、アールファレムとアルスラーダは馬車に隠れ、リベリオが一人御者席に座り馬車を走らせた。

 宮殿が見えなくなると、アールファレムは、フードをしっかり被りリベリオの横に座った。

 帝都は朝から混雑しており、デルレイアから出るのに、時間が掛かりそうだった。活気溢れる町中でアールファレムははしゃぎながら、リベリオの腕を引いた。


「個人で旅にでるのは初めてなんだ。何か足りない物はないのか? 食料は足りているのか? ほらほら、あの果物美味しそうだぞ」

「危ないから身を乗り出すな! おいアルス! ちゃんと見張っていろ!」


 アルスラーダが中から顔を覗かせた。会話はきっちり聞き取っていた。


「アルファ様。食料はちゃんと積み込んでいます。私が昨日、最終点検しましたから大丈夫です」

「途中の町にも寄るのに食料はあんなにいらないだろうと言ったんだがな」


 どうやら散々けちをつけられたリベリオは、不満げだったが、確かに片道七日の旅にしては多すぎた。


「問題を起こして買い物すら出来ない可能性があるからな」

「ほほう。誰が問題を起こすんだ?」


 リベリオは余所見できないので、わざと険のある言い方で尋ねた。アルスラーダは無言でアールファレムを見詰めた。


「えっ? リベリオじゃないのか? 私は大人しくすると約束しただろう」


 ルーヴェルと二人して旅の注意をうんざりするほどこんこんと説かれ、約束させられた。


「アルファ様は巻き込まれやすいんですよ」

「アルス、町中では呼び方を変えた方がいい。誰に聞かれるか分からんからな」


 リベリオの指摘はもっともだった。


「リベリオは若旦那だろ。私はフィリップでいい。アルスはアルスでいいんじゃないか?」

「まぁよくある名前だからな。しかし若旦那はなぁ。旅の間ずっと呼ばれるのか。違う偽名がいいな」

「色欲魔なんてどうだ?遊び人か年中発情男なんてのもいいかもしれん」

「フィリップ様、単純に変態でよろしいのではないでしょうか」

「お前ら、ただの悪口だろうが!」

「ふふふっ。冗談じゃないか。許してくれよ。若旦那!」


 アールファレムはリベリオの頬をつつきながら謝った。リベリオは少し顔を赤らめ、座り直して少しアールファレムと距離をとった。


「若旦那でいい」


 ぶっきらぼうに言うリベリオにアールファレムはすまなさそうな表情を浮かべた。


「怒ったのか? ちゃんと真面目に考えるから許してくれないか」


 アールファレムはリベリオが、せっかく空けた距離を詰め寄った。


「狭い。もうちょっと離れろ!」

「フィリップ様、後ろで大人しくして下さい」


 アルスラーダにまで言われ、アールファレムは寂しそうに後ろに戻ろうとした。


「別に怒ってないからな」


 リベリオがぼそっと呟くと、アールファレムは笑顔になり、リベリオの肩を叩くと馬車の中に戻った。

 アルスラーダはリベリオの不自然な態度に嫌な予感しかしなかった。明らかにアールファレムを意識していた。帰り道でアールファレムとの仲を進展させようと企むアルスラーダだったが、どうやら前半は別の苦労がありそうだった。

 アールファレムは地図を広げて眺めた。


「アルス、今日は野宿だな。いつもは天幕だからな。馬車で寝るのか?」

「ええ。不自由でしょうが、辛抱して下さいね。若旦那と私で見張りを交代で行いますので安心して、お休み下さいませ」

「見張りがいるのか? 我が国はそんなに治安が悪いのか?」

「町中ならともかく、夜盗はどこの国でも出ます。だから商人は隊商で移動するんですよ」

「若旦那はいつも一人旅だろ。どうしているんだ?」

「剣を抱きながら寝ている。人が近付けば気付く。ガルフォンで襲われた事は今の所ないが、やはり警戒した方がいい。人数がいるのなら、見張りをたてる方がいい」

「そうなのか。私は何も知らないな。アルス、私も見張りぐらい出来るぞ」

「とんでもない。そのような真似させられません」

「若旦那にさせて私が駄目とはおかしいじゃないか。立場は一緒だ」


 性別が違うとは言えないアルスラーダは困ってしまった。


「フィリップ、お前は危なっかしいんだ。大人しく俺達に任せろ。野宿は何回かある。慣れてきて出来そうなら代わってもらう。今夜は諦めろ」

「分かった。若旦那、アルス頼んだぞ」


 アルスラーダはアールファレムの頭を撫でた。


「はいフィリップ様」

「敬称いるか?」

「勿論です。気品がありすぎます。貴族の若様に友人の商家の若旦那、従者の私という設定で通します」


 アルスラーダは芝居でも、主従関係を崩すのは許せなかった。

 アールファレムは少し寂しく思ったが、顔には出さずに、アルスラーダにもたれ掛かった。


「もうすぐ東門だぞ。二人ともばれないように気を付けてくれよ」


 リベリオは速度を落とし、無事東門にたどり着いた。平時なので検問もなく、順番に並んで無事通過できた。


「デルレイアは人が多すぎる。町を出るのに時間をとってしまった」

「まぁそう言うな。帝都が賑やかなのを見てると、嬉しくなる。寂れたデルレイアなど想像したくもない」


 リベリオのぼやきにアールファレムが慰めた。自国の帝都が栄えているのは、アールファレムの誇りであった。


「今更だが、北門から出て町の外から南下した方が早かったかな?」


 宮殿は北寄りにあるので、町から出るのであればその方が効率的ではあった。


「フィリップ様の希望だ。まだ時間はたっぷりある。済んだ事は気にするな」


 アルスラーダはまだ往来があるので、偽名でやり取りを行った。帝都をもう少し離れるまでは油断出来なかった。


「なるほどな。まぁ遅れというほどではない。すぐに取り戻すさ。いい馬を用意してくれたみたいだしな」

「乗ってきた馬は宮殿に置いてきたのか?」

「ああ。別に愛馬という訳でもなかったからな。タヘノスで用意するさ」

「ルドルフに融通させよう」

「従兄弟なんだろう。どんな奴なんだ」

「父は三人兄弟でな。私は父の兄の跡を継いだわけだが、父の弟の息子がルドルフとイグナーツになる。気さくで豪快な男だ。イグナーツは兄に比べると真面目なんだが、物腰の柔らかい、感じのいい男でな。よく兄を補佐してくれている」


 アルスラーダはルーヴェルのルドルフ評を思い出していた。確かにルドルフはアールファレムに嫉妬していた。アールファレムの耳には入っていないが、アールファレムが叔父の跡を継いだのを、妬むような発言をした事があった。ルドルフが代わりに跡を継いでいたら、皇帝になどなれる筈もないが、本人の評価は別だろう。要地を任せるのは不安があった。今回の旅でしっかり見極める必要があった。しかし領主を解任するとしても、その後どこを任せるかは、悩ましい問題だが、そこまでは時期尚早だろう。アルスラーダは、既にルドルフの解任を確信していた。


「お前に似ているのか?」

「いや、私は母に似たからな。そもそも父ともまったく似ても似つかない親子だったからな」


 血が繋がっていないのだから、似ている筈がなかった。アールファレムは帰りにアルスラーダには、事情を打ち明けるつもりだった。シルヴィンに先に打ち明けた事は、アールファレムの負担になっていたのだ。


「そっか。お前の顔は母親譲りか。会いたかったな。お前の顔で女性なんて最高じゃないか。お前の欠点は男だという事だけだからな」

「はははっ。男である事が欠点とはな。そんな事を言われたのは初めてだよ」


 アールファレムからすれば、劣等感でしかなかったのに、リベリオ視点ではそういう事になるらしい。アールファレムは親友に深く感謝した。


「もしミデア様が生きておいででしたら、毒牙にかかっていたかも知れませんよ」

「親友の母親に手を出す訳ないだろうが、いくつ違いだったんだ?」

「二十歳違いだったかな」

「てことは俺とは十二歳か。問題ないじゃないか。惜しかったな」


 どうやら本気で悔やんでいるらしかった。アルスラーダからすれば警戒は増すばかりだった。アールファレムが女と分かれば、リベリオが口説きだすのは間違いなかった。そしてアールファレムの相手としても、リベリオは申し分がない身分だった。もしアールファレムが公表するのであれば、今度は姫ではなく、各国は王子を用意するだろう。アルスラーダはその様な事態に耐えれそうになかった。アールファレムが自分以外の男との結婚などとは考えた事すらなかった。だが自分と結ばれる将来が果たしてくるのかというと、自信はなかった。


「アルス、どうしたんだ? 気分が悪いのか?」


 顔色の優れないアルスラーダを心配して、アールファレムがアルスラーダの頬に手を添えた。アルスラーダはその手を自分の手で包み込んだ。


「ありがとうございます。大丈夫です」

「もたれ掛かっていいぞ。無理するな。膝枕でもいいぞ」


 アルスラーダが遠慮する筈もなく、申し訳なさそうに、しかし内心は大喜びでアールファレムの膝に頭を載せた。アールファレムは優しく頭を撫でた。


「馬車で酔ったのかな。アルス休んでいろ。いつも働き過ぎだからな。たまにはゆっくりしてくれ」


 リベリオは羨ましそうに背後に視線を送った。


「フィリップ。後で俺にも膝枕してくれないか」

「男の膝枕が嬉しいのか? アルスは具合が悪いんだぞ」

「前を向け。危ないだろうが、事故が起きたらどうするんだ」


 リベリオの目には、アルスラーダの体調は何の問題もないようにしか見えなかった。

 昼頃には近くの村で食事をとり、再び東に向かった。当たり前だがアルスラーダの体調も無事戻り、御者を交代した。


「ほらほらフィリップ、膝枕は?」

「元気そうじゃないか。結構疲れるんだぞ」

「ご負担も考えずに申し訳ありませんでした」

「アルス気にするな。しんどい時ぐらい私に頼れ」

「しんどいよー。フィリップ様」


 リベリオはアールファレムの膝にしがみついた。


「やめろ! こらっ! どこに顔を埋めている」


 アルスラーダは馬車を急停止させて、後ろに乗り込んだ。


「何をしている!」

「お前が女性問題を起こすなと言ったから、身代わりにしているんだ」


 アールファレムはリベリオの頭を叩き、アルスラーダもリベリオの襟を掴んで引き剥がした。


「フィリップ様。私の隣に来ますか?」

「そうだな。若旦那、後ろでゆっくり休むんだな」

「仲良しで結構な事だな」


 リベリオは渋々引き下がった。だがアールファレムが本当に膝枕をしてくれたなら、リベリオは拒否していただろう。変に意識してしまっているのは自覚していた。三十歳にもなって、何を悩んでいるのか、情けなくなってしまった。数多くの女性と浮き名を流してきた男とは思えない不甲斐なさだった。アルスラーダと仲良さげに会話するアールファレムを後ろから眺めながら、溜め息をついた。

 出来れば今日は誰かを抱いて忘れたかったが、残念ながら今夜女性には会えそうにない。

(代わりにアールファレムを抱けば……いやそれが出来ないから悩むんだ。ああ、女が欲しい)

 後ろでリベリオは苦悩しているとも知らず、アールファレムは呑気に景色を楽しんでいた。



 やがて日も暮れ、街道から少し離れた場所で焚き火をおこした。


「若旦那、料理出来るのか?」


 周囲に人もいないので、別に偽名を使う必要はなかったのだが、アールファレムの中で、若旦那は定着しつつあった。


「鍋一つで出来る簡単な料理だけだ。大抵は干し肉と酒で済ませるさ。馬車だと荷物の心配しなくていいな」


 リベリオは具だくさんのシチューを作って、二人に振る舞った。


「冬だから食材もあまり傷まないが、生鮮品は道々買わないとな」

「美味しいな。料理なんてやった事ないからな。アルスはあるのか?」

「あると思いますか?」


 一緒に育った二人だが、アールファレムの記憶にはなかった。アールファレムの即位後、アルスラーダは帝都に邸宅を構えたが、勿論使用人を雇っている為、料理の経験は皆無だった。


「アルスなら器用そうだから、出来るかと思ったんだがな」

「ありがとうございます。今度、練習しますね」

「今度だと! お前ら、帰り道はどうするつもりだ?」


 リベリオは呆れて二人に冷たい視線を投げ掛けた。アルスラーダは目を泳がせ、アールファレムは頭を掻いて誤魔化した。


「無計画だったのか!」

「返す言葉もない」


 アルスラーダは頭を下げた。


「まだ機会は何回かある。二人に仕込んでやるからな」

「アルファ様にさせるなど、とんでもない!」

「料理未経験者が無謀にも二人で旅をしようとしているんだ! どちらが使い物になるか分からん以上、両方に仕込むしかないだろうが! アールファレムに干し肉と野菜生かじりで我慢させるのか?」


 リベリオは二人を怒鳴り付けた。


「若旦那の言う通りだな。アルス、私も頑張るからな」


 アールファレムは張り切って返事した。今までの人生、何もかも周りが世話を焼いた為、自分で雑用など経験がなかった。何かしようとすると、すぐに仕事を取り上げられた。

 唯一の例外は他人に任せる訳にはいかない着替えと、風呂ぐらいである。

 ただルーヴェルにはたまに手伝わせる事もあった。アールファレムの羞恥心はルーヴェルには反応しないのだ。ルーヴェルは平気で浴場にも入ったが、当然ルーヴェルは服を着用していたし、アールファレムが湯船に浸かりながら会話をする事がほとんどで、体を洗わせたりは大人になってからはなかった。だが頭を洗ってもらうのは気に入って、何度か頼む事があった。

 アルスラーダが強く抗議してからは、浴場への出入りは控えるようにはなったが、アールファレムはこっそり甘える事があった。勿論アルスラーダが浴場に出入りした事は一度もない。


「私も努力します。不自由な思いはさせません!」


 リベリオはその意気込みを買い、アルスラーダに林檎とナイフを渡した。


「やってみろ」


 剣の使い手としてのアルスラーダはガルフォン随一である。刃物の扱いには慣れている筈だった。


「おかしいな。人を斬ったり、刺したりは得意なんだが」


 物騒な事を言いながら首を傾げたアルスラーダの手には、無残な林檎の成れの果てがあった。


「林檎は皮付きでも食べられるから問題ない」


 下手な慰めを行うアールファレムに林檎とナイフが渡された。


「アルファ様、頑張って下さい」


 アルスラーダの応援を受け、アールファレムは奮闘した。


「上出来だな」


 出てもいないおでこの汗を拭い、自画自賛するアールファレムだったが、アルスラーダよりは、僅かにましなだけだった。


「流石アルファ様。お見事です」


 たわけた会話を交わす主従を、陰鬱な表情を浮かべたリベリオが眺めていた。

 いくら食材があっても、調理出来なければ意味がなかった。先に分かっていれば、もう少し考えて選んだのだが、用意した食料は簡単な調理を必要な物が半分ほどあった。量は多いので、飢える心配はない。贅沢さえ言わなければ、問題はないだろう。一般的な旅人なら特に問題はない。だが食事に困った経験がないだろうアールファレムが我慢出来るのか、リベリオには疑問だった。

 大概天才と呼ばれる人物は、才能に偏りがある場合が多い。それは普遍的な真実であった。

 一般的な能力を有していない二人の為に、帰り道も同行する訳にはいかなかった。流石に新年を迎えるまでに、リベリオは国に戻る必要があった。今回は同盟という大義名分があった為、臣下はそれほどは反対しなかったが、これ以上の不在は当然支障があった。


「明日からの食事はお前らに任せる。基本宿屋に泊まる時以外は、自炊するからな」


 アールファレムは抗議したが、リベリオの一睨みで黙り込んだ。


「アルス、試練の時が来たぞ」

「アルファ様、かつてない危機ですね。力を合わせましょう」

「真面目にやれっ!」


 リベリオは二人に拳骨を落とした。悪のりし過ぎた二人からは文句は出なかった。

 こうして旅の一日目の夜は更けていった。


 食事とお酒と焚き火で暖まった三人は休む事にした。


「アルス、先に休むか?」

「そうだな。途中で起こしてくれ。アルファ様、馬車の中で寝ますよ」


 初めての旅にはしゃぎ疲れたのか、少しのお酒でうとうとし出したアールファレムを促した。

 アールファレムは眠そうにアルスラーダに両手を伸ばした。アルスラーダはアールファレムを抱き上げた。


「若旦那お休み……」


 アールファレムはもごもご呟き、アルスラーダの胸にもたれ掛かった。


「……ああ。お休み」


 今日一日で今まで見た事のない二人を垣間見たリベリオは、どっと疲れて地面に寝転がった。


 頑丈な大型馬車で、雨や砂埃よけに丈夫な幌付きで寒さも凌げた。前に広々とした座席がついており、後ろが荷台になっていた。床にはふかふかの絨毯が敷かれ、荷物は整理されて大きな三つの箱に収納されていた。それでもまだ大人が二人は寝られる程の余裕があった。アルスラーダは事前に毛布を敷いてあった場所にアールファレムを下ろし、靴を脱がせ、毛布を掛けた。自分も寝ようとしたが、アールファレムはアルスラーダの服を掴んで離さなかった。

 酔っているだけなのは分かっていたが、アルスラーダの理性は決壊寸前だった。リベリオの存在が辛うじて、歯止めとなった。


「アルス」


 アールファレムが一言名前を呼んだだけでアルスラーダは決意をぐらつかせた。アルスラーダはふらふらとアールファレムに引き寄せられて、アールファレムの唇をゆっくり親指でなぞった。

 アールファレムは目を細めて気持ちよさそうに微笑んだ。


「お休みなさいませ」


 アルスラーダはアールファレムのおでこに口付けすると、アールファレムに背中を向けて毛布にくるまり横になった。


「お休み」


 アールファレムは夢うつつで呟き、眠りに落ちた。暫くしてアルスラーダは向きを変えて、アールファレムに向き合った。眠ったアールファレムの睫毛まではっきり見えた。黄金色の髪が顔にかかっていたので、手を伸ばし耳に掛けた。そのままアールファレムの頬に手を添えたまま、幸せそうな寝顔を眺めた。

 だが物音が聞こえ、慌てて手を離すとリベリオが顔を覗かせた。


「眠っていたか? すまん。寒くなったんで毛布を取りにきたんだ」

「構わん。まだ起きていた」


 リベリオはアールファレムの寝顔を眺めた。


「無邪気な顔して眠ってやがる」


 リベリオが顔をつつくと、微かに身じろぎしただけで、起きなかった。


「少し二人で呑まないか」

「そうだな。まだ眠れそうにない」


 馬車から出ると、冬の夜風が、手荒くアルスラーダを出迎えた。


「冬の星空は空気が澄んでいるせいか、近く感じないか?」


 アルスラーダは冷たい息を吐きながら、夜空を見上げ、手を伸ばした。


「お前にそんな情緒があったのか」

「失礼な奴だな」

「アールファレムにしか興味ないと思っていた」

「その通りだ。アルファ様がもし星々を欲しがられたら、どうしようかと考えてた」

「どうしようもないだろう」


 にべも無い答えに、アルスラーダは頭を振った。


「アルファ様がお望みの全てを、叶えて差し上げたいが、私に出来る事は知れている。力が欲しい」


 伸ばした手をぎゅっと握り、空を掴んだが、勿論手の中には何もない。


「お前にそれ以上の力がいるのか? ガルフォンは今や大国の仲間入りを果たした。お前は巨大帝国の皇帝補佐官だ。十分過ぎる権力を有している。まさかアールファレムは大陸統一を狙っているんじゃないだろうな」


 アールファレムが国王ではなく、皇帝に即位したのは公然の事実である。もしそんな野望を抱いているのなら、アールファレムは大陸全ての国の敵となる。


「そういう意味じゃないさ。……アルファ様が大陸統一をお望みなら勿論出来る限りの事をするが、それは有り得ないな」


 アルスラーダは焚き火の傍に座り、酒瓶から直接飲み始めた。


「私は小さい男だ。ルーヴェルの様にアルファ様を包み込む器がない」

「らしくないな。アールファレムはお前にべったりじゃないか。いつだってお前に構って欲しそうにしている。アルス、あいつの性別がどうであれ、お前はアールファレムに惚れているんだろう?」

「惚れている? そんな生易しい感情で片付けられるか! アルファ様は私の命そのものだ!」


 アルスラーダはそれほど酒を飲んだ訳ではない。だがここ数日間に起きた出来事は未消化のまま、アルスラーダの心の澱となって蓄積していた。自らの過ちでアールファレムを傷付け、モーリッツの家族を巻き込んだ。ゾレストでは、既に死亡者が出ている。アールファレムの心を読み違い、却って精神的な負担を強いた。開放的な星空がアルスラーダには自分を糾弾するように瞬いて見えた。


「事情はよく分からんが、あいつにはお前が必要で、お前にはあいつが必要なんだ。今のままでは駄目なのか?」


 リベリオはちゃんと酒盃から、酒を呑んだ。


「今の私は、背中を追い掛けているだけだ。アルファ様はいつだって先を進んでおられる。いくら走っても追い付けそうにない」


 ルーヴェルには言えない愚痴だった。アールファレムは何かあれば、まずルーヴェルを頼る。いつも感情的になる自分の小ささが大嫌いだった。


「そうかな。いつだってあいつはお前を待っているぞ。俺も仲間に入れて欲しいくらいだ」

「とっくにアルファ様はお主を仲間と思っているさ」

「友人としてはな。俺達には公人としての立場がある。どうしてもお互い打算的になるさ。アルス、心配するな。俺はあいつに手を出さない……多分」

「そこは言い切れよ。リベリオ、アルファ様は男だぞ」

「今日確信した。男は無理だが、アールファレムならいける。今まではそんな事はなかったんだが、反応するんだ。多分本能があいつを求めているんだな。お前だってそうだろ。男が好きなんじゃなく、アールファレムが好きなんだろう?」


 どこが反応するかは、聞くまでもなかった。恐るべきはリベリオの本能だった。疑っていなくても体は気付いているのだ。


「私が見張りしている間は、前の座席で寝るようにな。隣は許さん!」

「信用してくれないのか」

「貴様の下半身に聞いて見るんだな」


 リベリオは視線を落として、自らの下半身に問い掛けた。


「どうだ? そうか、前の座席の方がいいみたいだな」

「本当に変態だな」


 アルスラーダは虫けらを見るより冷たい眼をして、目の前の親友の筈の男を見た。


「欲望に忠実なだけで、変態ではない。……冗談はそれぐらいにして、黒髪の性悪女だったか? 実際どんな女だ? あのアールファレムを変える女など想像出来ない」

「思い出したくもない」


 アルスラーダに聞かれても困るのだ。ルーヴェルの嘘が誰を揶揄しているかは、考えるまでもなかった。実際アールファレムを変えたのはシルヴィンである。だが苦しめたのはアルスラーダも同じである。一緒にはされたくないが、事実として認める必要があった。シルヴィンを許すかどうかは別問題である。


「あいつに女ね。オリアンヌ姫が知れば殺していただろうな」

「まさか。あの姫がその様な真似する筈がない」

「女の嫉妬ほど怖いものはないさ。もう終わったとしても、あれだけ化けたアールファレムに気付かない筈がない。来年会った時、既成事実を作りにくるかもな。羨ましい限りだ」

「一国の姫君がそんなはしたない真似する訳ないだろう」

「姫だからだ。我慢なんぞした事がない。アールファレムに惚れた弱味で今まで待っていたんだ。それをどこの馬の骨とも分からん奴にかっさらわれたんだ。気を付けるんだな」


 命を狙っているなら防ぎようもあるが、こんな場合、どうやって気を付ければいいのか、見当も付かなかった。


「リベリオ頼む。なんとかお守りしてくれ」

「アールファレムは個人の感情を出すべきじゃない。オリアンヌ姫とさっさと結婚した方がガルフォンの為だろうに。我が国としては、助かるからかまわんがな。徹底的に邪魔してやるさ。だが世継ぎ問題はどうする気だ。いつまでも逃げる訳にはいかんだろう。まして、あいつは平気で最前線に身を置くからな。ただの戦馬鹿だ。今、アールファレムに何かあれば、ルドルフが跡を継ぐのか?」

「勿論、王族扱いだが、継承権はない筈だ。まさかの事態がおきれば、ガルフォンは再び分裂するだろうな。だがアルファ様は死なないさ」

「いつからあいつは人間をやめたんだ? アルス現実を見た方がいい」


 現実はリベリオが思っているより複雑だった。誰もが、後継者はアールファレムの子供以外認めないだろう。アールファレムが子供を秘密裏に産むなど、不可能である。どうしても公表する必要があった。


「現実からは逃げ切れるとは思ってないよ。……どうやら色々喋りすぎたようだ。忘れてくれ」

「心配するな。酔っ払っているから、明日には覚えていないさ」


 リベリオの酔った姿など見たことはなかった。


「アルス、襲うなよ」

「そんな元気はない。リベリオ適当な時間に起こしてくれ」


 アルスラーダは片手をひらひらと振り、馬車に向かった。

 アルスラーダはなるべくアールファレムを視界に入れないようにして、寝転がった。

 リベリオ相手に本音を吐露するつもりはなかったが、気が付けば赤裸々に心情を話していた。かなり際どい内容に触れていたが、溢れた思いを吐き出さずにはいられなかった。

 思った以上にリベリオを信頼している自分に驚いた。リベリオが今夜の話の内容を利用するような男ではないと自信を持って断言出来た。

 瞼を閉じていると、ようやく眠気が訪れ、アルスラーダの長い一日が終わった。


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