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24 壮行会

 夕方になり壮行会が大広間で開かれた。アールファレムの簡単な挨拶だけで、壮行会は幕を開けた。


「リベリオ、疲れた顔してどうした? あの後何かあったのか?」


 アールファレムはグラスを片手にリベリオに尋ねた。別れた時は元気だったリベリオが見るからにやつれてぐったりとしていた。


「いったい誰のせいだと思ってるんだ! 今までアルスの相手していたんだぞ!」


 リベリオはアールファレムの肩に手を回しながら涙目で語った。


「ははは、まぁ酒でも呑んで忘れろ」


 さすがのアールファレムでも、少しは罪悪感はあるらしく酒を勧めた。リベリオはむすっとした顔で黙って酒を注がれた。


「リベリオ、来ていたのか」


 ルーヴェルが笑顔で二人に近寄り、リベリオと握手を交わした。


「ルーヴェル、お前が甘やかすから、アールファレムはこんなに我が儘になったんじゃないか?」

「何かあったんですか?」

「さぁな、いろいろ疲れているみたいだ。今日はゆっくり楽しんでいってくれ」


 アールファレムはリベリオだけを構う訳にはいかなかった。直ぐに立ち去る薄情なアールファレムを見送ったリベリオは、ルーヴェルに抱き付いた。


「あんまりだ。俺が何をしたと言うんだ」

「男に抱き付くなよ。暫く会わない間に宗旨替えしたんじゃないだろうな」


 ルーヴェルは本当に嫌そうな顔で、リベリオと距離をとり、手で追い払った。


「俺だって女がいいわ。くそっ、女が少ないな。そうだ! テレーゼはどこだろう。あの勝ち気なところが可愛いんだよな」


 フリードリッヒの副将のテレーゼの事は、リベリオもよく覚えていた。当然ながら大広間は軍人だらけだった。中にはリベリオの見知った者もいたが、今のリベリオには女性しか目に入らなかった。

 ルーヴェルは肩を竦めてアールファレムを目で追った。まだ一杯目の筈だ。途中アルスラーダと目が合い、任せる事にして、腹ごしらえを先に済ませる事にした。


「ハリー楽しんでいるか?」

「はいっ、陛下! ありがとうございます」


 相変わらずフリードリッヒ、モーリッツと一緒だった。


「本当にお主達は仲がいいな」

「ええ、陛下にとっての、アルスラーダやルーヴェルみたいものです」

「敬称をつけろ」


 フリードリッヒは即座にハリーの頭を軽く叩いたが、ハリーはまったく気にしていないようだ。


「そんな礼儀はハリーには期待していない。陛下を呼び捨てにしない限りは多目に見る」


 アルスラーダがハリーの頭を背後からがっしりと掴んだ。長身のアルスラーダだが、大柄なハリーと比べれば僅かに低い。ハリーは首に力を入れ頭をもたれさせて、アルスラーダと視線が合わせた。


「俺が陛下に対して無礼をする訳ないだろうが!」

「そう思いたいよ」


 フリードリッヒの呟きにモーリッツは苦笑いした。皇帝以外には決して敬語を使おうとしないので、いつもはらはらさせられているのだ。


「苦労しているな」

「まぁな。……リベリオ陛下?」


 リベリオが人混みをかき分けて、フリードリッヒの前にやってきた。フリードリッヒは敬礼してリベリオを出迎えた。フリードリッヒにはリベリオの用件が容易に予想出来た。


「フリードリッヒ、出陣頑張ってくれ。武運を祈る」


 簡単に挨拶しながらも、リベリオは周囲を見回した。


「ありがとうございます。……テレーゼをお捜しですか?」

「よく分かったな」

「陛下のご病気は我が国で知らぬ者はおりません」


 アールファレムと同じ物言いだった。憎たらしい主従だなとリベリオは思ったが、我慢して尋ねた。


「先程から探しているのだが見当たらくてな。勿論来ているのだろう?」

「残念ながらテレーゼは先行部隊を率いて、既に出立しております」

「なにぃ!」


 あまりの衝撃にリベリオはよろけて、横にいた人物の肩に手を置いた。


「おっと、すまない」

「気にするな」

「うわっ、アルス!」


 リベリオは一番会いたくない人物の出現に、大きく飛び退いた。


「失礼な奴だな」


 心の底から迷惑そうにアルスラーダは手で肩を払い、親友を正面から見据えた。


「当分お前には会いたくなかったわ。まだあちこち痛むんだぞ」


 さすがに殴るわけにはいかなかったので、練兵所に連行し、滅多打ちにしたのだ。


「鍛練が足りんからだ。ベイロニアと戦争にでもなったらどうするんだ」

「不吉な事を言うな。上手くやっているわ」

「どうだかな。何せ国王陛下が留守がちなど、無用心極まりない。いっそテオドーロ王に忠告してやろうかな。今が狙い目だとな」

「笑えない冗談だな」


 リベリオは忌々しそうに睨み付けると、女官から酒を受け取ると一気に煽った。


「やばいな、女性士官を避難させた方がいいかもな」


 モーリッツは小声でフリードリッヒに相談した。


「女官はどうするんだ。モーリッツ、心配ないさ。節操のない御方だが、女性にはお優しい。滅多な問題は起こさないだろう。それに人気もあるからな。余計な御世話になるかも知れんぞ」

「一部引っ掛かる部分もあるが、誉めてくれているらしいな」


 どうやらリベリオに聞かれていたようだった。


「御無礼申し上げました。誠に申し訳御座いません」


 深々と頭を下げるフリードリッヒの肩に手を置いて、リベリオは頭を上げさせた。


「誉めてくれたのだろう。謝る必要はないさ。意外と高評価で照れるわ」


 リベリオは誉められるのは慣れていないのか、本当に照れているようだった。視線を泳がせたが、一点で止まった。


「あっ、あれはレオナ? 可愛いな」


 レオナに気付くと、一目散に駆け寄っていった。残されたフリードリッヒとモーリッツは顔を見合せた。


「幸せな御方だ」

「確かに害はなさそうだな。なかなか興味深いお人だ」


 しみじみと語り合う二人だった。


「レオナ。女官の格好、凄く似合っているよ」

「若旦那様!」


 レオナは顔見知りに出会って、嬉しそうに顔を綻ばせた。


「危ないところを救って頂き、誠にありがとうございました」

「当たり前の事をしただけだよ。女官として働く事にしたの?」


 リベリオは自然にレオナの肩に手を置いた。リベリオには他人に触れたがる癖があった。肩に手を回したりは親しい男相手でもよく行った。可愛い女性なら余計だった。うぶなレオナはそれだけで顔を赤らめたが、可愛らしい反応はリベリオを喜ばすだけだった。


「陛下の恩情により雇っていただける事になりました」

「残念だな。我が国に連れて帰りたかったのに」

「こんなにガルフォン語がお上手なのに、外国の方なんですか?」

「ミュスタン人なんだ。ガルフォン語は大陸共通語だからね。女性を口説く為に、必死で覚えたんだよ」


 どこまで本当なのかはレオナには計りかねた。戸惑うレオナの手を握った。


「お陰でレオナとこうして話せる」


 にっこり笑うリベリオの背後にモニカが迫っていた。


「リベリオ陛下。新人をあまりからかわないで下さいませ」


 おそるおそる振り向くリベリオを無視して、モニカはレオナに目配せした。


「レオナ、行きなさい」


 リベリオの手をすり抜け、レオナは立ち去ってしまった。


「モニカ、ちょっとぐらいいいじゃないか」

「リベリオ陛下、レオナは十五歳です」

「ぎりぎり問題ない」


 三十歳のリベリオは言い切ったが、モニカからの冷たい視線が痛かった。


「手出しする訳ではない」

「当たり前です。二十歳、それ以下の女官に手出しする事は許しませんよ」


 全ての女官に手を出すなと言わないところが、現実的だった。


「会話するだけで駄目なのか」

「レオナは両陛下によって救出されました。これ以上、目をかけて頂く事は女官内での立場を悪くするだけです」

「ならモニカが相手してくれるのかな」


 リベリオはモニカの肩に手を掛けようとしたが、鼻先で笑われただけだった。


「失礼します」


 立ち去るモニカを溜め息で見送ると、早速二十歳以上の女性を見つけて口説きだすリベリオだった。


 大広間の入口で歓声が上がった。

 人々が目を向けると、療養中のクルトが、ビクトールとマルティンに付き添われ現れたのだ。


「クルト! よく来たな」


 ライナーやマルクスが笑顔で歓迎した。いつも仏頂面したエクムントは、警戒しながら問題の多いクルトを出迎えた。


「大丈夫なのか」

「酒はまだ駄目だけど、ちょっと出歩くぐらいは医者から許可が下りたんだ」

「ちゃんと大人しくしているのだろうな」


 ライナーは疑わしげに眺めた。クルトの女好きは僚友の中でも有名だった。


「もちろん屋敷から出ていないよ」

「ほぅ。屋敷によく女性が出入りしていると報告があるのだがな」


 エクムントの言葉に皆の冷たい視線がクルトに集まった。


「嘘は言っていないよ。屋敷から出てはいない。ただ女性が心配して通ってくるんだ。追い返すのも悪いからね」


 悪びれもせずクルトは胸をはって言った。


「クルトの素行まで調べさせているのか? 苦労するな」


 特に疚しい事がないライナーは感心しながら、エクムントの肩に手をかけた。


「そんな馬鹿らしい事する訳ないだろう。かまをかけただけだ。どうして我が軍は問題のある連中ばかりなんだ!」

「考え方を変えた方がいい。ほらあの御仁を見てみろよ。我が国は陛下がまともだからな。まだましと思うんだな」


 ライナーは視線を、女官に熱心に話し掛けているリベリオに向けた。


「極端な例を出すな。陛下まであのような性癖では我が国は救いようがないわ。だが陛下はむしろ女性に興味を持つべきだ。このままでは、王家の血筋が断絶してしまう!」

「悲観的じゃのう! 陛下がその気になれば愛妾の一人や二人すぐにできるわ」


 マルクスはエクムントの背中を叩いた。


「愛妾など不要です。皇妃一人で十分です!」


 エクムントは疲れた表情で言い張った。今まで黙って会話を聞いていたマルティンが、眉をひそめながら発言した。


「まったくその気にならないから問題なのだ。陛下は二十二歳だ。御相手の一人や二人いてもらわねば困る」

「オリアンヌ様がいらっしゃるではないですか」


 ビクトールの発言に、皆一人の女性の顔を思い浮かべた。

 アールファレムには婚約者を名乗る女性がいた。シャリウス国王ジェラルド・ドゥ・ボワイユの長女オリアンヌ・ドゥ・ボワイユ、二十歳だった。アールファレムがシャリウスに同盟締結に出向いた時に、アールファレムを見初めて以来、手紙や贈り物が届くようになった。亜麻色の髪をした美しく聡明な女性で、大きな胸に、細い腰から豊かな尻にかけての魅惑的なくびれは多くの男性を魅了した。勿論アールファレムの配下の将軍からの評判も高かった。

 実際いい縁談なのだがアールファレムにその気がないようで、まったく進展がなかった。

 大国シャリウスの美しい王女には、勿論縁談話が数多く持ち込まれた。だがオリアンヌはアールファレム以外の男と結婚する気はなく、ジェラルド王も娘の意思を尊重し、今もアールファレムの気持ちが動くのを待っているのであった。


「オリアンヌ様は陛下に相応しい女性だと思うんだがな。陛下を一途に想われて、応援したくなる」


 普段は人を褒めないマルティンだったが、オリアンヌのことは好ましく思っていた。他の者も同様だったが、アールファレムは優しく接するだけで、どうも特別な感情はないようだった。

 残念がる皆を面白そうに眺めていたライナーが取って置きの話を披露した。


「先程興味深い話を女官から聞いたのだが、昼間にいつものように抜け出された陛下が少女を連れ帰られたそうだ」

「あの陛下が! 目出度い」


 マルクスは大喜びしたが、マルティンは否定した。


「少女が危ないところをリベリオ陛下と共に救出されただけと俺は聞いたぞ」

「連れ帰られたのは間違いなさそうだね。そうか、陛下は年下が好みだったのか、俺と好みが一緒だな」


 クルトはしみじみ頷いたが、ライナーが突っ込んだ。


「オリアンヌ様も年下だろうが、それに陛下と色欲魔のお前を一緒にするな!」

「正直者と言ってくれないかな。オリアンヌ様のあの豊満な御体はとても年下とは思えない。一度御相手願いたいね」


 エクムントは思わずクルトの頭を叩きそうになったが、病人なのを配慮して、睨み付けるだけで我慢した。


「無礼な発言は慎むようにしろ」

「はいはい。エクムントは相変わらずだね。眉間のしわ、顔に刻まれてるんじゃない? 奥さんが怖がらないかな。夫婦生活が心配になるよ」


 クルトはエクムントの天敵だった。皆がエクムントの怒声を予期し身構えたが、アールファレムが登場した為、不発に終わった。


「クルト! よく来てくれたな。体の方はもう大丈夫なのか」


 アールファレムは持っていたグラスをアルスラーダに預けて、両手でクルトの手を握った。


「はい。順調に回復していると医者には言われております。必ず、年内には復帰して見せます。この様な大事な時に、御迷惑を御掛けして申し訳ありません」

「体を最優先してくれ。待っているからな。ところで話が弾んでいたようだが、何の話をしていたんだ」


 にこにこしながら尋ねるアールファレムに、返答に困るクルトだった。


「陛下が女性を宮殿に連れてきたと噂になっているんですよ」


 ライナーが真相を確かめるべく果敢に攻めた。因みに返答に耳を澄ますのは将軍だけではなかった。会場の喧騒が一時止んだ。


「女性? レオナの事かな。色街で困っていたから助けたんだ。女官として働いてもらう事になった」


 まさかアールファレムの口から、色街という言葉が出るとは予想もしなかった諸将は衝撃を受けた。マルクスなどは陛下が色街にと涙まで浮かべる始末だった。


「陛下、誤解を生むような発言はお慎み下さいませ。リベリオ陛下と待ち合わせが色街だっただけで、陛下御自身が望んで足を踏み入れた訳ではないでしょう。レオナの事もただの人助けで、特別な感情はない事も明言された方が宜しいかと。いらぬ憶測を招く事になります」


 アルスラーダの補足に、皆が落胆したのは言うまでもなかった。再び大広間はざわめきを取り戻した。


「せっかく陛下が女性に興味をしめされたと喜んだのに」


 ライナーはやけ酒を飲む事にしたらしく、空になったグラスに酒を注いだ。


「どうやら皆に心配を掛けているらしいな」


 アールファレムは、ばつが悪そうに頭を掻いた。さすがに真相を話す訳にもいかず、どうしようか困ったが、シルヴィンが助けに現れた。


「陛下の事なら心配しなくてもよい。陛下はこの国の将来の事も、しっかりお考えになられておいでだ。安心するんだな」

「やはりオリアンヌ様とのご結婚ですか?」


 エクムントは期待を込めてアールファレムを見詰めたが、シルヴィンに睨み付けられて、引き下がった。


「この様な場で軽はずみな発言をするな。噂が独り歩きすれば取り返しのつかない事になる」


 シルヴィンはアールファレムを促し、その場から連れ出した。


「シウありがとう」


 小声で礼を言うアールファレムにシルヴィンは笑って、手を振った。


「お気になさらずに。陛下、お酒の方は大丈夫ですかな?」


 アルスラーダからの冷たい視線を浴びて、アールファレム様とは呼べなかった。


「口煩いのが増えたな。アルス、まだ大丈夫だな」

「後一杯ぐらいまでですな」

「本当に管理されていますな」


 気の毒そうにアールファレムを見やったが、どうやらアールファレムはアルスラーダに管理されている状況を気に入っているらしく馬鹿らしくなって退散する事にした。


「では陛下、ごゆっくりなさって下さいませ」


 一礼すると、あっさり立ち去っていった。


「少しは食べられた方が宜しいでしょう。座ってはいかがですか」


 アルスラーダはアールファレムに食事を勧めた。


「そうだな。せっかくのご馳走だ。頂くとしよう」


 アールファレムが腰を落ち着かせると、フィリップが前を通り掛かった。アールファレムは手招きして、フィリップに料理を勧めた。


「申し訳ありません。仕事中ですので遠慮します」


 アールファレムは無視して、フィリップの口に料理を運んだ。もぐもぐと飲み込み、抗議しようと口を開くとまた料理が待っていた。


「アルスラーダ閣下、なんとかして下さい」

「陛下の道楽だ。付き合え」


 アールファレムは楽しそうに料理を選んだ。


「フィリップどれが食べたい?」

「陛下! せめて自分で食べさせて下さい」

「こらっ、フィリップ。名前で呼ぶようにと言っただろう」

「酔っておいででしょう」

「まだ大丈夫だ。フィリップ光栄じゃないか。御名前を呼ぶ栄誉を授かったのだな」

「アルスラーダ閣下!」


 いつの間にかフィリップの後ろに回り込んだアルスラーダは、がっちり固定して逃げられないようにした。


「御命令に背くのは感心しないな」

「閣下、面白がっておいででしょう!」

「フィリップはアルスラーダの方がいいんだな。こんなに私がフィリップを大事に思っているのにな」


 仲のよさそうな二人を見てアールファレムは、わざとらしくいじけた。


「僕はア、アールファレム様が好きです」


 アールファレムは破顔して、フィリップを引き寄せると頭を撫でた。フィリップは抵抗を諦め、されるがままだった。


 遠目でアールファレム達を見守っていた将軍達は、揃って肩を落とした。まだまだ結婚は遠そうだった。

 やがて将軍達は散らばり始め、各々の部下と共に酒宴を楽しみだした。


 因みに、出征組の一人ベルノルトは終始、数少ない女性士官に囲まれて、別れを惜しまれていた。


「けっ、独占しやがって」


 ハリーは悪態をついたが、ハリー配下の将補までベルノルトに群がり、副官に慰められた。


 アールファレムにはついに制止が入り、渋々お茶に切り替えた。


「そんなに私の酒癖は問題なのか? ちょっと陽気になるぐらいだろうが……」

「部屋に戻られるのでしたら、いくらでも構いませんよ」


 二人きりになるのだったら、アールファレムの酒癖は大歓迎のアルスラーダだった。


「アルス、ちょっと抜けてくる」


 アールファレムの声が急に真面目になり、アルスラーダはアールファレムの視線の先を追うと、モーリッツが壁にもたれて、酒を飲んでいた。


「ちょっと散歩しないか?」


 モーリッツは、急な誘いに一気に酔いを覚ましグラスを置いた。


「……御供します」


 二人は連れ立って中庭に出た。酔いざましに数人うろついていたが、湖の方まで足をのばすと、他に人影はなかった。


「寒いな。ゾレストの寒さとは比べものにはならないだろうがな」

「ええ。寒さにはまだ慣れません」

「それは苦労をかけたな」

「私が軟弱なだけです」

「モーリッツ、本当に苦労をかけてすまない」


 アールファレムは歩みを止めて、モーリッツを見据えながら詫びた。

 モーリッツはその言葉だけで目が潤みそうになって、下を向いた。


「私は無力です。何一つ守れませんでした」

「いや、お主は生き延びてくれた。よくやった」


 アールファレムはモーリッツの右肩に手を置いた。モーリッツは我慢しきれず泣き出した。


「陛下……!」


 アールファレムはモーリッツが泣き止むまで、何も言わず、背中に手を回し、寄り添った。


「御無礼をお詫びします」


 モーリッツは落ち着きを取り戻し、アールファレムから離れた。


「お陰で暖をとれた」


 アールファレムは軽く笑いながら、モーリッツの腕に触れた。


「カスパードは寒いんだろうな。誰にも暖めてもらえず、震えていても気付かれない。私はあいつに何もしてやれない」


 モーリッツの腕を握る手に力がこもった。


「どうやら酔ったらしい。今言った事は忘れてくれ」

「私も大分酔っているようです。明日には覚えていないでしょう」


 モーリッツの下手な嘘に、アールファレムは笑ったが、真面目な顔付きに戻り、真っ直ぐモーリッツに向き合った。


「今から言う言葉は覚えて欲しい。こうなった以上、全てを守る事は出来ない。それはけっしてお主のせいではない。本当に守るべきが何かを見失うな」


 アールファレムは最後にモーリッツの肩を叩くと、寒そうに身を縮こませながら、宮殿内へと戻っていった。モーリッツは長い間、深く頭を下げて主君を見送った。

 すぐに戻る気にもなれず、妻子の事を思い出しながら、湖を眺めていた。

 どれだけの時間そうしていたのか、くしゃみの音に気付き、振り向くと親友二人が心配そうに立っていた。


「考え事の邪魔してすまない。陛下から湖の辺りにいる迷子を保護するよう仰せつかった」


 ハリーは遠慮がちに詫びながら、自分の上着をモーリッツにかけた。


 モーリッツは感極まって、二人に抱き付いた。


「心配かけてすまない。もう大丈夫だ。陛下が道を示して下さった。それにお前達が共にいてくれる限り、俺はもう迷わない」

「ああ、ずっと俺達はお前と一緒だ。お前の家族も必ずデルレイアに連れて帰ってやるからな!」


 ハリーが右腕を高く上げ宣言したが、フリードリッヒが言いにくそうにしながら、ハリーの肩に手を置いた。


「張り切っているところ申し訳ないのだが、救出部隊は私の側から派遣する事が決まったんだ。ハリーは春まで睨みを利かせてくれ」

「なんだと! 俺のこのやり場のない思いをどうしてくれる」

「寒いから中に戻ろうか」


 ぼやくハリーを宥めつつ、マルティンのこれからの苦労を思いやるフリードリッヒとモーリッツだった。



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