23 女官レオナ
アールファレムは執務室で残りの書類に目を通しながら、アルスラーダの尋問を受けていた。
「つまり、リベリオから呼び出されたと?」
「そうだ。丁度アルスが休みをとった一昨日に連絡が入ったんだ」
淀みなく、嘘を吐くアールファレムだった。
ルーカスは先に連行された四人組の尋問に立ち合っており、本物のフィリップは、他の侍従と共に、アルスラーダから退室を命じられた。皇帝に説教するのを他人に見せる訳にはいかなかった。
「何故私に内緒になさったのです。あの様な危険な場所に御一人で向かわれるなど、無謀にも程があります。アルファ様、街中に出るなとは申しません。どうか私もお連れ下さいませ」
「反対されるとおもったんだ。……アルス、兵士は抜きだ。二人で出掛けるというなら、考えてもいい」
そもそも、アールファレムは条件を出せる立場にはない。だが所詮アルスラーダもアールファレムには甘かった。まして二人で出掛けるなどアルスラーダからすれば、願ってもない事だった。にやけそうになるのを我慢し、厳しい表情を無理に維持した。
「分かりました。今度からは、二人で行きましょうね」
どうしても声が弾むアルスラーダだった。
しかしリベリオに対しては、追求を緩める気は更々なかった。憐れなリベリオはこの後、こっぴどくアルスラーダに叱られる事になるのだが、アールファレムには、もはやどうする事も出来なかった。いやどうする気もなかった。
「まぁ、そのお陰でレオナを助ける事が出来たんだ。今日、外出してよかったよ」
「アルファ様が、直々に抱き上げる必要はなかったでしょうに」
「あんな可愛い子が私にしがみついて震えていたんだぞ。それに服も着ていなかったんだ。アルスに預けられるか」
「私はそんなに信用ないんですか」
「いや、そうではなく……」
アールファレムはそこで口ごもった。自分を頼るレオナに庇護欲を掻き立てられたのは事実だった。だが単にアルスラーダが、自分以外の女を抱き上げるのが嫌だったのだ。そんな恥ずかしい事、言える筈もなかった。
「あの状態で男に任せるのは、可哀想だろ」
「彼女からすれば、アルファ様も男でしょうが」
「最初に助けたからな。きっと他の男は信用出来なかったんだよ。酷い目にあったんだぞ」
「面倒を見ると仰られていましたが、今後どうなさるおつもりですか?」
現在レオナの世話は女官達に任せていた。
「親に売られたらしいからな。本人が望むのなら、宮殿で雇ってもいいさ」
「そう仰られると思いました。彼女はアルファ様に惚れていますよ。重々気をつけて下さい。恋する女の勘は侮れません。モニカなら上手く対処してくれるでしょうが」
女官長のモニカは五十五歳の優しい女性だった。女官達からは母親のように慕われ、アールファレムも同様でモニカには頭が上がらなかった。
「モニカに預けるのがレオナにとっては一番だとは思うが、本人の意思次第だな。アルス、色街の問題はどうしたらいいと思う? レオナ一人を救ったからといって、自己満足している場合ではない。法律では人身売買は禁止している。だが結局、本人の意思かどうかなんて、判断出来ない。親に強要された場合は法律上では、どうなる?」
「難しいでしょうな。実際、借金の形に売られた女性は多いでしょう。我が国の人身売買の法律はどちらかというと、奴隷の禁止の意味合いが強いと思われます。一応娼館は免許制ですが、残念ながら娼婦に関しては、法律の整備が整っていないのが現状です」
「色街を排除する訳にはいかない。間違いなく暴動が起こるだろう。ただ規制を強化したい。思い付くのは、無免許店の摘発、年齢制限の厳格化、定期的な査察かな。ただ査察は諸刃の剣だな。賄賂の温床となりかねない」
「確かに指導は必要ですね。あと医師による検診の義務化も必要かと思われます。ルーヴェルに相談して、まずは法律から見直しを計る事にします」
「そうしてくれ。だが結局のところ、貧困が原因だな。全ての民衆を幸せに出来るなどと、うぬぼれるつもりはない。アルス、出来る事から一つずつ片付けていくぞ」
「アルファ様、その意気です」
アルスラーダはアールファレムが、落ち込むのではないかと心配したが、杞憂だったようだ。
扉を四回ノックする音が響いた。
「陛下、レオナさんをお連れしました」
女官長のモニカがレオナを伴い、入室の許可を求めた。
アールファレムが頷くとアルスラーダは許可を出した。
部屋の外では、フィリップが興味津々で覗こうとしていた。アールファレムはフィリップと目が合うと、手招きした。
フィリップは嬉しそうに、レオナに続いた。
レオナは見違えるようだった。泥だらけだった体は女官達により、まず風呂で隅々まで磨かれた。その後、緑がかった黒く長い髪は、長い時間をかけて梳かされ、背中の後ろで束ねられた。幼さを感じさせる顔は、口にだけ紅をさし、より可憐さが強調された。青いドレスを身にまとい、清楚な令嬢にしか見えなかった。
モニカの服のすそを掴み、不安そうにしていたが、アールファレムを見ると、はにかみながらも笑顔を見せた。宮殿に着くなり、見知らぬ人に囲まれて、心細かったのだ。
アールファレムは立ち上がり、レオナ達を出迎えた。
「驚いたな。こんな素敵な姫君だったとはな。レオナ、綺麗だ」
レオナは顔を真っ赤にさせて下を向いてしまった。
「ありがとうございます。そっ、その陛下、ご無礼をお許しください」
レオナは恩人が皇帝と聞かされて、混乱してしまった。女官達からは、凄く羨ましがられ、アールファレムに抱き上げられた感想を聞かれたが、夢心地のところ現実をつきつけられたのだ。どうしていいか分からず、逃げ出したかった。モニカは泣き出したレオナを優しく抱き締め、女官達の追求からも庇ってくれた。泣き止むまで背中をさすってもらい、優しい手つきで髪を梳かしてくれた。やがて落ち着いたレオナは、自分から事情を話していた。
モニカはレオナを守る事をひそかに決意していた。
「頭を上げてくれ。私の方こそ、偽名を使ってすまない。本当の名前はアールファレムだ。そこの十三歳の少年が本物のフィリップだ」
フィリップは突然、自分の名前が会話に出てきた事にびっくりして、アールファレムを見上げた。
アールファレムは、フィリップの頭に手をのせた。
「とっさに思い付いた名前がフィリップだったんだ。許して欲しい」
フィリップとしては、喜ぶべきなのか判断つかなかった。ただ頭からアールファレムの手の温もりが伝わってきて、自分の事を思い出してくれた事が嬉しくなった。
「こ、光栄です。陛下」
眩しいほど純粋な眼差しで見つめられて、アールファレムは、嬉しそうにフィリップの頭を撫でた。
「レオナ、年齢はいくつかな? よければフィリップの友達になって欲しい」
「十五歳になります。フィリップ様、よろしくお願いします」
レオナは頭を下げたが、フィリップは慌ててレオナを止めた。
「僕はただの近侍です。呼び捨てで十分です」
みんなの笑い声が室内に響いた。
「レオナ、出来る限りの事はさせて欲しい。今後の事は、急いで決めなくてもよい」
「……陛下。私は家に帰ろうと思います」
「つらくないか?」
「もう私の居場所はないかも知れません。ですが他には行くとこなど、ありません」
「陛下はレオナさえよければ、女官として宮殿に残らないかと仰せになられた」
アルスラーダは物分かりの悪いレオナに苛ついていたのだが、勘のいいモニカに睨み付けられ、なるべく優しい口調を心掛けた。レオナは既にアルスラーダに怯えていた。宮殿への帰路アルスラーダは終始不機嫌で、レオナの存在を無視していた。レオナが原因ではないとアールファレムは言ってくれたが、気にならない訳がなかった。
「これ以上甘える訳には……」
下を向いて泣きそうになったレオナの肩をモニカが、優しく抱いた。
「レオナさん。陛下のご厚意を退けるほうが、失礼にあたります。レオナさんは宮殿で働くのは嫌ですか?」
「そんな、私なんかが宮殿で働くなんて、恐れ多い事です」
フィリップはレオナの両手を握って、微笑みかけた。
「僕は元々孤児だったところを、陛下に引き取って頂いたんだ。陛下は働かなくいいと仰って下さったんだけど、少しでもお役に立ちたくて、近侍になったんだ。レオナ、僕の友達になってくれるんだよね。一緒にいようよ」
フィリップの純真な眼差しにレオナも、陥落した。
「本当によろしいのですか?」
「勿論だとも。レオナ、フィリップと仲良くして欲しい」
アールファレムが、レオナを真っ直ぐ見つめると、レオナは慌てて下を向いた。
「はい。陛下、喜んで」
レオナの反応は実に危険だった。アルスラーダはもとより、モニカが気付かない訳がなかった。ただでさえレオナは注目されていた。女官内で問題がおきないように、モニカは手を尽くす必要があった。
「レオナ、女官になるのでしたら、今後は呼び捨てにさせて貰います」
厳しい口調ではあったが、表情には優しさがにじみ出ていた。
「はい、モニカ様よろしくお願い申し上げます」
「モニカ、任せたぞ。フィリップ良かったな」
アールファレムは、フィリップの頭を撫でた。
「はい、陛下」
フィリップは元気よく返事したが、髪の毛が乱れてしまっていた。
「陛下、撫ですぎですよ」
モニカは櫛を取り出すと、フィリップの頭を梳かした。
「すまない。ちょうどいい高さにあるから、ついつい撫でたくなるんだ」
「成長期ですから、まだ伸びます!」
フィリップは背が低い事を気にしていた。レオナと比べてもまだ低かった。
「フィリップ、急いで大きくならなくても、可愛いからいいじゃないか」
アールファレムはフィリップの頭に手を置きながら、しみじみと言ったが、年頃の男の子が可愛いと言われて喜ぶ筈がなかった。だが敬愛する皇帝に言われて、簡単に否定する事も出来なかった。
「いつか私に並ぶかもしれんな。そうなったら、お前が陛下をお守りするんだ」
アルスラーダはフィリップの肩に手を置いて、励ました。
「閣下、ありがとうございます。必ず僕が陛下をお守りします!」
フィリップは目を輝かせて返事したが、アールファレムは嫌そうだった。アルスラーダはアールファレムよりも頭一つ分高かった。
「そんなフィリップは嫌だ。アルスが二人なんて逃げられないじゃないか。冗談じゃない!」
「ほぅ。まだ今日の反省が足りてないようですね」
再びアルスラーダの機嫌が下降していった。
「陛下、私達はこれで失礼します」
モニカはレオナを連れていち早く、離脱した。フィリップも慣れたもので、一緒に退室した。
「私も用事があったような気がするんだが」
失言を後悔するアールファレムは退路を探ったが、補佐官が見逃す筈もなかった。
「そんな用事はありません。アルファ様。何故私から逃げる必要があるんですか?」
再び、扉をノックする音が響いた。
「ミュスタンのリベリオ陛下がお見えになられました」
リベリオはどこまでも役に立つ男だった。
「アルファ様、私がリベリオの相手してきますから、残った仕事を片付けて下さいね」
「任せておけ」
アールファレムは嬉しそうに、手を振ってアルスラーダを見送った。
レオナはフィリップのよい友達になりそうだった。宮殿には子供がいないので、前から気にしていたのだ。フィリップが十三歳のわりに幼いのは、アールファレムのせいだろう。アールファレムはフィリップが可愛くて仕方なかった。フィリップとしては早く一人前になりたいのだが、アールファレムが、つい甘やかしてしまうのだ。
親がわりとして、フィリップの成長を見守ってきた。ただ、もう少しゆっくり成長してくれないと、寂しいのだ。
アールファレムはレオナの気持ちには気付いていた。あんなに真っ赤に反応されて、分からない筈がなかった。アルスラーダは警戒しているようだったが、アールファレムは問題とは思っていなかった。
一過性の熱病みたいなものだろうと判断していた。どうせ気持ちに応えられないのだから、直ぐに諦めるだろうと、楽観視していた。
フィリップとレオナが恋愛に発展すると、面白そうだが、そこまでアールファレムの期待通りにはいかないだろう。
「陛下、お茶をお持ちしました」
丁度、フィリップがお茶を運んできたので、アールファレムはレオナをどう思うのか尋ねた。
フィリップはまったく意識していなかったみたいで、顔を真っ赤にしてアールファレムを愉快がらせた。
「陛下! 御仕事をちゃんとしてください」
「言うことがアルスに似てきたな。危険な傾向だ」
「光栄です。いつか閣下のように陛下のお役に立ちたいです」
「今でも十分役に立っているさ。フィリップの淹れてくれるお茶は美味しい」
アールファレムは本当に美味しそうにお茶を飲んだ。
「陛下、ありがとうございます」
「フィリップ、前から気になっていたんだが、陛下という呼び方は他人行儀ではないか? 名前で呼んで欲しい」
「そ、そんな事、不敬にあたります」
「アルスとルーヴェルも呼んでいるぞ」
「お二方とは身分が違いすぎます」
「気にするな。ほらほら呼んでみてくれ。フィリップ、命令だ」
「そんな命令、従えません!」
泣きそうに叫びながら逃げてしまった。アールファレムは笑顔でフィリップを見送ると、ようやく仕事に取り掛かった。




