22 若旦那現る!
「さてフィリップ。素直に白状する事だ」
アルスラーダは笑顔でフィリップに詰め寄った。可哀想なフィリップはじりじりと後退り、壁際まで追い詰められた。
「陛下はどこにいかれたのかな」
「閣下、目が恐いです」
「気にするな、生まれつきだ。そんな事より疑問に答えてくれないか? 何故、私が留守した僅かな間に陛下が姿を消されたのかな」
アルスラーダと補佐次官であるルーカスが、シルヴィンの執務室に出向いた間に、アールファレムがいなくなったのだ。
「いつもの御病気のようですな」
ルーカスは深い溜め息をついた。
「この忙しい最中にさぼるなど、有り得ない」
アルスラーダはシルヴィンに出向かせれば良かったと後悔したが、アールファレムの命令では従うしかなかった。フリードリッヒに同行させる将校が確定したとの報告があったのだ。侍従に取りに行かせようとしたのだが、アールファレムは大事な要件だからと、二人に行かせたのだ。そう何故二人なのか疑問に思ったのだが、急き立てられるまま部屋を出たのが間違いだったようだ。
室内にはフィリップの他にも侍従はいたが、皆アルスラーダと目を合わせず下を向いていた。皇帝の命令に彼等が逆らえる筈がなかった。
「本当に行き先を聞いていないのか?」
アルスラーダは壁に両手をつき、覆い被さるようにして、フィリップの逃げ場を塞いだ。背の低いフィリップは、アルスラーダをおそるおそる見上げたが、剣呑な眼差しに観念して、素直に白状した。
「街中に視察に出られました。お止めしたのですよ。ですが民衆の様子を見に行くのは皇帝としての責務だと。アルスラーダ閣下は大人しく仕事を片付ける様に……陛下が仰られたのです! 僕ではないです!」
アルスラーダの目付きが一段と危険になったので、慌ててフィリップは否定した。
「分かっているとも。ただ感情が追い付かないんだ。まだまだ未熟者で申し訳ない。フィリップ分かっている。お前のせいじゃない」
アルスラーダは力を抜き、フィリップの頭を軽く二度撫でた。
ルーカスは机の上の書類に目を通すと、声を上げた。
「アルスラーダ閣下、どうやら重要な決裁は済んでいるようですよ」
書類は二種類に仕分けされており、比較的重要度の低い案件のみ未処理で残されていた。
「流石陛下ですな。この短期間に全てに目を通されて、仕分けを済まされるとは、御仕事が素早くていらっしゃる」
ルーカスは感心したが、アルスラーダの怒りを増大させるだけだった。
「その能力が何故正しい方向に向けられないのだ!」
アルスラーダは残された書類に取り掛かった。
「如何致しましょうか。捜索隊を出しますか?」
ルーカスがおそるおそる伺うと、アルスラーダは顔も上げずに指示を出した。
「先に兵士五百人を捜索に向かわせてくれ。いつもの事だが、くれぐれも秘密裏に動くようにな。今回は特にだ。これを片付ければ、私も出向く。ルーカスは留守を頼む」
直ぐに近衛兵が召集されたが、全員一般兵と同じ制服だった。秘密にするのに近衛の制服を着る訳にはいかなかった。そして直ちに準備が整うぐらい彼等は、この任務に慣れていた。
デルレイア南部は商業区域で、大小さまざまな商店が軒を連ねていた。広場では露天商達が連日、所狭しと商品を並べ、大声を出して客引きを行っていた。デルレイアで揃わぬ物はないと、商人達が豪語するだけあって、物も人も溢れていた。
活気に満ちた街中をフードを被った貴族風の剣士が、上機嫌で肉汁たっぷりの串焼き肉にかぶり付いていた。勿論皇帝アールファレムである。上品な宮廷料理は確かに美味しい。だがアールファレムは庶民的な料理が大好きなのだ。高価な皿の真ん中でちょっぴりの焼かれた肉に訳のわからぬソースがかかった、なんたら風とかいう気取った料理より、大皿にどんと盛られ、皆でわいわい食べる料理の方が、遥かに美味しく感じられた。一人より大人数の方が楽しいのでフィリップや将軍を誘う事も多かった。決してルーヴェルやアルスラーダではない。宮殿を一緒に脱け出し、街中の食堂などで昼食をとり、色々な店を巡るのはアールファレムの道楽だった。ただ酒だけは絶対に二人のいない時に飲まないという約束事だけは守っていた。アールファレムも秘密のある身なので、最低限の約束は守った。
最近はアールファレムがよく通う店は近衛兵にもばれてしまっていたが、そこは帝都デルレイア、新規開拓先には事欠かない。アールファレムは、大通りを逸れ、裏通りに足を踏み入れた。
大通りを離れるほど、治安が怪しくなり、何処か胡散臭げな店が並び、真贋問わず売られていた。掘り出し物も少なからずあるが、中には違法すれすれの物品も流れてくる事もある。貧民窟というよりは裏街と表現する方が近いだろう。何度か訪れた事があるが、一人では初めてである。刺激的な怪しい雰囲気に心踊らせ、楽しげに歩を進めた。興味津々にゆっくり歩くアールファレムは、客引きからみれば格好のかもだった。貴族の若様が御供も付けずに、帝都観光に興じているようにしか見えなかった。
「お兄さん、何かお探しかい? 帝都は金次第で何でも揃うよ。なんだったら、女の子を紹介してもいいよ。男前だから安くしとくよ」
軽薄そうな大男と貧相な小男の二人組が、下種びた笑いを顔に浮かべながら近寄ってきた。嫌悪感を感じたが、顔には出さず軽い挨拶で切り抜ける事にした。
「ありがとう。だが女の子は間に合っている」
アールファレムは通り過ぎようとしたが、小男の方が行く手を遮った。
「お兄さん。ひょっとして男の方が好みなのかい? だったら紹介しとくよ」
「いやいや、その兄ちゃんだったら、働いてもらった方が儲かるんじゃないか」
げらげら笑いながら大男は、アールファレムの腕を掴もうとしたが、するりと躱され、剣呑な雰囲気が漂った。だがアールファレムは涼しい顔をしていた。
「てめえ! 舐めた真似してんじゃねぇぞ」
小男がナイフをちらせつかせ、恫喝すると、アールファレムは肩を竦め、溜め息をつくと周りを見渡した。通行人は巻き込まれるのを嫌がり見ない振りをするか、この後の展開を楽しげに見物するかのどちらかだった。
別に助けが欲しかった訳ではなかったが、彼等はそう思わなかった。
「助けがくると思ってんじゃねえぞ。男にしとくには勿体無い面だからな。迷惑料がわりに今日から客をとって貰うぞ。なんだったら俺が練習相手になってやるさ」
大男はにやけ顔で剣を抜き放ち、アールファレムに突き付けたが、アールファレムは剣を抜こうとはしなかった。
「飾りの剣は人様に向けられません、ってか」
凄んでも反応がないので、焦れて剣を動かそうとしたが、アールファレムは素早く体を捻らせると大男の右手を捻り上げた。大男は思わず剣を落とし顔を歪めた。
「あまり手荒な真似はしたくない。帝都でこの様な下らん連中がいるとは、嘆かわしいが、この辺りでは仕方ないかな」
「何様のつもりだ!」
怒鳴りながらも、やや腰がひける二人組だったが、二人がかりならと目配せして、詰め寄ろうとじわじわ近付いた。
「やめておけ。お前らが敵う相手ではない」
突然制止する声が聞こえた。三人が視線を移すと、赤毛の長身の男が二人の女を侍らせながら、近寄ってきた。
アールファレムは闖入者に一瞥をくれると、先程よりも深い溜め息をついた。
「若旦那の知り合いですか?」
小男が闖入者に尋ねると、アールファレムは目を細めて、闖入者に声を掛けた。
「若旦那……。何故デルレイアでお前が幅を利かせているんだ?」
アールファレムはごろつきを無視して、赤毛男に話し掛けた。
「まぁ、堅い事言うなよ。ここは色街に近いんだ」
アールファレムは女性を見て納得した。
「本当に相変わらずで嬉しいよ」
アールファレムは右手を差し出し、二人はがっちり握手を交わした。
赤毛男はごろつきを手で追い払い、女性二人に謝罪した。
「すまない。また今度埋め合わせするから」
手を合わせて、片目をパチリと閉じた。
「若旦那、絶対だからね」
二人は色気を振り撒きながら去っていった。
「さて、こんな所で何をしているんだ。アルスは知っているのか?」
「知っている訳ないだろう。気晴らしぐらいさせてくれ。リベリオこそ、いつガルフォンに来たんだ? 顔ぐらい出せよ」
この赤毛男の正体はミュスタン国王、リベリオ・ガストーニだった。
「立ち話もなんだ。店に入ろう」
「元々それが目的だったんだ。穴場を探してたんだ。美味い店に連れていってくれよ。若旦那」
「無茶苦茶な奴だな。こんな物騒な所で呑気な事を言うなよ。安全な所はいっぱいあるだろう」
苦笑いしながら歩き始め、アールファレムと肩を並べながら会話を続けた。
「ほとんどの店は、兵士にばれているんだ。最近は新規開拓をさぼってたからな。この辺りはあまり近付かないようにしてたんだが、たまにはいいかと思ってな。雑多な感じが魅力的に感じるんだな。危険な程、人を惹き付ける何かがあると思わないか?」
「同感だな。統治する側からすれば厄介でしかないが、お綺麗な町並みだけなど胡散臭いさ。闇の部分を排除する方が厄介だ。変に排除しても見えなくなるだけで、いなくなる訳じゃない。デルレイアは棲み分けがはっきりしているから、一般人が間違って入り込まない限りは安全だ。どこぞのお坊ちゃんはわざわざ迷い込んで、絡まれたがな」
ちらりとアールファレムを見やり、肩に手を回した。
「私の事か?」
アールファレムは自分を指差したが、リベリオはにやにや笑いながら、一軒の宿屋に入っていった。大概の宿屋は酒場兼食堂も兼ねており、この店も一階は人で賑わっていた。
「女将、個室で食事したい。空いているか?」
「若旦那の為なら空いてなくても都合するさ、久し振りだね。食事だけかい? 泊まっていってくれれば、安くするよ」
四十代くらいと思われる威勢のいい美人女将が、愛想を振り撒いた。
「いや今日はこいつの家に泊めてもらうつもりだ。ただここの料理がどうしても食べたかったんだ。こいつが美味い店を紹介してくれっていうもんだからさ」
リベリオは笑顔で女将にアールファレムを紹介した。
「相変わらず若旦那は嬉しい事を言ってくれるね。そちらのお兄さん、凄くいい男だね。とびきり腕を振るうよ。楽しみにしておくれ。料理はお任せでいいね」
女将は奥の部屋をぶっきらぼうに指差し、リベリオは片手を上げると、アールファレムの背中を押して部屋に向かった。
「アールファレム、久し振りだな。思ったより元気そうじゃないか」
リベリオは椅子に座るなり、親しげに声を掛けた。リベリオは隣国の国王だが、アールファレム、アルスラーダ、ルーヴェルとは親交があり、アールファレムを呼び捨てにする唯一の人物である。アールファレムも友人であるリベリオに対しては、アルスラーダやルーヴェルとは違った側面を見せた。お互いに敬語がまったく要らない関係は、なかなか気持ちよかった。
「元気で悪いか」
「カスパードに裏切られて泣きべそかいてないか心配だったんだ」
「随分情報が早いな。私に報告が入ったのは三日前だぞ」
流石にリベリオの動きは不審過ぎた。いくら友人でも、味方ではない。
「警戒するなよ。偶々遊びに来てたんだ。国を出た時点で勿論知らなかったさ」
リベリオは度々、ふらっと旅に出る事があった。その度に家臣は苦労するのだが、リベリオにとっては窮屈な王城でずっと政務を行うなど、真っ平だった。アールファレムの脱走癖などリベリオに比べれば、まだましだったが家臣達には、別の意見もあるだろう。
「信用しよう。ところで若旦那。何故ミュスタン国王がガルフォンの帝都で、裏の顔になっているんだ?」
「簡単な話だ。ミュスタンよりガルフォンの方が美人が多い。色街に入り浸っていたら、いつの間にか若旦那呼ばわりだ」
きっぱりと言い切り胸を張るリベリオは、どうやら嘘をついてないようだった。
「どれだけ入り浸ったら、そんな呼ばれ方をするんだ」
「ガルフォンに来るたび欠かさず、通っていたんだ。昨日カスパードの噂が耳に入ってきたんで、今日ぐらい訪ねるところだったんだ。実際どうなんだ?」
「噂通りだ。カスパードが謀反を起こした。ハリーとフリードリッヒを取り敢えず派遣する。春になれば、シルヴィンに討伐を任せる。以上だ」
どうせ調べれば分かる事を隠す必要はなかった。
「随分割り切ってるな。もう気持ちの整理はついたのか」
付き合いの長いリベリオにはアールファレムの逡巡などお見通しだった。
「敵は容赦しない」
「敵ならな。大丈夫ならいいさ」
女将が料理と酒を持ってきた。野菜サラダにパンとオニオンスープ、川魚と茸のパイ包み焼きに、鶏のトマト煮込みと、ごく普通の家庭料理ばかりだった。
「美味しそうだな。すまないが、女将さん、お茶をお願いできるかな。昼間にお酒を呑む訳にはいかないんだ」
アールファレムがにっこり笑うと、女将は赤くなり、頷いて下がっていった。
「この女たらしが、年齢関係ないもんな」
「人聞きの悪い事を言うな。お前にだけは言われたくない」
アールファレムはスープを一口飲むと唸り、他の料理も次々と攻略にかかった。
「これだ。こういう料理が食べたかったんだ」
嬉しそうに食事するアールファレムは夢中になり、フードが外れてしまった。ちょうど女将がお茶を給仕しにきたところだった。
フードをしていても美形なのは隠せていなかったが、今は完全に露になっていて、女将は暫く見惚れて盆を持ったまま固まってしまった。
アールファレムは再び笑いかけると、自分で盆から茶を受け取った。
「若旦那が薦めるだけあって、最高に美味しい料理だ。ありがとう」
「あ、ありがとうございます。あの御名前は?」
女将はまるで少女のように頬を赤らめ、恥ずかしそうに盆で顔を半分隠した。
「フィリップだ。今後もよろしく」
平然と嘘をつき、女将の右手を手に取り軽く口付けした。リベリオはあまりの気障さに、酒を吹き出した。女将はリベリオなど目に入らぬようで惚けながら、もごもごと何か呟き、部屋を出ていった。
「お前なぁ。やり過ぎだ」
口を拭いながら、リベリオは文句をつけた。
「だが正体はばれなかっただろう」
悪びれもせず、料理を楽しむアールファレムに負けられないとばかりにリベリオも食べ始めた。
「本当にお前は食えない奴だよ。……アルスが今頃怒っているぞ」
「嫌な事言うなよ。後で謝るさ。そうだ! リベリオに呼び出された事にしよう」
「冗談じゃない。彼奴は俺相手でも遠慮しないんだぞ」
「私にも遠慮しないんだから当然だろうが」
「巻き込むなよ」
二人は食事中にずっと押し付けあい、食べ終わる頃にもまだ決着が着かなかった。アールファレムはにっこり微笑みリベリオを口説いた。
「この広いデルレイアで偶然、親友と会えるんだからな。運命的だと思わんか」
「色街の近くで問題をおこすな! この辺りは俺の縄張りだぞ」
「私の国で縄張りを主張するとは、いい度胸だな」
アールファレムは立ち上がると指を鳴らして、不敵に笑いながら近付いた。思わず逃げ出したリベリオだが、あっさりと壁まで追い詰められてしまった。アールファレムはリベリオの胸ぐらを掴んだ。そもそも自分のお膝元で、我が物顔に振る舞うリベリオの事を不快に思わぬ筈がなかった。
「やだな。アールファレムちゃん。支配者は勿論君じゃないか」
思わず口調が変わるリベリオだったが、アールファレムは力を弛めなかった。
「分かった。俺がアールファレムを呼び出した。それでいいな」
アールファレムは手を離し、リベリオの両肩に手を置いた。
「流石は我が親友だ」
調子のいいアールファレムをリベリオは思いっきり抱き締めた。
「この野郎絞めてやる」
アールファレムの耳元で囁くと、リベリオは腰に回した手に力を込めた。
「痛い、痛い! 私が悪かった!」
アールファレムが悲鳴を上げたと同時に女将が顔を出した。
「お食事はお済みでしょう……! し、失礼しました」
女将はとんでもない誤解をして出ていった。アールファレムはやれやれと肩を竦めたが、実はリベリオは女将に感謝していた。見た目より華奢なアールファレムの体に少し欲情しかけたのだ。
「アールファレム。もう少し筋肉をつけろ。男にしては柔らか過ぎる。さっきの連中もお前の事を完全に、そういう男として見てたぞ」
半ば照れ隠しのような忠告だったが、アールファレムはむくれた。
「そういう男とはどういう男だ。体質なんだ。仕方ないだろうが」
膨れっ面で横を向くアールファレムを見て、収まった筈の欲望が形となって現れそうになった。リベリオは自分の顔を両手で強く叩いた。
「すまん。言い過ぎた。だがこの辺りはもう一人で歩くなよ。お前は自分の魅力を自覚した方がいい。力任せに襲い掛かられたら、いくらお前でもやばいだろう。さっきみたいに口だけの連中だけじゃない。もし言うことを聞けないんだったら、俺はアルスにお前から絶対目を離さないよう、強く忠告する。分かったな」
リベリオは指を突き付けて、アールファレムに言い聞かせた。
「分かった。リベリオ、心配してくれてありがとう」
アールファレムはリベリオに抱き付き、感謝を伝えた。リベリオはアールファレムを引き剥がした。
「男は趣味じゃない。断じて違う!」
右拳を突き上げ、宣言したリベリオに呆れるアールファレムだった。
「今更、何を力説しているんだ。お前の女好きはもはや病気だろう。私の部下さえ全員知っているぞ」
分かってない、こいつはそういう奴だ。アールファレムの鈍さにリベリオは感謝が半分、残念さが半分だった。ひょっとしたら男でもアールファレムならいけるか?
アールファレムは煩悩に悩まされるリベリオを心配そうな顔で、覗き込んだ。
「百面相してどうしたんだ。悩みがあるなら相談してくれ。出来る限り力になるぞ」
いっそ暴力的とも言える無邪気さだった。今まで二人きりになった事などいくらでもあった。綺麗な奴だとは前から思っていた。
「アールファレム!」
いきなり肩を掴んだリベリオにアールファレムは無警戒で返事した。
「どうした。リベリオ」
「……そろそろ行こうか」
友人を失いたくなかったリベリオだった。
「フィリップ様、またおいでになって下さいませ。勿論、若旦那とご一緒にね」
赤面しつつも、意味ありげに目配せをする女将はやはり誤解していた。
リベリオはどこか投げ遣りな態度で会計を済ませ、宿を後にした。
「誤解を解かなくていいのか?」
アールファレムは足早なリベリオの肩に手を置いたが、リベリオはそのまま歩いた。
「別に害はないさ。すまないが、荷物と馬を取りにいきたい。付き合ってくれるか?」
「ああ、色街の方か?」
アールファレムはわくわくしながら聞いた。
「その様子では初めてなのか」
「ああ、噂には聞いていたんだが、まだ行ったことはないんだ」
何せ用がないのだから行く必要もなかった。リベリオは、にやにや笑いだし、アールファレムの肩を引き寄せた。
「ひょっとしてお前まだ未経験なんじゃないだろうな?」
アールファレムは真っ赤になり、リベリオから離れようとしたが、がっちり掴まれ、身動き取れなかった。
「よし、男にしてやる」
リベリオはアールファレムを引き摺り、色街に足を踏み入れた。
「経験ならある。嘘じゃない」
アールファレムは抵抗したが、リベリオは宥めた。
「場数を踏む事が大事だ。素人も勿論いいが、玄人のお姉さんはまた違う楽しさがある」
何故か通行人が頷いていた。
「兄ちゃん良いこと言うね。若いあんちゃんも勉強していくといいよ」
親指を立てて、通行人の男は近くの店の中に入っていった。
「こら若旦那! 人の話を聞け-!」
アールファレムは叫んだが、リベリオはお構い無しにずんずん進んでいった。
暫く進むと、前方で騒ぎが起きているらしく、人だかりが出来ていた。突然止まったリベリオにアールファレムは更に抗議しようとしたが、リベリオは手振りで制した。
「大人しくしろ!」
四人の男が、一人の少女を取り囲んでいた。リベリオが眉をひそめたのはその少女が下着姿だったからだ。男の一人が少女の髪を掴み、自分の方に引き摺り寄せた。
「お前は売られたんだ! 大人しく客を取れ! 出来ないんなら殺すぞ!」
「お願いします! そんな事、私には出来ません!」
泣きながら叫ぶ少女に、男が手を上げようと振り上げたが、その手をリベリオが掴んだ。
その隙にアールファレムは少女に、自分の外套を掛けてから抱き上げた。
「何をしやがる! そいつはうちの商品だぞ!」
「黙れ下種! 帝国では人身売買が禁止されている筈だ!」
アールファレムは睨み付けた。リベリオは二人を背後に守り、剣を抜いた。
「若旦那! 今更、綺麗事を言うんじゃないでしょうな」
男の一人はリベリオの事を見知っていた。
「当人の了承も得ずに無理強いするなど、無粋な事この上ない。しかもまだ少女ではないか」
「親が金欲しさに娘を売ったんですぜ。逃がしては、こっちが損しちまいます。大人しくこちらに渡して下さいよ」
アールファレムは自分にしがみつく少女をしっかり抱き締めた。
「大丈夫。必ず守るから」
少女は頷くと、力を抜いてアールファレムに身を委ねた。
「いい子だ」
アールファレムは微笑み、少女に安心感を与えた。
「フィリップ様ー? おいしいとこ取りしていないかな」
リベリオは背後で面白くない事態が起きている気配に、苦情を言い立てた。
「煩い。両手が塞がっているんだ。四人ぐらいとっとと片付けろ!」
リベリオは冷たい親友を心の中で罵り、男達を睨み付けた。
「貴様ら、覚悟しろよ!」
リベリオは気合いを入れて男達に襲いかかったが、二人が棍棒を持っているだけで、もう二人は素手だった。相手になる筈もなく、二人の腕を斬りつけ、もう二人は逃げようとしたところ、アールファレムに背後から殴られ、地面に転がった。
アールファレムは二人を始末すると再び少女を抱き上げた。裸足の少女を地面に長く立たせるのは気の毒だった。
「フィリップ様、こいつらどうします?」
リベリオはやけくそ気味に尋ねた。
「そろそろ応援が来る頃だ。待っていればいいさ」
アールファレムの言葉通り、暫くすると十人程の兵士を引き連れた補佐官が、こちらに気付き、鬼の形相で向かってきた。
「うわっ! 兵士だけでなくアルスまで一緒か! 若旦那任せたぞ」
当分リベリオの渾名は若旦那になりそうだった。
「フィリップ様、あれは無理だ。怖すぎる。自分でなんとかできないか」
盟約はいきなり破棄されようとしたが、アールファレムだって恐いのだ。二人は罵り合いを始めた。だが恐怖はすぐそこまで迫っていた。先程までの威勢は影を潜め、土壇場で二人は身を隠そうと辺りを見回したが、アルスラーダが見逃す筈がなかった。
「アルスラーダ! 人身売買と暴行の現行犯だ。こいつらを逮捕しろ!」
アールファレムは急に声を張り上げた。決してうやむやにしようとした訳ではない。
ようやく通行人の一人がアールファレムの正体に気付いた。フード付きの外套を脱いだ為、素顔が丸見えだったのだ。
「おい! 皇帝陛下だ!」
興奮した男は大声を上げた。波の様に衝撃が人々に広がり、ざわめきだした。人々は道路脇に平伏し、成り行きを見守った。アールファレムの思う壺だった。問題を先送りしただけとも言えた。
アルスラーダは近衛兵に命じて、四人を捕縛した。アールファレムの正体に気付いた四人は項垂れ、大人しく近衛兵に従った。
「尋問し、店も摘発しろ」
アールファレムは重ねて命令した。近衛兵は敬礼すると、半数は先に引き揚げた。
「名前はなんと言う?」
アールファレムは腕の中の少女に名前を尋ねた。
「……レオナと申します。そのフィリップ様?」
「取り敢えず、一緒においで。詳しい事情は後だ。私が面倒見るから安心するといい」
レオナは真っ赤な顔で頷いた。アルスラーダはレオナを受け取ろうと手を伸ばしたが、レオナはアールファレムにしがみついたままだった。
「構わない。私が連れていこう。若旦那、先に戻る。後でまた会おう。アルスには私から説明しておく。安心しろ」
「安心出来るかー!」
リベリオは叫んだが、アールファレムはアルスラーダ達と共に既に帰路に就いていた。
その後、皇帝が少女を助けた話が民衆に広がり、吟遊詩人の唄になったりもしたが、遊び人、その正体は皇帝直属の密偵である若旦那との禁断の恋愛を下地にしたものが、流行ったりしたのは余談である。




