20 理解ある主君
「アルファ様、お待ちください。アルファ様」
アルスラーダはアールファレムを追い掛けたが、アールファレムは足を止めずに私室まで戻った。
乱暴に長椅子に腰掛けると足を組み、駆け付けてきたアルスラーダを見やった。
「ハリーには感謝している。私が怒鳴りそうになった所を代わりに喚いてくれた」
言葉とは裏腹な表情を浮かべなから、右手で髪を掻き上げ、そのまま天井を見上げた。
「お陰で発散出来ずにいるという訳ですか」
「お前とシルヴィンの下手な芝居も見てて、苛々した。仲直りしたのか」
皮肉な笑みを浮かべ、視線を正面のアルスラーダに戻した。
「意見が一致しただけです。ですがアルファ様は私とシルヴィンが和解する事をお望みでしょう?」
「ああそうだ。アルスすまない。やつ当たりだ」
アールファレムは恥じ入り、自己嫌悪で溜め息をついた。
「事前にお話ししなかった事を、お詫び申し上げます」
「アルス、二人の時に過度の敬語はよせ」
アルスラーダは破顔し、アールファレムの頭を撫でた。
「お前達は頭を撫でたら、私の機嫌が直ると思ってるだろう」
アールファレムは口を尖らせたが、そんな仕草はアルスラーダを喜ばすだけだった。
「撫でたいからしているだけです。口を尖らせても可愛いだけですよ。私の口で塞ぎましょうか?」
アールファレムは動揺して、下をむいて小さく呟いた。
「アルスの馬鹿」
アルスラーダはアールファレムの顎を軽く持ち上げると、右手の人差し指で、アールファレムの口を軽くつついた。アールファレムは反撃に出た。ぱくりと指に噛み付いた。アルスラーダは暫く甘噛みされている状況を楽しんだが、名残を惜しみつつアールファレムに尋ねた。
「美味しいですか?」
舌で指を押し出し、顔をしかめて、アルスラーダを睨み付けた。
「不味い」
アルスラーダは可笑しそうに笑いながら、少し濡れた人差し指を自分の唇に押し当てた。
「アルスいやらしいぞ」
「自分から仕掛けておいて、それはないでしょう」
今更ながら自分の仕出かした行為に赤面すると、アルスラーダに責任を擦り付けた。
「アルスが先だろう」
突然、入口から咳払いする音が聞こえた。
「いつまで続くのですか?」
呆れ顔のルーヴェルが立っており、アールファレムは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「邪魔をするな」
途端に不機嫌になったアルスラーダはルーヴェルを睨み付けた。アールファレムは恐る恐る尋ねた。
「いつからいたんだ?」
「アルスの馬鹿辺りからです。因みにそれには私も同意見です。様子を窺おうと、静かに扉を開けたのがいけなかったみたいですね。流石に室内ではいちゃつくなとはいわんが、この時間は気を付けろ」
後半はアルスラーダに向けて、厳しく注意した。
「皇帝の私室に音も立てずに入り込むような奴が他にいるか!」
「お前は気付いていただろうが」
「気付いていたのか?」
驚いたアールファレムはアルスラーダを見たが、肩を竦めるだけだった。
「害はないので無視しただけです。アルファ様は私の指に夢中でしたので、気付かなくても仕方無いですよ」
アールファレムはにっこり笑い、手招きしてアルスラーダの顔を引き寄せると、おでこを指で力一杯弾いた。
痛がるアルスラーダを見て、少し溜飲をさげたアールファレムは、ルーヴェルに視線を移した。
「どうやら機嫌が直ったみたいで何よりです」
「……そんなにわかりやすかったかな?」
「あの手の行為を聞いて平静でいられるアルファ様ではないでしょう」
真剣な顔付きになり、腕を組んで、深く椅子に座り直した。
「……恐らく、カスパードは関与していないだろうな。そんな事が出来る男ではない。デュークの仕業のようだが。正直なところデュークの印象があまりない。優秀だとは聞いていたんだが、あまり喋った記憶がないんだ」
「そうでしょうね。アルファ様の視界から遠ざける様にしてましたからね。目が汚れます」
アルスラーダはさらりと言ってのけた。
「お前がまさかカスパードに紹介したんじゃないだろうな」
ルーヴェルは再びアルスラーダ犯人説を疑った。
「副官の人事は当人に一任されている」
「私は自分で補佐官を選んだ覚えがないんだがな」
「副官と補佐官は違うんじゃないですか?」
「そもそも何故名称が違うんだ?」
「さあ。宰相閣下じゃないですかね」
二人はルーヴェルを見たが、ルーヴェルも知らなかった。
「皇帝は補佐官、軍人は副官、文官には、秘書官になってますね。違いが分かりやすいですが、いつの間にか決まったんじゃないんですか」
「因みにルーヴェルは秘書官を自分で選んだのか?」
「当然でしょう。秘書官が有能なお陰で、こんなところでさぼれるんですからね」
「私との会話をさぼりと言い切ったな」
アールファレムは冷ややかな視線を送ったが、ルーヴェルには通用しなかった。
「アルファ様との会話は私の癒しの一時です」
女たらしのルーヴェルに舌打ちしたのは、帝国で唯一補佐官の肩書きを持つ男だった。
「ふふっ。お世辞でも嬉しいな。すまない、話が大分逸れたな。デュークとは実際どういう男だ」
アールファレムは再び会話を本筋に戻した。
「陰気くさい人物で、常に他人を見下している性根のねじれた男です。問題が多いので、配属も転々としてました」
アルスラーダの評価は散々だったが、ルーヴェルが頷いていたので、世間一般の評価なのだろう。
「蛇野郎というのがハリーがデュークにつけた渾名です。しかしなんでそんな男が副将になれたんだ」
ルーヴェルの疑問はもっともで、蛇が苦手なアールファレムは嫌悪感を剥き出しにした。
「能力が高いわりに副将どまりだったのは、品性が原因だろう。それに私が奴を推薦した訳ではない」
「その論法でいくと、将軍は皆、人格者という事になるぞ」
三人は将軍の面々を思い浮かべたが、明らかにその基準に満たない者がいそうだ。
「少々怪しいのもいるが、ああ見えて部下からの人望はあるからな」
アルスラーダが誰を想定しているかは、聞かない事にした。
「まぁとにかく、デュークなら女を殺す事も躊躇わずに出来るでしょう」
アルスラーダが断言すると、アールファレムは唸った。
「そんな奴が我が軍にいたのか。私はもう少し下の者にも目を配らないといけないな」
「副将まで皇帝が見る必要はないでしょう。直属の将軍が責任をとるべきです」
「そうだとしても、カスパードを任命したのは私だ。カスパードはゾレストに行かなければ、謀反など考えなかっただろう。或いはデュークが副官でなければ、今でも問題はなかったかも知れん」
「らしくないですよ。可能性を今更論じても、何ら現状は変わりません。起こった事を現実として受け入れるべきです」
ルーヴェルはきっぱり言い切ったが、カスパード以外なら恐らく謀反は起きなかっただろう。よりによってとは今だから言える事だった。
「確かにルーヴェルのいう通りだな。すまない。もう一つ聞きたい事がある。モーリッツの事だ。アルスとシルヴィンが揃って庇ってたみたいだが? あれでは違和感を抱くなという方が無理だ」
「モーリッツを見逃したかったからです」
ルーヴェルが即答したので視線で続きを促したが、それ以上喋る気はないようだった。アールファレムは軽く笑った。
「元々処分するつもりはなかった。モーリッツに罪はない。利用されているだけなら、彼も被害者だ。……それで私は知らない方がいいようなら、そうするが?」
「納得なさるのですか?」
「三人で決めた事なら私はとやかく言わないさ。信用しよう」
「理解ある主君で助かります」
アルスラーダは複雑な心境でやり取りを聞いていた。シルヴィンが含まれているのが気に入らなかったし、アールファレムが簡単に引き下がったのも、気に掛かった。
それに何処と無くアールファレムとルーヴェルの距離が、いつもと違って感じたのだ。
「アルス! 聞いているのか?」
「すいません。アルファ様、何の話でしたか?」
「壮行会の話だ。無理いってすまない。本当なら今夜がよかったんだが、急過ぎるので明日にしたんだ。先行部隊が間に合わないかも知れんが約束したんだ」
「急なのはいつもの事で宮殿の者は慣れていますよ。今朝ハリーと話していた件ですよね。中止なさるかと思いました」
「確かにそんな気分ではなくなったな。まぁ酒でも飲んで、憂さ晴らしという事にするさ」
「では私は仕事に戻ります。アルファ様もそろそろ平常通りに働いて貰いましょうか」
ルーヴェルがアールファレムの頭を一撫でして、にっこり笑うと、アールファレムはくすぐったそうに、目を細めた。
「そうだな。仕事に戻るとするか」
アールファレムは立ち上がると大きく伸びをした。ルーヴェルが先に部屋を出ようとしていたので呼び止めた。
「そういえばルーヴェル、モーリッツの子供は何歳だった?」
ルーヴェルとアルスラーダは同時に動きを止めた。
「……確か三歳ぐらいかと」
「そうか。もういっていいぞ」
アールファレムは手で下がるよう合図した。ルーヴェルは無言で深くお辞儀をすると、今度こそ部屋を出ていった。
「アルファ様」
アルスラーダは名前を呼び掛けたが、そこで言葉を詰まらせた。
「アルス、警戒しなくていい。信用していると言っただろう」
「手は打ってあります」
アールファレムはアルスラーダの胸に、おでこを押し付け、暫くもたれ掛かった。
「アルファ様?」
アルスラーダがアールファレムの背中に手を回そうとすると、顔を上げた。
「栄養補給完了だ」
アルスラーダの顔を真っ直ぐ見据え、アルスラーダの頬を軽く叩いた。
「行こうか」
力強く声をかけ、部屋を出た。アルスラーダは圧倒され、足早に追い掛けた。
敵わないな。アルスラーダは心の中で嘆息した。アールファレムの手のひらで転がされているのが心地好すぎた。愛しくて眩しくて、涙がでそうになった。
アルスラーダはアールファレムに怖くて聞けない事が一つあった。ゾレスト戦でアルスラーダを参謀に任命した真意である。勿論、今までも参謀を務めた事は何度もある。だが当然アールファレムの参謀としてだ。よりによってシルヴィンの参謀だった。あれを決めた時点で、シルヴィンはまだあの行為に及んでいない。アールファレムは自分を遠ざけたかったのか? カスパードの事がアールファレムの逆鱗に触れたのだとしたら、側にいられるのは今だけなのだろうか? アルスラーダは思考の迷路に迷い込んでしまった。




