17 ハリーの受難
「アルファ様、お早うございます」
早朝アルスラーダがアールファレムの私室に顔を出した時、既にルーヴェルが居座っていた。
「随分早いじゃないか」
「お早う、今来たところだ」
相変わらず、アールファレムの髪を梳かしながらルーヴェルは嘘をついた。本当は早く来てアルスラーダへの対応を話し合っていた。
「お早う、アルス」
「お身体は大丈夫ですか?」
本当は昨日も会いに来たかったのを我慢していたのだ。少しでも早く会いたくて、朝早く来たのにルーヴェルに先を越されて、少し悔しかった。
「もう大丈夫だ。心配かけて悪かった」
「その様な事仰らないで下さい。今回、私はアルファ様のお役に立てなかったのですから。お守り出来ずに私の方こそ申し訳ありませんでした」
「アルスのせいじゃない。それにもう終わった事だ。気にするな」
アルスラーダの中では、勿論終わってなどいなかったが、アールファレムが過去にしたいのなら、ほじくり返すような事は出来なかった。
「私は練兵所に顔を出してくる。二人はここで話し合っていてくれ」
「練兵所? こんなに早くにですか? しかもルーヴェルと話す事などないですよ」
「冷たいな。弟よ」
「誰がだ! アルファ様?」
アールファレムはアルスラーダの肩を叩くと部屋を出ていった。
「お前は捨て犬か!」
あまりしょんぼりしていたので、ルーヴェルは茶化した。
「煩い。昨日どれだけ会いに来たかったか!」
「我慢できたんだな。偉い偉い」
ルーヴェルはアルスラーダの頭を撫でた。ルーヴェルはアルスラーダが言い付けを守らないだろうと予想していた。
「気持ち悪い」
アルスラーダはルーヴェルの手をうっとうしそうに払い除けた。
「まぁゆっくり座って話そう」
「何の話だ」
「シルヴィンの話に決まっているだろう」
アルスラーダはますます顔を強張らせた。
「奴と話したのか」
「ああ。二度とあのような真似はしないと誓わせた」
「二度目があってたまるか!」
「アルス落ち着け。カスパードに関しては、お前のした事は不問にさせた」
「奴の許しが何故いるのだ!」
「本気で言っているなら、今すぐ補佐官を辞めろ。今回お前が仕出かした事は、アルファ様が庇える範囲を越えている。公になれば、お前の失職だけですまない」
「反省はしている。カスパードには悪かったとは思っているさ」
「今更カスパードを助ける方法はない。あればシルヴィンとの交渉に使えたがな」
「それほど兄弟仲がいいとは思えない」
「単純にはいかんさ。とにかくシルヴィンには絶対手を出すな。アルファ様の命令だ」
「……命令には従う。話がそれだけなら、アルファ様を追い掛ける」
「まだだ。昨日モーリッツが戻ってきた」
「間者か?」
「恐らくはな。デュークが簡単に逃がすとは思えない。そして逃げるにしても、家族を置いてくるような男ではない。大方、家族を人質に脅迫といったところだろうな。となると厄介なのが親友の二人だ」
「ハリーとフリードリッヒが勝手に動く可能性があるか。あの二人に抑えを任せたのは、まずかったか」
「どちらにせよ、モーリッツを会議に召喚する事になる。お前がした工作を全てデュークに押し付ける必要がある。お前がどこまで関与したのか、喋ってもらうぞ」
「実際には大したことはしていない。情報を操作しただけだ。アルファ様にはカスパードを推薦し、カスパードにはシルヴィンへの対抗心を煽っただけだ。幾つか流言をばらまき、デュークの動きを見逃し、動きやすいようにお膳立てしてやった。最後にはシルヴィンが討伐軍を率いて攻めるとの情報を流した。カスパードは精神的に不安定過ぎるからな。シルヴィンへの憎悪を掻き立て、アルファ様への不信に成長させるのは、そう難しい事ではなかった。これだけしかやってないぞ」
「庇う必要があるか疑問に思えてきた。本当に最後だからな」
「アルファ様を困らせるのは私の本意ではない」
「はぁ。まったくどいつもこいつも手間を掛けさせる!」
「任せた。それより練兵所で何かあるのか?」
アールファレムの方が気になるアルスラーダだった。
「ハリーとフリードリッヒが剣の訓練をしている筈だ」
「結構な事だ。私も参加しよう」
「あまり苛めるなよ」
アルスラーダは不敵な笑みを浮かべ、アールファレムを追い掛ける事にした。
アルスラーダはガルフォン軍では、シルヴィンと並ぶ程の剣の腕前だった。戦場では配下が少ない頃こそ、別動隊を指揮していたが、充実するにつれ、常に側で護衛に専念する様になった。
練兵所では、二人の将軍が剣を交えていた。アールファレムに気付いた二人が手をとめかけたが、首を振って続けさせた。昨日とは違いフリードリッヒが優勢だった。というよりハリーの動きが悪すぎた。暫くして、フリードリッヒが勝負を決めた。
「見事だ。フリードリッヒ。ハリー昨日私を助けた時に体調を崩したのではないか?」
「陛下、それは違います! これは、その……あのですね」
「陛下、気になさらないで下さいませ。ただの二日酔いです」
フリードリッヒは笑いながら不調の原因をばらした。
「成る程な。昨日はモーリッツが帰ってきたからな。宴会でもしていたのか?」
「申し訳ありません。見舞いだけの筈が気付けば、マルクス、ライナー、ビクトールも含めて昼間から酒宴を、お陰で医者にこっぴどく叱られました」
「ふふ。昼間からか、結構、結構。知っていたら、合流したのに残念だ。私も、夕方からルーヴェル、シルヴィンの三人で呑んでいたんだ」
「シルヴィン閣下もですか? ……大丈夫だったのですか?」
フリードリッヒの言外に込められた意味に気付いたアールファレムは、笑い飛ばした。
「勿論だ。色々心配かけたようですまなかった。もう大丈夫だから安心してくれ」
アールファレムはフリードリッヒの肩に手を置いた。
「二人とも昨日は助けてくれて有難う。本来なら昨日中に礼を言わなければいけなかったのに、遅くなって申し訳ない」
「その様な事……。頭を上げて下さいませ。我々は臣下として、当然の事をしたまでです。お気になさいますな」
フリードリッヒは仰天してアールファレムを止めた。
「いや二人は命の恩人だ。命懸けで私を救ってくれた。諦めかけた時にハリーが見えたんだ。どれだけ頼もしく思えたか。フリードリッヒもだ。ルーヴェルに聞いたのだが、見事な連携で救出してくれたそうだな。いくら感謝してもしたりない。本当に有難う」
ハリーは感極まり、涙ぐんでしまった。
「陛下。本当に御無事でようございました。今後は十分にお気をつけ下さいませ」
フリードリッヒは深々と頭を下げた。目頭が濡れているのをばれないようにする為だった。
「ああ、二度とあの様な事故は起こさぬ。フリードリッヒ、絶対にだ。約束する」
「私でお役に立つ事があるのでしたら、何なりとお申し付け下さいませ」
ハリーは二人の会話に違和感を覚え、怪訝な顔をしたが、アールファレムに握手を求められ、笑顔で応じた。アールファレムはフリードリッヒとも握手を交わした。
「何か褒美をとらそう。何がいいかな」
「恐れ多い事です。……そうだ! 陛下、先程の御話通り、今度一緒にお酒を呑みましょう」
ハリーは自分の思い付きに目を輝かせた。
「そうだな。酒宴を開くとしよう。でも、もうすぐ二人は帝都を出立するからな。よし壮行会を開くとするか」
「有難うございます。あれっ? そういえば、陛下の酔っ払ったお姿は記憶にありませんな」
ハリーの記憶では一度もなかった。いつもにこにことしているのは覚えているのだが、酔った姿は見た事がない。
「お前の意識が最後までもった事がないからだろう。陛下はそれほど量を召されないだけだ。大抵ルーヴェル閣下とアルスラーダ閣下が止めに入られる」
「たまにはあの二人抜きで呑みたいなぁ」
「許しませんよ」
いつの間にかアルスラーダがアールファレムの背後に立っていた。
「一度くらいは好きにさせてくれてもいいじゃないか」
口を尖らせるアールファレムは可愛かったが、アルスラーダが許すわけなかった。
「ご自身の酒癖を自覚なさって下さいね」
わざと強調した語尾と笑顔がとても怖かった。
「陛下の酒癖? どうなられるのだ」
ハリーは興味津々だったが、アルスラーダは冷たく素っ気なかった。
「皇帝の名誉が損なわれかねない。そんな事より練兵所にいるのに何をしている? 酒の話をしにきたのではないだろう」
鋭い視線にたじたじになるハリーにアールファレムが助け船を出した。
「私が邪魔したんだ。二人を責めるな。今から手合わせするところだったんだ」
「それはすまなかったな。ではハリー、私の相手をしてもらおうか」
「いやっ、朝から勘弁してくれ。しかも機嫌の悪いアルスラーダなんか最悪じゃないか」
機嫌の悪い人間にそれを指摘するのが、いかに危険かハリーは身をもって知る事となった。
哀れなハリーを横目にアールファレムとフリードリッヒは楽しく会話を弾ませながら汗を流した。
「くそー。一本も取れなかった。少しは手加減しろよ」
ハリーは床に大の字に寝転がり、全身で息をした。
「喋る元気が残っているようだな。加減し過ぎたな」
「こらっ、アルス。それぐらいにしろ」
アールファレムがアルスラーダの頭を軽く小突くと、少しはにかみながら頭を掻いた。
「少しやり過ぎたみたいです。ハリー、フリードリッヒ、お疲れ様。また後でな」
あっさりと挨拶をすませアルスラーダはアールファレムと共に練兵所を後にした。
「機嫌が直ったみたいでよかったな」
「俺の機嫌が悪くなったわ」
ハリーはふてくされて床に突っ伏し、フリードリッヒは隣に座って友人を慰める事にした。
「ふふっ。少しは発散できたみたいだな」
アールファレムはアルスラーダがすっきりした表情をしているので、少し安心した。
「八つ当たりでハリーには悪い事しました。本当なら直接奴を叩きのめしたいのですがね」
「武術大会まで我慢するんだな」
「次も優勝しますよ。アルファ様、応援して下さいね」
記念すべき第一回の決勝はアルスラーダとシルヴィンが争い、アルスラーダが優勝した。
「楽しみだな。褒美も考えておくか」
「絶対に勝ちますよ。そうですね。私の願いを一つ聞いて貰いましょうか」
「願い? 叶えられる範囲ならいいぞ」
「じっくり考えておきます」
アルスラーダはにやりと笑って、アールファレムの頬に右手を添えた。
アールファレムは顔を真っ赤にして、アルスラーダの手を払った。
「いやらしい事じゃないだろうな?」
「何を想像されたのです?」
アルスラーダは意地悪な笑顔を浮かべながら、アールファレムの頬をつついた。
「アルス。人前では控えろ!」
アールファレムの私室前で、いちゃつく二人の背後からルーヴェルは怒鳴り付けた。
「今度は二人きりの時にしましょうね」
アールファレムは逃げるように部屋に入った。
「いい加減にしろ、気を抜くな」
本気で苛立ったルーヴェルは、アルスラーダの頭を持っていた書類で叩いた。
「すまない。あまりにもアルファ様が可愛いからついつい調子に乗りすぎた」
「さっさと朝食をすませるぞ。会議前の擦り合わせをしておきたい。シルヴィンにも一度顔を出すよう伝えてある」
「……やむを得ないか」
「仕事だ、頭を切り替えろ。アルファ様は既に乗り越えられた。少しは度量を見せて貰うぞ」
「分かってるさ」




