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16 白昼の酒宴

「……ここは? 宮殿か?」


 モーリッツが目を覚ますと親友が心配そうに枕元から覗き込んだ。


「モーリッツ! 俺だ。分かるか?」

「ハリー、俺がお前を忘れる訳がないさ。……確か城門までたどり着いたところまでは覚えているんだが。そうか、宮殿まで運びこまれたのか」

「そうだ。なんと陛下がお助け下さったんだぞ。フリードリッヒとルーヴェルもいたが」

「陛下が? なんという……俺なんかをお助け下さるとは。……有難い事だ」


 モーリッツはゆっくりと上半身を起こした。まだ体が重たかったが、これ以上、友人に心配は掛けたくなかった。


「大丈夫か。あまり無理するなよ」

「大丈夫だ。ほとんど休憩もとらずにきたからな。大分、体はましになったみたいだ。……おいおい、なんでこんな真っ昼間に風呂に入っているんだ?」


 ほかほかと湯気を立てている親友を見て、思わず疑問が口をついて出た。


「ちょっと水泳したんだ」

「少しは季節を考えろ。相変わらず無茶苦茶な奴だな」

「いやいや、ハリーは英雄だったんだ」


 フリードリッヒが顔を出し、仲好し三人組が久し振りに顔を揃えた。


「目を覚ましたんだな。元気ではなさそうだが、無事で何よりだ」

「ありがとう。二人は元気そうだな。それでハリーが英雄とはどういう訳だ」


 ハリーは先程の出来事を興奮しながら聞かせた。


「陛下がご無事でなりよりだ。ハリーよくやった。本当に良かった」

「はっはっは。当然だ。しかし水中の陛下は綺麗だったなぁ。勿論今までもお美しいと思っていたが、あんなにお美しいと俺なんかが触れていいものか、一瞬迷ってしまったよ。すぐに俺に気付かれた陛下が手を伸ばされて、陛下が俺を待っててくれたと思うと嬉しくてさ、涙が出そうになったよ」

「確かに陛下はお美しすぎるな。……しかし妙だな。陛下は何故、舟遊びなどをなさったのだ。カスパード閣下の事で大変な時期に陛下らしくないな。即位したとの情報はこちらにも届いているのだろう?」

「ああ。昨日、軍議が開かれた。だからこそ気分転換されたんだろう」

「そんな事よりカスパードに敬称をつけるのはよせ。要らぬ誤解を招く」

「フリードリッヒのいう通りだ。あいつは謀反を起こしたんだ。もうお前の上官ではない」

「そう単純にはいかんさ。悪いお人ではない」

「人柄なんて関係ない! あいつは陛下を裏切ったんだぞ」

「その通りだ。だから逃げてきたんだろう?」


(頼むから肯定してくれ)

 フリードリッヒはモーリッツを縋るような目で見つめた。


「……ああ逃げてきた。家族を置いてな。俺は最低だ」

「仕方ないさ」

「仕方なくなどない!」


 間髪いれずに大きな声で叫び、肩で息をした。興奮した為、目眩がしそうになったが、これ以上、親友達に心配を掛けたくなかった。


「すまない。八つ当たりだ」

「いや、俺が考えなしだった。すまん」

「モーリッツ、取り敢えず何か食べた方がいい。空腹だと碌な事、考えんからな」

「そうだな」

「運んできてやる」


 ハリーは早速飛びだしていった。親友の為なら労苦を厭わない男だ。今まで一人で苦労したモーリッツの為に何かしてやりたいのだろう。


「ハリーは変わらんな。いつだって一生懸命で、真っ直ぐだ」

「そうだな。あいつは嘘をつかないからな。一緒にいてて居心地がいいんだ」

「本人には言わないのか?」

「口に出さなくても分かっているさ」


 フリードリッヒは照れ臭くなり、首筋を撫でると、モーリッツのおでこに手を当て、熱がないか確認した。


「羨ましいな」

「お前とも親友だろうが。他人事みたいに言うなよ。二人でどれだけ心配したと思ってるんだ」

「すまん。僻地にいると忘れられたみたいに錯覚するんだ」

「そんな薄っぺらい関係だと思うのか。本気で怒るぞ」


 フリードリッヒは真剣な眼差しでモーリッツを見詰めた。この二人は本当に変わらず自分を待っていてくれたのが分かった。泣きそうになり、咳払いして誤魔化した。

 脳裏に初めてフリードリッヒに会った時の事が甦った。ハリーとモーリッツは既に友人同士だった。新たに登用された貴族の長男は名門出らしく、平民の二人は貴族というだけで、フリードリッヒと距離をおいた。

 だがフリードリッヒは特に偉ぶるでもなく、ハリー達の強さに感嘆し、一緒に訓練をして欲しいと頭を下げた。身分で差別をしていたのは自分達だったのだ。あの時のばつの悪さは今でも覚えている。


「すまない。俺が悪かった」

「分かっているならいいさ。すぐにまた会えなくなるからな。私は近いうちにパルナンに派遣される。ハリーはサンデルだ。討伐軍の本隊は春まで動かないからな。我々で押さえ込む」

「そこが引っ掛かっていたんだ。春まで延期になったのは何か理由があるのか?」

「延期? まともな指揮官ならゾレストに冬に攻め込む訳ないだろう」

「急げば間に合った筈だろう」

「おいおい、無茶言うなよ。もうすぐ11月も終わるんだぞ。ゾレストの冬が厳しいのはお前が一番よく知っているいるだろうが」

「……確認したいのだが、出兵が決まったのはいつだ?」

「昨日だが、それがどうかしたのか」

「昨日……そうか。デュークか! 奴がカスパード閣下を……くそっ!」

「何があった? 最初から説明してくれ」

「9月にシルヴィン閣下が討伐軍を率いてゾレストに攻めてくると情報があった。陛下がカスパード閣下の謀反を疑い、信用出来なくなったと、そうデュークがカスパード閣下に報告したんだ。カスパード閣下が謀反を疑われている事はなかったのか?」


 フリードリッヒは目眩がしそうになり、椅子に腰掛けた。いったい誰が何の為にそのような情報を流したのか見当もつかなかった。あるいはシルヴィンやルーヴェルなら何か情報を知っているかもしれない。シルヴィンが皇帝に不逞を働いたのは、カスパードの事が関係しているのか? フリードリッヒは頭を振って、友人の話に集中する事にした。


「知らないな。少なくとも私は聞いた事はない。水面下であったのだとしても出兵が予定されていたら、私の耳にも入る筈だ」

「デュークの仕業だとしたら、あまりにも可哀想すぎる」

「モーリッツ、頼むからカスパードを庇う言動はしないでくれ」

「しかし、これでは酷すぎるではないか」

「例えカスパードが嵌められたとしても、奴は戴冠式まで行っている。今更、後戻りは出来ない。今は自分の事を考えるんだ」

「既に俺は疑われているのだな」


 フリードリッヒの態度で自分のおかれた立場を悟らざるを得なかった。


「迂闊な事を言わない様にしろ。事実だけ報告すればいいさ」

「……陛下に謁見したいが、取り次いでくれないか」


 モーリッツは返答をはぐらかし頼み込んだ。副将のモーリッツが謁見するには、正規の手続きを踏む必要があるが、今回その様な暇はない。将軍以上は手続きは不要である。皇帝が拒否しない限りは簡単に会える。そしてアールファレムが部下の要請を断る事はない。むしろ嫌な書類仕事から解放されるので、喜んで歓迎しているようだが、これはアルスラーダの見解に過ぎない。


「陛下は事故のせいで御休みをとられている。明日の出兵会議までには回復されるとは思う。恐らくその時に召喚されるだろう。ゾレストの詳しい情報が欲しいからな。なければ私から申し出るさ」

「そうだな。……はぁ、お腹が空いてきたな」

「元気が出てきた証拠だ」

「待たせたな」


 ハリーは大量の料理をのせた盆を両手に持って戻ってきた。


「おいおい。いくらなんでも多過ぎないか」

「そうか? 動いた後だからな。腹がへっているんだ。モーリッツの分は消化によさそうな物を作らせたからな。まだまだくるから遠慮するな」

「お前も食べるのか」

「久しぶりに再会したんだ。当然、宴会するだろう。ビクトールとライナーにも声をかけたぞ」

「儂も呼ばんか。馬鹿者!」

「じじぃは呼ばれんでも来るだろうが」


 三人が乱入してきて、一気に室内が騒がしくなった。


「誰がじじぃだ!じぃじゃ」

「もう訳がわからん」


 ライナーが頬の傷をぽりぽり掻きながらぼやいた。


「ライナーその傷はもう痛まないのですか? 見ていて痛々しいです」


 ビクトールは年下のライナー相手にも丁寧に話した。


「ああ古傷だからな。掻くのは癖だ」


 基本的に将軍達の間に差はない。年齢を気にするかどうかは個人の問題だった。そしてあまりそこを気にする人間はいなかった。

 長幼の序などとマルクスが主張しても、まったく説得力がなかった。マルクスが一番精神的には幼いのではないかとライナーなどは思っていた。口さがないハリーなどは幼児返りだと揶揄して喧嘩になった事もある。


「こらっライナー止めんか」


 ハリーと言い合っていたが、一向に制止されないので、マルクスがライナーを叱り付けた。


「待っていたのかよ!」


 ライナーは思わず年長の同僚に突っ込んだ。


「当たり前だ。ハリーみたいな無礼者から儂を守らんか」

「成る程な。じぃはライナーがいるから好き放題出来るという訳か」


 フリードリッヒが妙に納得して頷いたが、ライナーは嫌そうに顔を歪めた。


「替わってくれ」

「ハリーとどっちがいい?」

「……まだじぃの方がましだ」

「ライナーどういう意味だ!」

「儂の人徳じゃ」

「そんなものあるか!」


 いきなりの賑やかさにモーリッツは楽しそうに笑いだした。


「まったく皆は変わらないな」

「モーリッツ、災難だったな。とにかく食べろよ」


 ライナーはスープを溢さぬように、モーリッツに渡した。


「ありがとうございます」


 モーリッツはスープを飲みながら、涙を流した。空腹が満たされて泣いた訳ではない。

(カスパード閣下が、もしデルレイアに残っていたら、このような残酷な結果にはならなかった)


「どれだけ腹が減っていたんだよ」


 ハリーは空になったスープ皿を受け取ると、盆の上に食べられるだけの料理をのせて、モーリッツの膝の上に載せた。


「すまんな。デルレイアまでの道中、ほとんど食事も取れなかったんだ」


 温かい食事はモーリッツを癒したが、心の奥底はまだゾレストの冬の様に凍結されたままだった。


「モーリッツ。とにかく食べろ。あまり考えても仕方ない。出来る事からしろ」


 親友が泣いた原因が空腹などではないことを察していた、不器用なハリーらしい慰め方だった。


「ああ。ハリーはいつでも正しいな」

「家族の事は任せろ。俺が助けてやる」

「捕まっているのか?」


 マルクスが心配そうに眉をひそめた。モーリッツに幼い子供がいるのは知っている。


「カスパードは女子供に手を出すような奴ではない」


 ライナーが断言したが、ビクトールが首を振りながら反論した。


「謀反する様な人物でもなかったでしょう」

「先程モーリッツに聞いたのだが、カスパードは嵌められたらしい」

「誰に?」


 マルクスはきな臭い内容に鋭い眼光を放った。真剣な眼差しは先程ハリーとふざけていた時とは、まるで別人のようだった。


「デュークみたいだな」

「カスパードの馬鹿野郎が! デュークなんぞにおめおめと操られよって!」


 マルクスはカスパードの為に本気に怒り出した。ここにいる全員カスパードが憎い訳ではない。カスパードは仲間だったのだ。


「今から陛下に奏上すれば、まだ許されるかも知れませんね」

「ビクトール、もう手遅れだ。昨日の話を聞いただろう。カスパードは王に即位までしている。許しては帝国の権威は、がた落ちだ」


 ライナーは肩を竦めて、ビクトールの意見を否定したが、心情としてはライナーとて一緒である。


「くそっ! どうにもならないのか」


 ハリーは苛立ったが、誰も妙案は出ず、黙りこくってしまった。


「よしっ! 仕方ない。呑むぞ」


 ライナーは酒を注ぐと皆に勧めた。どうしようもない事で悩むのは性に合わないのだ。


「そうじゃな。呑んだら名案が出るかもしれん」

「じぃの口から悪態以外が出た事はないわ」


 ハリーは反射的にマルクスに噛み付いたが、今回マルクスには余裕があるようだ。


「はっはっは。儂の知性に気付かんのは、まだまだ未熟だからじゃ。精進せい」

「だからこの二人を一緒にするなよ」

「じぃはそっちの担当だろう。ほらまたお前の方をちらちら見てるぞ」

「可愛いくない」


 ビクトールはひそひそと会話するフリードリッヒとライナーの肩を叩いてにこやかに頷いた。


「頑張って下さいね」

「結構ビクトールって薄情じゃないか」

「やだなぁ。フリードリッヒ、私が止めてもあの二人が聞く訳ないでしょう。適材適所ですよ」


 にっこり笑って同僚に押し付けて、酒宴に参加する事にした。


 夕暮れ間近、ぐだぐだになった酒宴はようやく終わりを迎えた。混沌とした宴会場に医者の怒鳴り声が響いた。


「モーリッツ殿は病人ですぞ。何故、病室がこのような惨事に! 良識派のフリードリッヒ閣下や、ビクトール閣下がいて何故こうなるのですか!」


 ライナーの名前が医者の口から出なかったのは、ライナーが眠りこけていたからだろう。


「すまん。だがモーリッツも大分回復したみたいだぞ」


 モーリッツも酒を呑まされ、寝台でライナーと一緒に眠っていた。ハリーとマルクスは床に酒瓶と共に転がっていた。

 フリードリッヒとビクトールは酒に滅法強かった。だがその為に比較的良識派の二人は、代表で医者から怒られる羽目になった。

 因みに、急に上官が休暇を取った為に、部下達が大変な目にあった一日でもあった。翌日こってり絞られたのは、一人ではすまなかった。


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