15 父娘の確執
アールファレムの父メフェウスは妻のミデアを溺愛していた。その一方、アールファレムの事は一度も抱き上げた事もなく、必要な時以外会話すら交わさなかった。アールファレムはなんとか父に気に入られようと頑張ったが、メフェウスはアールファレムの存在を無視するだけだった。ミデアも何度かメフェウスに懇願したが、メフェウスの態度は全く変わらなかった。ミデアは父親に無視されて泣くアールファレムを抱きしめ、ごめんねと謝りながら自分も涙を流した。
アールファレムの容姿はミデア譲りで二人が並ぶと、絵画のように美しかった。幻想的な光景を目にした二人、幼いアルスラーダは悔し涙を浮かべ、ルーヴェルはアールファレムを守る事を誓った。
アールファレムが十歳の時ミデアは病死した。ミデアの死はメフェウスを狂わせた。アールファレムに対する態度以外は普通だった。普段から子供に無関心な父親。だがいつの間にか無関心ではすまなくなっていた事に、周囲は気付かなかった。唯一ルーヴェルだけが、危険な兆候を感じ取っていた。
ある夜、息苦しさを感じたアールファレムが目を覚ますと、メフェウスが首を絞めていた。
「ち……うえ?」
アールファレムの声で我に返ったメフェウスは手を離し、無言で立ち去った。
アールファレムは誰にも相談出来なかった。アルスラーダにすら怖くて言えなかった。
ばれればアルスラーダがメフェウスを殺そうとする事が分かったからだ。アールファレムは平静を装ったが、ルーヴェルには見破られた。アールファレムを守る誓いを果たせていなかった自分を恥じ、その日からアールファレムの側を離れなかった。夜も一緒に過ごすようになり、拗ねるアルスラーダと共に、三人で寝る様になった。
勿論メフェウスの元を離れれば、その習慣はなくなったが、何かある度、アールファレムはルーヴェルに一緒に寝るよう要求するようになった。流石に皇帝になってからは、控えるようになったが、昨夜は久々に甘えたようだった。
ある日、メフェウスはアールファレムを呼んだ。
叔父が死に、アールファレムが跡を継ぐ事が決まった事を伝え、出ていくように通達した。
「一つだけ教えて下さい。何故父上は私を憎むのですか?」
「私の子ではないからだ」
「そうではないかと思っていました」
「父親の事を教えてやろう。あいつは旅人だった。名前は知らん。ミデアの家に暫く厄介になりミデアに惚れた。婚約している事を知ると、奴はミデアに乱暴して逃げ出した」
「……」
「傷付いたミデアを慰め、結婚はそのまま行った。ミデアの名誉の為には周囲に知られる訳にはいかなかったからな。ミデアの妊娠に気付いたのは結婚して、すぐの事だ。ミデアは体が弱かった。お前ら父娘のせいでミデアは苦しんだ。乱暴され、憎むべき男の子供を産まされたミデアの気持ちが分かるか。子供に罪はない。ミデアはそう言ったがそれは違う。お前は産まれるべきではなかった。お前は私に過去を忘れさせてくれない。ミデアと同じ顔を何故憎まなくてはいけないのか。衝動的に沸き上がる殺意にこれ以上は耐えられない。今すぐ私の前から消えろ。今回の話は自分で決めていい。だが断っても、ここにはお前の居場所はない」
メフェウスは長々と胸の内を語ったが、アールファレムには父に話すべき事は何もなかった。
これが二人がまともに交わした最初で最後の会話であった。
あまりにも壮絶過ぎた。だが腑に落ちる事も多かった。アールファレムのどこか不安定な部分や、歪なルーヴェルとの関係性に納得出来た。
幼なじみというだけでは有り得ない親密さ、ルーヴェルを父親代わりとして慕っていたのだとすると納得出来た。依存という言葉が浮かんだ。
「そんな過去があったのですか」
「ああ。家を出てほっとしたよ。父にいつ殺されるか分からない恐怖から解放されたんだからな」
「いっそメフェウス様を殺そうとも考えたんだが、アルファ様が反対なさったので、諦めたんだ」
「アルスに隠していた意味がないじゃないか。別に父に同情した訳じゃないさ。あんな男のせいで、ルーヴェルやアルスが処分される方が嫌だっただけだ。本当に可哀想だったのは母上の方だ」
「気の毒な方ですよね。……!シルヴィン、大事な事を確認したいんだが、昨日の事だ。勿論アルファ様が妊娠しない様に気をつけたのだろうな」
「……すまない。可能性がないとはいえない。……陛下、本当に申し訳ありませんでした」
「……」
こればかりは謝罪してもどうしようもない。三人は暫く黙りこみ、事態の深刻さを思いやった。
「母娘揃ってか……。まぁ起きた事は仕方ないさ。確率は低いしな」
「しかしミデア様は一度で……。いえ何でもありません。そうですね。何年も子供が出来ない夫婦もいるのですから、大丈夫でしょう。……多分」
ルーヴェルは自分に言い聞かせた。シルヴィンは流石に発言出来なかった。昨日の自分を殺してしまいたかった。
「アルファ様、一つ謝罪する事があります。今回の事なんですが、フリードリッヒに知られました」
「どこまでだ」
「女だとは以前から疑っていたみたいです。アルファ様を部屋に運びこんだ時に、シルヴィンと交わした会話を聞かれたようです。それだけで、今回の事を全て当てられました。」
「あの時の会話? たったそれだけでか」
「ああ。アルファ様をシルヴィンが追い詰めた、それだけの内容と、昨日アルファ様が休暇をとられた事で推測したようだ」
「勘が良すぎるのも良し悪しだな。戦場では頼りになるのだがな」
「シウには強い怒りを抱いているからな。気を付けろよ」
「シウと呼んでいいのは陛下だけだ」
シルヴィンは軽く睨み付けた。酒の力ではないが、かなり寛いで会話を楽しんでいた。罪悪感で縮まれるよりよっぽど、シルヴィンらしかった。
「ふふっ。私の特権だな。しかしアルファとは呼ばせんぞ。アルスが拗ねるからな。今後、私的な場ではアールファレムと呼ぶようにしてくれ」
「光栄に存じ上げます。アールファレム様」
「しかしフリードリッヒもか。やはり限界かな」
「かも知れませんな。しかし公表となると、文官の方は問題のありそうな人物はいません。民衆の反応は正直、読めません」
「将軍達は間違いなく、アールファレム様を支持するでしょう。兵士の方も大丈夫と思いますが、公表する時期を見誤ると、混乱を招く事になりかねません。いっそ将軍達には先に話しておいた方がいいかも知れませんな。その後の対処も任せらますし」
「そうだな。少し怖いが信頼を得るためには、こちらから信用すべきだな。問題はその時期だが……」
「カスパードの問題が片付くのを待つ方がいいかもしれません。人心が安定してから主だった者を集めて、公表するのが得策かと」
「だとすれば春過ぎになりますな」
「その辺りまでは、秘密を保持しよう。今更、性急に事を進めるのは危険が大きい」
アールファレムは酒杯に手を伸ばしたが、ルーヴェルに遮られた。
「飲み過ぎです」
「うー、けちんぼ」
頬を膨らませるアールファレムは可愛い過ぎてシルヴィンには目の毒だった。
「もう少しぐらい、いいと思うが」
「ほらほらシウも言ってるじゃないか。ルーヴェル」
「一杯だけですよ」
上目遣いでお願いしたアールファレムにあっさり陥落するルーヴェルだった。
「ありがとう。ルーヴェル大好き」
長椅子に並んで座っていたのだが、ルーヴェルに擦り寄り、頭をもたれ掛けた。ルーヴェルはアールファレムの頭を撫でた。
「はいはい」
「……成る程。いつもルーヴェルが酒量を制限していた理由が分かった」
「人前に出せんからな」
「何か問題があるのか」
アールファレムは本当に分かっていないようだった。顔が少し赤いぐらいで、まったく酔っているようには見えなかった。
「いえアールファレム様に問題など、これっぽっちも御座いません」
殊更強調して否定するシルヴィンはルーヴェルを羨望の眼差しで眺めた。
「二人きりで酒は呑ませんからな」
「分かってるさ」
シルヴィンは重ねて昨日の事を後悔し、溜め息をついた。アールファレムが最後の一杯を飲み干すと、ルーヴェルは嫌がるアールファレムを寝室まで強引に運び込んだ。
「まだ眠くない」
「駄目です。今日は大変な目にあったんですから、休んで頂きます」
ルーヴェルが絶対に退かないのを覚り、アールファレムは渋々諦めた。
「……お休み」
「いい子ですね。お休みなさいませ」
ルーヴェルはおでこに口付け、ちゃんと眠りにつくのを見届けてから、シルヴィンの元に戻った。
「アルスラーダより、お主との仲の方がよっぽど親密に思うのだが、アルスラーダ閣下は妬かないのか」
「たまに拗ねるけどな」
「先程、アールファレム様も仰ったが、あのアルスラーダ閣下が拗ねるところが想像つかないんだが」
「補佐官閣下は有能で、冷静沈着、常に陛下の事を最優先という訳か」
「そう思っていたんだが、どうやらそうでもなさそうだな」
「アルファ様の事となると簡単に仮面が剥がれる。お主を殺すと喚くあいつを宥めるのに苦労したぞ」
「本当にすまない」
「アルファ様が許した以上、とやかく言わないさ。子供が出来ていなければの話だがな」
「気持ちが手に入らないのは分かってはいたんだが、あの方の全てを自分の物にしたかった。子供に関してはそこまで考える余裕はなかった」
「届かぬ思いか。皮肉なものだな。アルスは昨日の朝、アルファ様にやっと告白したらしい」
「まだその段階とは思わなかった。だがアールファレム様は確かに初めてだった」
「だから余計に興奮したんだろうな。言っておくがアルファ様は口付けすらまだだったんだぞ。やっぱり一発殴らせろ」
「お主とはしているだろう」
「口にする訳ないだろうが。おでことか頬とか頭とかにはするが」
「馬鹿らしくなってきた。あんなに懐かれて本当に何ともないのか。男として何か問題があるんじゃないか。女関係の噂には事欠かないのは知っているが」
「昨日同じ事をアルスにも言われたよ。問題が起きた事は今までない。だが特定の恋人を作るつもりもない。アルファ様より大事に出来る筈もないからな」
「それが恋愛感情じゃないのか?」
「違うね。一緒に寝ても愛しいとは思うが、そういう気にはならない」
「まだ一緒に寝てるのか? 先程の話では、家を出るまでではなかったのか?」
「何か辛い事があった時だけだ。昨夜とかな」
「……そうか、羨ましい気もするが」
「お主にしたら生殺しの環境だぞ。耐えられるとは思わんな。アルファ様も私が安全だから甘えられるんだ。だからアルス相手には意識してしまって、上手く甘えられない」
「アルスラーダ閣下の気持ちなんて分かりきっているだろうに」
「傍目では一目瞭然だが、当人からすれば確証はとれない。まだ二人は未熟だ。だがアルスは変わらざるを得んだろう。お主が現れた事に焦っている。拙速しなければいいんだがな。そしてお主はアルファ様をも変えてしまった。アルファ様は強くなられた。今回の困難を乗り越えた事により大きく成長された。もしアルスがこれ以上勝手な真似をするなら容赦しない。だがアルファ様は壊れてしまう。シルヴィン、今後、あの二人を黙って見守る事が出来るのか? アルファ様を守り、アルスを導く事がお主に出来るのか?」
「……して見せるさ。私はこれ以上アールファレム様の期待に背く訳にはいかない」
「辛くなったら私に言え。添い寝ぐらいしてやるからな」
ルーヴェルは片目を瞑り、友に声援を送ったが、シルヴィンはげんなりして酒を煽った。
「よせ。想像しただけで酒が不味くなる」




