13 湖の悲劇
ルーヴェルはハリーとフリードリッヒを中庭に連れ出した。
「話なんて別に部屋の中でもいいだろ」
モーリッツの事が気になるハリーは部屋にいたがったが、ルーヴェルは認めなかった。フリードリッヒは陰鬱な表情を浮かべながら無言で従った。
「病人の側で騒がしくする訳にはいかんだろう。それに誰かに聞かれると困るからな」
「まだお疑いですか?」
フリードリッヒはルーヴェルを睨み付けた。例え宰相相手でも、親友の為なら一歩も譲る気はなかった。
ハリーが話についていけず、二人を問い質そうとした時、大きな悲鳴が聞こえた。
「今の声は? フィリップか!」
三人は悲鳴と同時に走り出していた。
宮殿の中庭には小さな湖があり、真ん中辺りに無人の小舟が一艘浮かんでいた。悲鳴を聞き付けた兵士が何人か集まり、騒然とするなか、フィリップが茫然としながら、地面にへたり込んでいた。
「フィリップ! いったい誰が落ちた? まさかアルファ様か!」
声を掛けられ、われにかえったフィリップが、服のまま湖に入ろうとしたので、ルーヴェルはフィリップの腕を掴んで引き寄せた。フィリップは反対の腕を伸ばし湖面を指差した。
「陛下が! 陛下が! 早くお助けしないと!」
「それを早く言え! 舟を出せ! 早くしろ!」
ハリーは兵士に向かって叫びながらも、剣を外し素早く下着姿になると湖に飛び込んだ。フリードリッヒは焦る気持ちを抑えつつ、兵士達と一緒に舟の準備に取り掛かった。
「ハリー! ……頼む。必ず陛下をお助けしてくれ」
やっと舟が運びこまれると、フリードリッヒは急いで追いかけた。
ルーヴェルは泣きじゃくるフィリップの肩に手を回し励ましながらも、湖面から目を離さなかった。
冷たい冬の水温もハリーには感じられなかった。絶対助ける、その一心で泳ぎ続けた。舟の近くにアールファレムは沈んでいた。ハリーは急いでアールファレムを引き揚げた。水面に上がり、アールファレムの乗っていた船縁を掴んだが、流石に服が水を吸って、引っ張っり上げるのは一人では厳しかった。フリードリッヒの到着を待ち、二人でアールファレムをフリードリッヒの舟に乗せた。
フリードリッヒは、まずアールファレムの呼吸を確認した。
「陛下はご無事だ! 皆、安心しろ」
歓声が上がり、フィリップはその場にしゃがみこんだ。
「陛下! 良かった」
泣きながら安堵する少年を見るとルーヴェルの胸は痛んだ。
ハリーだけの舟がまず戻り、そのすぐ後にフリードリッヒ達の舟が戻ってきた。ハリーは舟から飛び降りるとアールファレムを運ぶのを手伝った。
「二人とも、よくやってくれた」
「そんな事より、早く陛下をお部屋へ!」
ずぶ濡れのハリーは、微かに意識のあるアールファレムをルーヴェルに預けた。
「ああ。任せてくれ」
ルーヴェルはアールファレムをしっかりと抱き上げると、急ぎ足で宮殿内に運びこんだ。
「ハリー! いったい何があった?」
シルヴィンが騒ぎに気付き、湖に駆けつけてきた。ハリーが事情を説明すると、シルヴィンは遠目に見えるルーヴェルを追い掛けた。
「おい! ルーヴェル、陛下は?」
ルーヴェルの肩に手を掛けたが、ルーヴェルはシルヴィンを一瞥しただけで足を止めなかった。
「誰のせいで、こうなったと思うんだ! 貴様がアルファ様を追い詰めた」
「そんな! 私は陛下を……馬鹿な!」
シルヴィンはその場で固まったが、ルーヴェルは気にする事なく、アールファレムを連れ去った。早足で部屋まで駆け抜けると、服を手早く脱がし、ゆっくり寝台に寝かせた。半身を支えながら、胸に巻いている晒しを外していると、涙が滲み出て手元がはっきり見えなくなった。
「ルー……」
「無理に話さなくても結構です」
「……寒い」
「少し我慢して下さい」
丁寧に体を拭くと、素早く寝間着を着せた。
「昨日からこんな姿ばかり見せるな」
「これで最後にして頂きたい」
少し涙声になっているのをアールファレムは聞かなかった事にした。
「ふふ。私の裸はそんなに魅力ないか?」
「手を出して欲しいのですか?」
ルーヴェルは介抱する手を止める事なく会話を続けたが、だんだんアールファレムの声が小さくなった。
「……すまない、疲れたみたいだ。……眠い」
「ゆっくりお休み下さい」
アールファレムが完全に眠ったのを確認したルーヴェルは、フィリップにルーヴェル以外の面会を断るよう命令した。
「アルスラーダもだ」
「分かりました」
シルヴィンを探しに中庭に向かおうとしたが、途中の廊下でフリードリッヒが険しい顔で待ち構えていた。
「少しお時間を頂けませんか。大事な話があります」
「すまないがモーリッツの件なら後にしてくれないか? 今は忙しいんだ」
ルーヴェルは苛立ちを隠そうともせず、通り過ぎようとしたが、フリードリッヒがルーヴェルの腕を掴んだ。
「シルヴィンの事です」
「シルヴィン?」
ルーヴェルは警戒してフリードリッヒの顔を見やった。新たな問題の予感で頭痛がしそうになった。フリードリッヒは本来、礼儀正しい男である。上官を呼び捨てにするなど、何か知っているとしか考えられなかった。
「シルヴィン閣下がどうされた」
ルーヴェルがわざと敬称を強調すると、フリードリッヒは険しい表情のまま声を落とした。
「このような場所で話しては陛下がお困りになられるだろう」
どこまで知っているか計りかね、ルーヴェルは無言で自分の執務室まで移動した。
「それで何の話かな」
「陛下と大将軍に何があったんでしょうか?」
「何もない」
「先程お二人の会話が耳に入りました。シルヴィンが陛下を追い詰めたと聞こえました。陛下は自殺なさろうとしたのではないのですか? それも大将軍のせいで!」
自らの迂闊さを呪い、舌打ちしたいのを堪えた。
「聞き間違いではないか。シルヴィンと陛下に問題など起こる筈がない」
「陛下は昨日、昼から休暇をとられた。しかも急にだ。今までこのような事はなかった」
「カスパードの事で心を痛められたのだろう」
「シルヴィンは秘密を知ってしまったのではないか? 秘密を盾に陛下に無理を強いたのではないか」
ルーヴェルは頭を抱えたくなった。いったい何人の人間が秘密に気付いているのか。そろそろ限界なのかも知れない。
しかしこの男は何故あの程度の会話で、そこまで想像できるのか? しかも正解しているのが、たちが悪かった。
「聞かなかった事にしよう。想像だけで上官を告発するなど、どんな処分を受けるか考えるんだな」
フリードリッヒはルーヴェルの話を無視して、自分の考えを続けて述べた。
「陛下は女性ではないのですか? 私を信用して下さい。誰にも漏らすつもりはありません」
(それなら一生、心に秘めていてくれ! 私に聞かせるな)
残念だがルーヴェルの心の叫びはフリードリッヒに届かなかった。
「不敬罪を覚悟の上か?」
「根拠はありません。ですが、いつまでも隠し通せる訳がない」
「フリードリッヒ、落ち着け。いろいろあって疲れているんだ」
「私は正気です。心配しないで頂きたい。私の忠誠は揺るぎません」
その言葉に嘘偽りはないだろう。フリードリッヒは誠実な男でシルヴィンなんかより、よっぽど信頼できる。それなら……。
「私にも立場がある。その様な戯言を認める事は出来ない。だがお主が心で思う事は自由だ。口にしない限り、私のあずかり知らぬ事だ」
これでは認めたのも同然であるが、建て前が大事な場合もある。
「勿論です。もし、大将軍を排除……」
「軍の最高司令たる大将軍に処分を下す訳にはいかん」
「馬鹿な! 陛下を害するような男です」
「私はその妄想に付き合う気はない」
「宰相閣下!」
「とにかくシルヴィンは我が国にとって必要な男だ」
昨日から何回口にしたのか分からない台詞であった。そうでなければとっくに殺している。
「陛下の御意でもある。フリードリッヒ、私に任せて欲しい。陛下は穏便な解決をお望みだ」
「分かりました。何でも仰って下さい。必ず陛下のお役にたって見せます」
「期待している」
フリードリッヒが退室しても、ルーヴェルは暫く動けなかった。
能力以上の事を求められているのは分かっていた。しかし誰も頼れない以上、非力な自分が奮闘するしかなかった。
フリードリッヒは有能な男だ。味方が増えたと歓迎する事にしよう。アールファレムに報告すべきだろうか? 今のアールファレムなら、どの様な事態も処理するだろう。
「さて、次は本命を落とすか」
ルーヴェルの本命は中庭にある木にもたれ掛かっていた。ここからは湖がよく見えた。
ルーヴェルは周囲に人がいないのを確認した。同じ過ちを繰り返す訳にはいかなかった。
シルヴィンはルーヴェルに気付くと、慌てて駆け寄った。
「陛下は? 陛下はご無事なのか?」
シルヴィンはルーヴェルの冷ややかな視線にたじろぎ、少し後ずさった。
「ああ。ご無事だ」
「良かった。本当に良かった」
安堵したシルヴィンはその場にへたり込んだが、ルーヴェルは胸ぐらを掴み、顔を近付けた。
「無事で良かったな。いい性欲の捌け口だからな。秘密を盾にやりたい放題。皇帝を傀儡にして帝国を支配する。素晴らしい計画だ」
「違う! そんな私は……信じてくれ。そんな気はなかった」
シルヴィンは必死に否定し、ルーヴェルの足にしがみついた。
「他にどう解釈しろというんだ。アルファ様は貴様に怯え、恐怖に負け死を選ぼうとなさった。ハリーやフリードリッヒがいなければ、どうなっていたか!」
「違う……。私は陛下に……。陛下を……」
シルヴィンにはそこまで皇帝を追い込んだ自覚はなかった。生涯忠誠を誓うなどと自己陶酔している場合ではない。自殺が未遂ですんだのは偶然の産物だ。ただ少しだけ夢を見たかった。一時の甘美な夢、皇帝の意志を無視した独り善がりの愚行。
「私は陛下を愛している」
「だからなんだ。相手の意志は無視か。そもそも女を力ずくで抱くなど……。その様な男ではないと思っていたが」
「……弁解の余地もない。まさか自分でも……いやこの期に及んで言い訳はよそう。顔も見たくはないだろう……自害の方が迷惑にならないな。時期はお主に一任する。後任の準備等、都合が付き次第すぐに死ぬ事にする」
ルーヴェルは内心では驚いていた。ここまで効果があるとは思っていなかったのだ。アールファレムが命を懸けた甲斐があった。
「アルファ様は先程一度目を覚まされた。私にお主に詫びて欲しいと仰られた」
シルヴィンはルーヴェルが何を言っているのか理解できなかった。
「馬鹿な! 何故陛下が私に詫びるのだ!」
「最初から女である事を打ち明けておけば良かったと、後悔しておいでだ。不信を招いたのは自分にこそ原因があると。初めて会った頃に戻りたいとまで仰られた」
勿論その様な事アールファレムが言う筈がない。実際は適当に言いくるめるように仰せつかっただけである。
「カスパードの事もご自分の責任を痛感しておられる。もしお主が許してくれるのなら、再び自分に仕えて欲しいと仰せだ」
シルヴィンにとってルーヴェルの言葉は神託同然であった。地面に両手をついて、唇を強く噛み締め、己の不義を恥じ入った。
「陛下に責任などありはしない。しかし私をお許し下さるのか。だが……お言葉に甘えていいのだろうか?」
「……正直なところ私はまだ信用しきれない。あの様なアルファ様を見た後でどうして許せるのか。あんな冷たい水の中に……お可哀想に。……それでも私はアルファ様の判断に従う。だが二度目はないと思え。次は必ず殺す」
それはルーヴェルの偽らざる本心だった。アールファレムが危険な真似をしてまで、この男を必要としたのだ。
「ありがとう。私は今度こそ陛下にこの命を捧げる。二度と陛下を裏切らないと誓う。すぐに信用してくれとは言わない。だが見ていて欲しい」
「信用したいものだな。アルファ様はお休みになられている。意識が戻り次第、お主を呼ぶ筈だ。それまでは軍務に励む事だな。昨日から業務が滞っているのはこちらだけではあるまい」
「私のせいで申し訳ない。直ちにかかるとしよう」
「その前に頼みたい事がある」
「何でも言ってくれ」
即座に反応するシルヴィンは流石に気持ち悪すぎた。今まで他人と一歩距離をとっていた男とは思えぬ変わりようである。ルーヴェルはなかば呆れるように笑いながら、シルヴィンが立ち上がるのに手を貸した。
「変わりすぎだ」
「すまない。だが少しでも役に立ちたい」
「助かるが自然にしてくれ。不信がられるからな」
「分かった。それで何をすればいい?」
少しでも恩を返したいのだろう、積極的に協力を申し出た。ルーヴェルとしては、やり易くなったのだが、違和感は半端なかった。
「アルスラーダの事だ。これ以上あいつに馬鹿な真似をさせないように牽制して貰いたい」
「難しい事を言ってくれるじゃないか」
「そうでもないさ。あいつは今、お主に対抗心を燃やしている。見本を見せるだけでいい。ただ陛下の為に尽くす。それだけの事だ」
「既に憎まれているだろうからな。しかし随分苦労しているようだな」
「まあな。だがあいつはいるだけでアルファ様の役に立つ」
あまりにも酷い言い分だが、シルヴィンは意見を言える立場にない。
「分かった。色々ありがとう」
ルーヴェルがシルヴィンに和解の握手を求めると、照れ臭そうに応じた。余人が見たら気味の悪い光景に違いなかった。




