12 モーリッツの帰還
ルーヴェルは早くに目覚めたので、アールファレムの寝顔を観察する事にした。気持ち良さそうに寝息をたてており、昨日の出来事が嘘のようだった。暫くそのまま眺めていたが、アールファレムのまつ毛がぴくりと動き、ゆっくりと目を覚ました。ルーヴェルと目が合うと、嬉しそうに笑う様がとても無邪気で可愛らしかった。
「お早う、……もう起きていたのか」
アールファレムは、ねぼけまなこで目を擦ったが、外はまだ暗かった。
「お早うございます。寝顔に見とれていました。御加減は如何ですか?」
「眠い。……まだ外は暗くないか」
再びシーツに潜り込もうとしたので、引っ剥がした。自分も寒かったが、そこはやせ我慢した。
「駄目です。少し身体を動かして頂きます」
「寒い。もう少し優しくしてくれないか」
「これ以上? 無理ですな」
ルーヴェルは起き上がると、ブラシを手に取りアールファレムを促した。アールファレムもゆっくり起きると椅子に座った。
「ルーヴェルは髪を梳かすのが好きなのか?」
「アルファ様限定ですよ」
「他の女性にはしないのか?」
「勿論、そんな事する訳ないでしょう」
「そういう性癖だと思っていた」
ルーヴェルは無言のまま優しい手付きで、柔らかい髪をほぐしていった。
「怒ったのか?」
「いえ。慣れています」
アールファレムの髪は肩より少し長く、緩やかに波打った金糸のような美しい髪を梳くのは、ルーヴェルの楽しみだった。つまり図星だったのだ。
「綺麗な髪です」
「私はルーヴェルの水色の髪が好きだ。優しい空の色だ」
「黒色はもっと好きでしょう」
「……」
アルスラーダの髪は黒い剛毛だ。勿論ルーヴェルがアルスラーダの髪を梳かした事は一度もない。
「フィリップの小麦色の髪も好きだな。太陽みたいだ」
アールファレムはかなり強引に話を逸らした。少し無理があったが、ルーヴェルは付き合ってみせた。
「好きな人物を並べているだけでしょう」
「仕方ないだろ。シルヴィンの髪も綺麗だな。銀竜だから鱗かな」
「アルファ様より大分長い鱗ですよね。異常種ですな。遠目で見たらただの白髪です」
「辛辣だな」
「私だって怒っているんですよ。アルファ様は許せるのですか?」
「まぁ複雑だな。……正直まだ怖い。だが恩人だと思う事にした。私の頭をかち割ってくれた。乱暴過ぎたがな」
「度量が大きすぎます」
「ははっ。名君を目指す私には最高の誉め言葉だな。……さて遠乗りにでも出掛けるか」
「どこまで行かれますか?」
「ヘンゼルの森なんてどうだ?」
帝都デルレイアの北側にあるヘンゼルの森は、アールファレムのお気に入りだった。宮殿も北側なので、割りと近いのも、よく訪れる理由の一つだった。
帝都デルレイアは、ガルフォン屈指の商業都市でアールファレムは皇帝になる前から、拠点としており、帝都と定めてからはより一層、繁栄していた。周囲を城壁で囲まれた巨大都市で、東西南北に大門が設置され、昼間は解放されていたが、常に衛兵が配置され、不審な者がいないか、警備も厳重に行われていた。
早朝に皇帝と宰相が二人で北門に現れると、宿直の兵は慌てて開門した。
「こんな早くにすまないな」
「仕事ですので、お気に為さらないでください。それに今日は二回目です」
「そんな迷惑者が皇帝以外にいるのか?」
「ルーヴェル、悪意があるぞ。しかし何者だ。時間外の通行は原則禁止だぞ」
原則を無視するのは皇帝の特権だった。
「フリードリッヒ将軍とハリー将軍です。ほぼ毎日ですから慣れています」
「あの二人が?」
「ええ。ヘンゼルの森に行かれているようです」
「ふむ。探してみるか」
「臣下の私生活を覗くのは、悪趣味ではないですかな」
「面白そうじゃないか」
そうこうするうちに門が開き、アールファレムは馬を走らせた。
「まったく困ったお方だ。帰りも手間をとらせるが宜しく頼む」
「お待たせするのも悪いですから、このままにして我々で封鎖しておきます」
「任せる」
ルーヴェルは急いでアールファレムを追いかけた。既に開門待ちの商人達が荷馬車を並べており、衛兵にもう入っていいか交渉しだしたが、すぐに断られた。どうやら先程も同じやり取りがあったらしく、ルーヴェルは騒がせた事を申し訳なく思う一方、ハリー達にも自重するよう注意する事にした。
すぐにアールファレムと合流し、二人は仲良く馬を走らせた。
暫くするとヘンゼルの森が見えてきた。街道を離れ、速度を落として馬を進めた。
「剣戟の音がしないか?」
「……確かに。アルファ様はここでお待ち下さい。様子を見てきます」
ルーヴェルは馬を降りると、剣の柄に手を掛けながら、慎重に奥へと進んでいった。
馬が二頭繋がれており、遠くで見覚えのある人影を確認できた。予想通りだったので、安心してアールファレムの元へ戻った。
「どうやら両将軍みたいですよ」
「私の許可なく勝手な真似を!」
アールファレムは一気に不機嫌になり怒りだした。二人は同じ場所に馬を繋ぐと、音を頼りに進んでいった。
「よし! 今日は俺の勝ちだ」
どうやら勝負は終盤に差し掛かっていたようで、ハリーは叫ぶと思い切り剣を振り下ろし、親友を転ばせた。
「勝つ前に叫ぶな。せこいぞ」
「はっはっは。心理戦だ」
「こんなもの心理戦でもなんでもないわ!」
「負け惜しみだな」
ハリーは手を差し出し、フリードリッヒの立ち上がりを助けた。
「我が軍きっての猛将二人の試合など見物人なしでは勿体無いな。そう思いませんか、アルファ様」
二人が振り向くと、彼等が敬愛して止まない主君が宰相を伴い、立っていた。
慌てて、膝をつく二人を見下ろしアールファレムは怒鳴り付けた。
「二人とも、毎朝城門を開けさせているようだな。けしからん。今後禁止だ」
「申し訳ありません。音が響くので、ここなら迷惑は掛からないかと。短慮でした」
「アルファ様、そんなに目くじらを立てなくても、鍛えるのは悪い事ではないでしょう」
「許せるか! 毎日こんな楽しそうな事を私に内緒でしていたんだぞ。狡いじゃないか。誘ってくれてもいいじゃないか!」
「はいはい。二人とも、今後は宮殿内の練兵所で行うように」
「分かりました」
フリードリッヒは笑いを噛み殺しながら返事した。
「本気で怒っているんだからな」
頬を膨らませるアールファレムにハリーは、恐縮して、身を縮ませた。
「畏れ多くて、誘えなかったのです。お許しください。陛下と手合わせなど、私のような未熟者には勿体無い事です」
ルーヴェルとフリードリッヒは小声で会話した。
「あのハリーが、よく噛まずに言えたな」
「すぐにぼろが出ますから、止めた方がいいですかね」
「わざと聞こえるように言っているだろう!」
ハリーの叫び声が早朝の森に響き渡ると、鳥が一斉に飛び立ち、皆から睨まれ大きな体を縮ませた。
「二人とも良ければ、朝食を一緒にどうだ」
あっさり機嫌を直していたアールファレムは、笑顔で二人を誘った。
「喜んでお供します」
四人が城門に戻る頃には既に開門していたが、問題がおきているようで、人だかりができていた。
「何かあったのか?」
ハリーが後方にいた商人に尋ねると、商人は相手が将軍とは気付かずに普通に話し出した。
「行き倒れみたいだな。大分衰弱しているみたいで、崩れる様に馬から落ちて、先程から意識が戻らないんだ」
衛兵がハリーに気付いて、慌てて道を空けさせた。中心には旅装束の男が倒れており、目を疑った。本来ならここにいる筈のない男であり、昨日フリードリッヒと共に安否を気にしていたところだった。
「モーリッツ! おいっモーリッツ! しっかりしろ」
ハリーは揺すろうとしたが、アールファレムは素早くやめさせた。
「無理に動かすな。宮殿に運ぼう。ハリー先に行って医者を手配してくれ。フリードリッヒ、ルーヴェル慎重に運べ」
「御意!」
ハリーは素早く馬に跨がり、瞬く間に駆け出した。
二人掛かりでモーリッツを慎重に馬に乗せ、なるべく負担にならないようフリードリッヒが支えながら城に向かった。
「カスパードから逃げてきたのか」
「デュークの罠かも知れませんな」
アールファレムの問い掛けにルーヴェルが応じた。
「閣下はモーリッツの忠義を信用して下さらないのですか?」
フリードリッヒは友人が疑われるのは我慢ならなかった。
「モーリッツは信頼に価する男だ。誠実で有能な副将。だが油断する訳にはいかん。本人にその気がなくとも、利用する輩はいる」
「こいつはデュークに操られるほど無能ではありません!」
「ルーヴェル、そこまでだ。フリードリッヒも落ち着け。病人の側で怒鳴るな」
反省した二人は口を閉ざし、やがて宮殿に到着した。宮殿の北門前では、既に医者と兵士が待機しており、モーリッツを運びこんだ。
落ち着いてから、四人は遅めの朝食をとった。ハリーはアールファレムと同席出来た事に大変感激し、終始上機嫌だったが、フリードリッヒはそんな気分にはなれなかった。ルーヴェルもほぼ無言で、フィリップは給仕しながら、心配そうに様子を窺っていた。
「大丈夫だから心配するな」
アールファレムは食事がすむとフィリップの頭を撫でた。
女官達は微笑ましいやり取りに、笑いながら片付けを行った。フィリップは女官達からも可愛がられていた。
アールファレムとルーヴェルは私室に戻り、ハリーとフリードリッヒはモーリッツの元に向かった。
「ルーヴェルらしくないな。モーリッツが疑わしいのは分かるが、フリードリッヒとの仲も考えてやらないと」
「配慮が足りず申し訳ありませんでした」
「敵を作らないようにしろ。ルーヴェルは皆の相談役として振る舞っていてくれ。ああいう役はアルスに任せておけばいい」
「気を付けます。……あの二人がいては計画に支障をきたしませんか?」
「いや。ちょうどいい。今一つ安全性に欠けていたからな。ルーヴェル一人では厳しいと思っていたんだ」
「確かに。そこまでお考えで二人を朝食に?」
「昨日言っただろう。味方でも利用すると。協力して貰おう。ルーヴェル誘い出しといてくれ。それを思えばフリードリッヒとの軋轢は都合がいい。モーリッツを口実に使えばいい」
呼吸を行うように計略を仕掛けるアールファレムは、正に策略家だった。
ただ全てが計算ではなく、ハリーとフリードリッヒが毎日、内緒で稽古をつけていた事を怒ったのは、本音であった。自然体になったアールファレムは余裕を感じさせた。ちゃんと人間味が残っている事に安心したルーヴェルは、肝心な事を確認した。
「シルヴィンはいつぐらいに来るのか言っていましたか?」
「午前中に来ると言っていたな。そろそろ取り掛かるとしよう」
アールファレムはルーヴェルの肩を叩いた。ルーヴェルは不安そうにアールファレムを抱き締めた。
「どうか、ご無事で」
心の底よりアールファレムの無事を願うルーヴェルだった。




