11 アールファレムの覚醒
ルーヴェルは政務をこなしながら、シルヴィンへの対処法を模索していた。
カスパードの事でシルヴィンが逆上したなど、本気で信じている訳ではない。それは単なるきっかけに過ぎないだろう。アルスラーダを諫めるには、その方が効果的だったからだ。
シルヴィンはいずれ味方に引き込むつもりではあった。だがどこかで信用しきれず、ずるずると今まできたのだ。こちらから打ち明ければ、シルヴィンはおそらく協力を申し出ただろう。だが主導権を握られた今となっては、こちらから下手に出れば、シルヴィンはアールファレムに更に関係を迫るだろう。
精神的に叩きのめし、力関係を逆転する為には、何か手を打つ必要があった。
それにしても、シルヴィンの真意が問題なのだ。アールファレムが女だと知って、衝動的に抱いたのか、本気で惚れているのか、もし本気なら、いつから疑いだしたのか? 誰かに洩らしていないのか? それでなくても、シルヴィンが気付いたのだ。他の誰が疑っているか分からなかった。
ルーヴェルに分かる筈がない。シルヴィンはアールファレムが女と疑う前から、愛し始めていたことを。男に惚れたなど認めたくなかった。だからアールファレムが女で、シルヴィンは安心したのだ。だいたいアールファレムほど美しい人間なら、例え男でも不埒な思いを抱く者もでてくるだろう。恋慕を忠誠と思い込んでいるのではないか、自分のように。
カスパードは想像できるのだろうか? 皇帝が女で補佐官と愛し合っているなどと。単純なあいつは真相を知る事なく死んでいくだろう。他ならぬ兄の手で殺される惨めなカスパード。いっそ死に際に教えてやろうか。お前の敬愛するアールファレムは女で、お前を謀反に追いやったのは、恋人のアルスラーダだと。
そう恋人だ。何度奴の名前を呼んだか、その度に口を塞いだが。柔らかい感触を思い出し、口元に手を当てた。今まで抱いた女など、比べるまでもない。あの獅子帝アールファレムをこの手で抱いた。これ程満ち足りた事は今までなかった。アールファレムの気持ちが伴っていれば言う事はないが、それは不可能だ。まして今日の行為がどれ程アールファレムを傷付けたか。後悔がない訳ではないが、それより手に入れたものは、大きすぎた。アールファレムがシルヴィンに忠臣である事を望むのであれば、従うつもりだ。ただ、一時だけの夢、それだけの事だ。叶わぬ恋に殉じるのも一興だ。生涯をアールファレムに捧げる、一度は誓った事だ。以前とは質と量が変わっただけだ。
問題はあの補佐官だ。アルスラーダは怒り狂っているだろう。だが、アールファレムとルーヴェルは私を殺す許可は出せない筈だ。まだ代わりを務めれそうな将軍はいない。
だとすれば、ルーヴェルが何を仕掛けてくるか、お手並み拝見するとしようか。
シルヴィンが自身が仕える主君の真価に気付くのは、まだ少し先の事である。
アールファレムは夕方には目覚め、一人思考に耽っていた。我にかえった時、既に日も暮れていた。慌てて食事を済ませ、お風呂から上がった頃、ルーヴェルがやってきた。
「御加減は如何ですか?」
「もう大丈夫だ。たっぷり寝過ぎて、夜寝られない位だ」
「それはいけませんな」
ルーヴェルはブラシをとりアールファレムの髪を梳かし始めた。
「ちょうどいいさ。話したい事が沢山あるからな。疲れているところ悪いが、付き合ってくれるか」
「喜んで。どうします? お酒は飲まれますか?」
「勿論飲むさ。とことん飲み明かそう」
どうやら精神的再建を果たしたみたいで、いつものアールファレムに戻っていた。
「本当に大丈夫そうですね」
「虚勢かも知れん。だがいつまでも、メソメソする様な腑抜けに皇帝など務まるか! 私は強くなる」
ルーヴェルはアールファレムを見誤っていたかもしれなかった。アルスラーダに大事な臣下を利用され、シルヴィンに言い様に弄ばれ、黙っているアールファレムではなかった。だが半日休んだだけで、こうまで変われるのか、まるで別人だった。
「私は自惚れていた。アルスラーダが何をしても、私なら挽回出来ると、慢心していた。だが自由にさせる事と愛情は別だと悟った。私はアルスを愛している。だが、その為に犠牲が必要なら、私はアルスを切り捨てる」
「アルファ様に出来るとは思えません」
「私もそう思う」
「……私をからかっておいでですか」
「そのつもりはないさ」
アールファレムは立ち上がり、棚からお酒とグラスを取り出した。
「アルスラーダに手綱をつける」
「アルファ様が手綱を握るという訳ですか」
「私はアルスに甘い。私一人では無理だ。だがシルヴィンがいる」
アールファレムは酒をグラスに注ぎ、ルーヴェルに勧めた。
「ちょっと、待って下さい。アルファ様? いったい、どうされたんですか?」
「簡単だ。私は今まで戦を好んできた。何故あんなに魅了されるのか? 私は決して人殺しが好きな訳じゃないんだ。信じてはくれないだろうが」
「そんな方ではないと、存じ上げています」
「ふふっ。ルーヴェルの評価は大分、贔屓目が入っているからな。戦での敵との駆け引き、敵も味方も自分の思い通りに動かす事が愉快で堪らないんだ。異常なのは分かっている。だが私は戦場を離れた時、油断していたらしい。今日私はシルヴィンに負けて悟ったんだ。私がいるのは戦場だったんだとね。私は戦場で無防備に弱点を晒していたんだ。負けるに決まっている。ルーヴェル、私はこれ以上負けるのに耐えられない。獅子帝の名において私は勝つ。私を利用するなど、許さない。私が利用する。私は勝利する。必ずだ」
アールファレムは酒を一息に呑み干し、勝利宣言をした。
ルーヴェルはただただ圧倒された。あの弱々しかったアールファレムは影も形もいなかった。アールファレムは脆く壊れやすい、か弱い女性だった。それをシルヴィンが叩き壊した時、アールファレムの何かが変わった。敗北がアールファレムを成長させたのだ。たった半日で一人で立ち直り、ルーヴェルを驚愕させた。
「だが決心だけで変われる程、私は強くない。ルーヴェル私を支えてくれないか」
「今のアルファ様に私が必要ですか?」
ルーヴェルは自嘲した。置いてきぼりをくらった気分だった。
「ルーヴェルがいてくれるから戦える。いつもそうだったろう?」
「日常が戦場ですか?」
ルーヴェルも負けずに一息に呑み干した。いくら呑んでも酔わない体質が今夜は恨めしかった。
「そうだ。足場を固め、敵の不意をつく。味方を誘導し、場を支配するんだ。楽しみじゃないか」
子供の様にはしゃぐアールファレムが眩しくて、涙が出そうだった。
「私に出来る事なら、なんでもします」
おかわりを作り、アールファレムと乾杯した。
「先程の話に戻ろうか。シルヴィンにアルスを抑えてもらう」
「危険すぎませんか?」
「アルスの事は説得してくれたんだろう?」
「今回のような事態を起こさぬ様に釘は刺しました。シルヴィンを見逃す事にも一応同意させました」
「上出来だ。ルーヴェル」
アールファレムは満足そうに頷き、不敵に微笑んだが、ルーヴェルは戸惑いを隠せずにいた。
「アルスの事すら利用するおつもりですか」
「それをすれば、アルスのした事を批判できないよ。第二のカスパードは出さない。先程、利用すると言ったのは語弊があった。なるべく感情を弄ぶような真似はしない。アルスは私が幸せなら、要らん事はしない筈だ。なら簡単だ。私はアルスが笑っているのが好きなんだ。多分あいつも同じだ」
「本当に強くお成りだ」
「いや何故弱いのか考えたんだ。今までが無謀だったんだ。女である自分を否定し、男として無理に生きようとしたんだから。私はそんなに器用じゃない。私は私らしくいる事にする。女である自分も受け入れる。ルーヴェル、今まで不幸な自分に酔っていたんだ。だからアルスは私を守ろうとして間違った。もう間違わせない」
アールファレムは美しくなった。今までは表面だけだったのではと思わせる程、今のアールファレムは輝いていた。儚げな部分が消え去り、内実ともに満ち足りた時、アールファレムは人として完成した。ルーヴェルは思わず見惚れてしまった。
「惚けた顔をしてると、せっかくの男前が台無しだぞ」
アールファレムは笑いながら楽しそうに酒を呑んだ。
「飲み過ぎではないですか」
「そうだな。明日には大仕事が待っている」
「シルヴィンですか」
「何か思い付いたか」
「アルファ様が優位に立つ為には、シルヴィンを屈服させる必要があります。ただその方法が思い浮かばないのです」
「ルーヴェルは私を守る事を第一にしているからな。……私に考えがある。シルヴィンには少々痛い目にあってもらおう。私も散々な目にあったからな」
「剣の腕前でシルヴィンに対抗出来るのは、アルスぐらいですよ」
「直接的にではないさ。今シルヴィンは優越感に浸っている。それを罪悪感に変えてやるだけさ」
アールファレムが計画を説明すると、ルーヴェルは目を見開いた。
「それは……! 危険過ぎます!」
「だが効果的だと思わないか?」
愉快そうに笑うアールファレムが再び酒瓶に手を伸ばしたので、慌てて止めた。
「これ以上は危険です。ただでさえ体調は万全ではないのですよ。その上で、その様な無茶を為さるおつもりなら、もうお休み下さいませ」
ルーヴェルは素早く片付けてしまい、アールファレムは未練がましくグラスに残った一滴を飲み干した。
「皇帝ともあろう方が意地汚い真似をなさらないで下さい!」
「自分の酒量も自由に出来ない不甲斐ない皇帝など、憐れだと思わないか?」
「皇帝の酒量まで管理させられる宰相も憐れだと思います」
「むむ。引き分けか」
「酔っておられるのですか?」
「意識ははっきりしているし、楽しいから大丈夫」
ほんのり赤い顔のアールファレムは寝台に入り込んだ。
「ほらほら、ルーヴェル早く寝よう」
自分の横を空けて、手招きするアールファレムは可愛すぎた。だが色気はまったくない。
「まさか一緒に寝るつもりですか?」
「問題ないだろう。無駄に広いんだから」
「慎みを持って頂きたい。アルスを呼びましょうか? あいつなら喜んで添い寝しますよ」
アールファレムは真っ赤になって、枕に顔を埋めた。びっくりするぐらい瞬時に女性の顔になるから不思議である。
「そんな恥ずかしい事が出来る訳ないだろう。男女が一緒に寝るなど、駄目に決まっている」
「私は男ですよ。いえ良いんですよ。どうせ人畜無害な兄ですからね」
大きな溜め息をつきながら、アールファレムの横に潜り込んだ。少しひんやりしたが、じきにアールファレムの体温で暖まってきた。
「ルーヴェルはルーヴェルだ。性別を超越している」
「そんなややこしい人間はアルファ様位ですよ」
「酷い。傷付いた。しくしく」
ルーヴェルはわざとらしく泣き出すアールファレムを後ろから抱き締め、頭を撫でてやると、気持ち良さそうに身を委ねてきた。
「猫じゃないんだから。早く寝てください。お休みなさい」
「にゃー」
アールファレムは一鳴きして眠りについた。
(酔っ払うといつもより甘えたになる癖までは、流石に変わらないか。困ったお方だ)
アールファレムは変わったが、本質は変わらない。安堵したルーヴェルは眠るアールファレムの頭にそっと口付けした。
「良い夢を見てくださいね」
ルーヴェルはとことんアールファレムに甘かった。アールファレムの匂いに包まれながらルーヴェルも眠りについた。




