103 対価
イグナーツは武術大会終了後、直ちに宮殿に戻り、やきもきしながらリッケンの戻りを待っていた。リッケンからテオの様子を聞きアールファレムに面会を申し込むと直ちに許可が下りた。
王族とはいえイグナーツの権威など宮殿では無いに等しい。丁寧に扱われていても、所詮はそれだけのことだ。アールファレムと対等とは夢にも思わない。ルドルフと違い、イグナーツは自らの立場を弁えていた。だがテオの運命はこれからの自分の交渉次第なのだ。不安に押し潰されそうになりながら、アールファレムのくるのを待っていた。出されたお茶はとっくに飲み干し、喉はからからである。
程無くしてアールファレム達がやってくると、イグナーツは弾かれたように立ち上がり、頭を下げて出迎えた。アールファレムは軽く笑いながら、楽にするように伝え、イグナーツの対面に座った。リッケンにも座るよう勧めたが固辞した為、無理強いはしなかった。ルーヴェル達は特に気にする様子を見せずにアールファレムの隣にそれぞれ座った。
「お疲れのところ無理を申しまして、誠に申し訳ありません」
「気にするな。従兄弟相手に堅いことを言うつもりはない」
そう言われてもイグナーツは堅い表情を崩さず、真剣な眼差しでアールファレムを真っ直ぐに見詰めた。以前のイグナーツであれば自信無さげに視線を逸らしていただろう。イグナーツの成長を内心で喜びつつも、アールファレムは表情には出さない。気安い間柄であっても、今回の面会の目的を思えば幾分は形式を重んじる必要がある。二日前の挨拶に訪れた時とは状況が異なるのだ。
何より最高幹部が揃い踏みとあっては、イグナーツが気を抜ける筈もない。シルヴィン達を同席させたのは畏縮させる為ではなかったが、結果的にイグナーツに立場の弱さを痛感させた。イグナーツは唾をごくりと呑み込み、呼吸を整えると、一息に願いを口にした。
「テオの処罰ですが、陛下の寛大なる慈悲を賜りますようにお願い致します」
「構わない……と言いたいところだが、衆人環視の中での高官暗殺未遂だ。無罪放免という訳にもいかん」
いくらなんでもなかった事にするには目撃者が多すぎた。ただでさえ様々な憶測が飛び交うことが予想されるのに、イグナーツの口添えで赦免となると、噂がどう転がるか想像も出来ない。どのような処分になるにせよ、おおっぴらには出来そうにない。
「勿論そこまでは申しません。ですがテオは兄の為に凶行に及んだのです。兄が死んだのは自業自得だと思います。それでも僕は兄の為に何かできなかったかと未だに悔やんでいます。テオは復讐という過ちを犯しました。大いなる過ちではありますが、僕は兄の分まで彼の忠義に報いてやりたいと思います。彼が二度と誤らないように、僕が責任を持ちます」
あのイグナーツがとはもうアールファレムも思わなかった。目の前にいるのは気弱な従兄弟ではなく、心根の真っ直ぐな立派な青年である。そして四人にはない清廉さを持ち合わせていた。
特にアルスラーダなどは顔には出さないが、ばつの悪さを自覚していた。もっと大人の対応が出来た筈である。あるいはテオが投獄されることはなかったかも知れない。
「イグナーツの心意気はよく分かった。ルドルフの最期は私も気の毒に思っている。代わりというと筋違いかもしれないが、テオを助けてやりたいとも思う。当事者のアルスに異存はあるか?」
「陛下の御心のままになさいませ。遺恨はございません」
言葉通りでアルスラーダは歯牙にもかけていない。だが馬鹿正直に言わないだけの分別はある。言えばテオの怒りが再燃するだけである。
「宜しい。だがイグナーツ、対価を求めたい」
イグナーツが差し出せるものなどあまりないだろう。何を要求されるか不安でしかないが、テオの為にも拒否する訳にはいかない。
「何なりとお申し付け下さいませ。私の差し出せるものであれば何であれ、陛下の御意のままに」
「それは有り難い。そなた自身が欲しいのだ」
「はっ?」
後ろにいたリッケンがとっさにすっとんきょうな声を出したが、慌てて頭を下げて謝罪した。だがイグナーツもリッケンに負けず劣らず、混乱していた。リッケンが注目を集めたお陰で誤魔化せたが、必死で言葉の意味を理解しようとした。
「今恋人はいるか?」
「お、おりませんが……。いったい?」
「いなければ今はそれでいい。もし結婚したい相手が出来たなら、事前に連絡してくれ。その時は諦める」
アールファレムがそれで説明は終わったとばかりに言葉を締めくくった為、ルーヴェルが補足するはめになった。
「他国と同盟を結ぶにあたり、イグナーツ様には他国の姫との結婚をお願いする可能性があることを御了承願います」
「ぼ、僕が……! そんな結婚なんて……」
絶句するイグナーツだったが、アールファレムには他に親族はいない。厳密にいえばイグナーツとは血が繋がっていないのだが、公にされていない以上その点は問題ではない。アールファレムには外交に使える駒が圧倒的に不足しているのだ。
アールファレムには結婚話が何件か持ち上がっているが、無論全員姫君で断るしかない。筆頭がオリアンヌ姫で、今の情勢下では敵に回したくないものだ。次に重臣となるとルーヴェル、シルヴィンとなるが共に結婚する気は更々ない。アルスラーダは論外でアールファレムが認める筈がない。残るは将軍の独身者達だが、他国が望むには身分が釣り合わない。
「現時点で具体的な話がある訳でもないし、そう構えなくてもよい。実のところテオの処分は軽くするつもりだったんだ。結婚の事は前回頼もうと考えていたのだが、それどころではなかったからな。イグナーツ一つ考えてくれるか?」
「我が身が国の役に立つのであれば、喜んで捧げましょう」
リッケンが固く瞼を閉じて何かを呟いたが、イグナーツの耳には届かなかった。いくらアールファレムが気にするなと言ったところで、イグナーツに拒否権などない。もし本気で惚れた相手がいたとしたら、少しはためらっただろうが、幸いにしてイグナーツに恋人はいない。
「分かった。シルヴィン、直ちにテオを釈放せよ。些事は任せる」
「御意に従います」
シルヴィンは直ちに席をたち、手配に向かった。この後にはカミーユとの対談が控えている。それまでには戻るつもりだった。




