表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凡人婚約者は天才令嬢を逃がさない  作者: 柊原 ゆず


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/11

第7話 入学


 国立魔法学園の入学前日。この国には、男性の婚約者が女性の婚約者を馬車で迎えに行き、共に学園の寮へと向かうという古くからのしきたりがあった。


「……お待たせ、ジーク」


 プラタナス伯爵家の門前。マクファーレン家の紋章が刻まれた馬車から降りたフォルビアは、いつも通りの頼りない笑みを浮かべて手を差し出した。ジークリットは彼の手を取ることはなく、ふいと顔を逸らして一人で軽やかに馬車へと乗り込んだ。相変わらずの冷たい態度だ。しかし、向かいの席に座った彼女の横顔を見て、フォルビアは微かに目を丸くした。

 ジークが、嬉しそうだ。

 車窓から外の景色を眺める彼女の金色の瞳は、いつになくキラキラと輝き、その口元には微かな笑みすら浮かんでいた。彼女が胸に抱いているのは、学園という新しい舞台で己の力を示し、やがて冒険者として羽ばたくという『完璧な未来』への期待だ。フォルビアにその内容までは分からなかったが、彼女がこれほどまでに生き生きとした表情を見せるのは久しぶりのことだった。

 ……可愛いな。

 自分に向けられた笑顔ではない。それでも、機嫌のいい彼女と同じ空間にいられることが、フォルビアにとっては至福の喜びだった。彼は膝の上で両手を組み、その美しい横顔を脳裏に焼き付けるように、静かに堪能し続けた。






 やがて馬車は、巨大な国立魔法学園の門をくぐった。学生寮は厳格に男女で分けられており、公爵家である二人には、それぞれ別棟の最上階にある豪華絢爛な特別室があてがわれていた。


「それじゃあ、また明日……」

「ええ、ごきげんよう」


 女子寮の前でそっけなく別れを告げる彼女を見送った後。

 男子寮の自室に入り、重厚な扉の鍵を閉めた瞬間、フォルビアの顔から『頼りない三男坊』の仮面がスルリと剥がれ落ちた。広大で静まり返った部屋の中。フォルビアは無言のまま、右手をスッと高く挙げた。すると、影が濃く落ちる部屋の隅から、音もなく一人の女性が姿を現した。


「お呼びでしょうか、フォルビア様」


 彼女の名はサラ。メイド服に身を包んではいるが、ただの従者ではない。フォルビアが社交界の裏側で情報収集のための人脈を広げていた過程で、その実力を見込んで自らの手駒に引き入れた、極めて有能な密偵だった。


「サラ。君に、ジークリットの護衛と、彼女の周辺を探ってくれ」


 冷たく、感情の読めない声でフォルビアは命じた。サラは深く頭を下げながらも、内心で不思議に思っていたはずだ。当代随一の天才であるジークリットに、護衛など必要ないということを。しかし、フォルビアの真の目的は『護衛』などという建前ではない。

 ジークは強い。でも、あの眩しさに引き寄せられて、汚い羽虫どもが必ず群がってくる。……彼女に近づく人間、彼女が話した内容、彼女が誰を見ていたか。その全てを僕が把握しておく必要があるんだ。

 無能な婚約者の自分では、彼女の交友関係に口出しすることはできない。だからこそ、影から彼女の世界を完全に掌握するのだ。有能な従者は主の真意を悟り、「御意に」とだけ残して再び影の中へと溶けていった。






 そして翌日、入学初日の朝。フォルビアは『頼りない婚約者』の仮面を被り直し、女子寮の入り口でジークリットを待っていた。カツカツとヒールの音を響かせて現れたジークリットは、彼を見るなり鬱陶しそうに美しい眉をひそめた。


「……迎えなど不要よ。一人で行くわ」

「で、でも、婚約者は共に通学するしきたりだし……」


 フォルビアはオドオドと視線を彷徨わせ、肩をすくめた。


「その、僕は……ジークと一緒に行きたいって、思ったんだけど……駄目、かな」


 上目遣いで放たれた健気な言葉も、強さだけを求める彼女の心には一切響かない。


「明日からは結構よ。貴方の歩幅に合わせていたら、遅刻してしまいますわ」


 冷たく言い放つと、ジークリットは彼を置いて足早に歩き出してしまった。その容赦のない背中を見つめながら、フォルビアは「相変わらずだな」と、困ったような苦笑いを浮かべた。

 うん、それでいいよ、ジーク。君は僕を置いて、前だけを見ていればいい。君の背後も、君の周囲も……君の知らないところで、僕が全部管理してあげるからね。


「あ、待ってよジーク!」


 情けない声を上げながら、フォルビアは小走りで彼女の背中を追いかける。そのオドオドとした足取りの裏側に、決して逃れられない執着の蜘蛛の糸が張り巡らされていることに、前を向いて歩くジークリットはまだ気づいていなかった。






 国立魔法学園の入学初日。教室の中は、新入生たちの期待と、貴族社会特有の生臭い熱気に満ちていた。


「フォルビア様! よろしければ、次の移動教室をご案内いたしますわ」

「マクファーレン公爵閣下には、我が領地の件で大変お世話になっておりまして……」


 フォルビアの席の周りには、早くも多くの貴族子女たちが群がっていた。彼らの目に映っているのは、フォルビア本人ではない。彼の背後にある『マクファーレン公爵家』という巨大な権力だ。あわよくば公爵家との繋がりを持ちたいという、透けて見えるような浅ましい下心。フォルビアは内心で(鬱陶しいな)と冷たく吐き捨てながらも、表面上は困ったように眉を下げ、愛想笑いを浮かべてみせた。


「あ、ありがとう。僕、学園の中がまだよく分からなくて……助かるよ。でも、あまり僕なんかに構うと、皆の迷惑になっちゃうから……」


 頼りなく、オドオドと言葉を濁す。すると取り巻きたちは「ご謙遜を!」とさらに機嫌を良くして群がってくる。適当に相槌を打ちながら、フォルビアの視線は自然と教室の反対側へと向かっていた。そこには、彼よりもさらに大きな人だかりができていた。中心にいるのは、もちろんジークリットだ。


「ジークリット様、入学試験での実技、本当に素晴らしかったです!」

「あの複雑な術式を無詠唱で展開されるなんて……どうか、私にもご指南いただけませんか!」


 彼女を取り囲んでいるのは、公爵家への忖度以上に、彼女自身の圧倒的な『才能』に惹きつけられた者たちだった。ジークリットは腕を組み、近寄りがたい雰囲気を纏って「……別に、大したことではないわ」とすました顔で答えている。一見すれば、周囲の喧騒を煩わしく思っているように見えるだろう。しかし、幼い頃から彼女の一挙手一投足、瞬きの回数まで観察し続けてきたフォルビアの目は誤魔化せなかった。

 ……満更でもない顔をしてる。

 口元は引き締めているが、彼女の金色の瞳の奥には、確かな優越感と満足感が揺らめいていた。当然だ。政略結婚の道具として父親に見下されていた彼女が、己の力だけで勝ち取った周囲からの称賛と羨望。それが嬉しくないはずがない。彼女が喜んでいる。本来なら嬉しいはずなのに、フォルビアの胸の奥では、ギリッと嫌な音が鳴った。

 あの称賛は、僕が一番最初に君に捧げていたのに。君は僕の言葉には見向きもしないくせに、あんな羽虫どもの言葉で喜ぶんだね。

 腹立たしさと、どす黒い嫉妬が胃の腑を焼く。しかし、ここで怒りを露わにしても何の意味もない。フォルビアは静かに息を吐き、無能な三男坊の仮面を被ったまま、長い一日をやり過ごした。

 昼食時、「ジーク、一緒に食堂へ行かない?」と誘うも、「忙しいの。一人で行きなさい」と一蹴される。

 放課後、「一緒に帰ろうよ」と待っていたが、「サロンの準備があると言ったでしょう」と冷たく背を向けられる。

 結局、フォルビアは自身に群がる鬱陶しい取り巻きたちを「少し頭が痛くて……」という見え透いた嘘と弱々しい笑顔で上手く撒き、一人で男子寮の特別室へと戻ってきた。

 バタン、と重厚な扉を閉め、鍵をかける。途端に、背筋を丸めていた気弱な青年の姿は消え失せ、冷たく洗練された青年の顔が現れた。


「はあ……ジーク、冷たいなあ……いつも通りだけど」


 溜め息混じりにポツリと呟きながら、フォルビアは上着を脱ぎ捨ててデスクに向かった。引き出しの奥から取り出したのは、一冊の黒革のノート。彼は羽ペンにインクを浸すと、流れるような美しい筆跡で、今日ジークリットの周囲に群がっていた貴族の子女たちの名前を、一人残らず書き連ねていった。

『ルイス伯爵家長男。実家の領地で不作が続き、多額の負債あり』

『メイザー子爵家次女。裏で違法な魔法薬の取引に関与している噂あり』

 これまで社交界の影で収集してきた膨大な情報を脳内から引き出し、彼らの名前の横に、その『弱み』を事細かに書き込んでいく。


「……君の周りは、僕が綺麗に掃除してあげるからね」


 ノートを埋め尽くす文字を見つめながら、フォルビアは暗い悦びに口角を吊り上げた。もし、あの中で誰か一人でも、ジークリットに必要以上に近づく者がいたら。あるいは、彼女の輝きを汚そうとする者がいたら。このノートに記された弱みを使い、社会的に完全に抹殺する。彼女に気づかれることなく、彼女の世界から排除する。静まり返った部屋の中、カリカリとペンを走らせる音だけが響く。愛する人の輝かしい学園生活の裏側で、無能な婚約者は着々と、最も恐ろしく、最も甘い地獄の準備を進めていた。


つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ