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凡人婚約者は天才令嬢を逃がさない  作者: 柊原 ゆず


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第6話 独占欲の芽生え


 プラタナス伯爵邸の広間は、眩いほどの光と華やかな熱気に包まれていた。ジークリットの十四歳の誕生日を祝うために開かれたこの夜会で、主役が誰であるかは火を見るよりも明らかだった。

 

「素晴らしい。まだ学園入学前だというのに、家庭教師の魔導士を打ち負かしたそうですね、ジークリット嬢」

「ええ。プラタナス家の至宝、いや、我が国の未来を照らす若き太陽だ」


 広間の中心。年齢よりも少し大人びた真紅のドレスに身を包んだジークリットは、高位の貴族や魔導院の大人たちに囲まれ、次々と称賛の言葉を浴びていた。彼女は、子供扱いされることを嫌うかのように背筋をピンと伸ばし、決して驕ることなく、しかし己の才能への絶対的な自信に裏打ちされた完璧な微笑みを浮かべている。

 ――一方。広間の少し薄暗い壁際で、その光景を見つめている少年がいた。


「いやはや、フォルビア卿。三男であらせられても、その立ち振る舞いはさすがマクファーレン公爵家の血筋」

「天才と名高いジークリット嬢とのご婚約、我が家としても誠に喜ばしいことと思っておりますぞ。ぜひ、我が息子のことも公爵閣下に……」

 

 マクファーレン公爵家の三男、フォルビア。魔力の乏しい彼だが、背後にある『公爵家』という強大な権力との繋がりを求める下位貴族や商人たちにとって、彼は格好の標的だった。


「あ、はい……ありがとうございます。父にも、そのように伝えておきます……」


 フォルビアは、子供用の果実水が入ったグラスを手にしたまま、おどおどとした愛想笑いを浮かべて彼らの世辞に応えていた。今のフォルビアに、彼らとの会話など頭に入っていない。彼の紫の瞳は、人波の向こうで輝く自身の婚約者だけをじっと追っていた。

 ……綺麗だなぁ。ジークは。

 彼女が称賛を浴びる姿を見るのは、嬉しかった。誰よりも気高く、美しい自分の愛する人。彼女の素晴らしさを世界中が認めている事実が、婚約者である彼にとっても誇らしかった。

 しかし。

 ……どうしてだろう。胸が、チクチクする。

 ジークリットのドレス姿に頬を染めている同年代の少年たちや、彼女の笑顔を引き出し、親しげに話しかける大人たちを見た瞬間。フォルビアの胸の奥が、ギュッと締め付けられるように痛んだ。彼女が褒められて、嬉しいはずなのに。どうしてこんなにも、息が詰まるように苦しいのだろう。なんだか胸の奥がモヤモヤして、彼女の周りにいる人たちを睨みつけてしまいそうになる。病気だろうか。それとも、ただ疲れているだけなのだろうか。フォルビアが正体不明の痛みに戸惑い、無意識にグラスを握る手に力を込めた、その時だった。

 

「……皆様」


  ふと、涼やかな声が、フォルビアを囲む大人たちの群がりを割った。振り返ると、いつの間にか人波を抜け出してきたジークリットが、黄金の瞳で貴族たちを凛と見据えていた。


「本日は私の誕生日会にお越しいただき、ありがとうございます。私の婚約者を、少しお借りしてもよろしいかしら? 彼にはまだ、エスコートの作法を教えている最中ですので」


 主役である彼女の介入に、群がっていた貴族たちは慌てて道を空け、そそくさと退散していく。


 「こんな所で愛想笑いばかり振り撒いているから、彼らのいいようにされるのよ、フォルビア」

 

  二人の周囲から人が消えると、ジークリットは呆れたような、しかしどこか面倒見の良い姉のような声音で彼を見つめた。先ほどまでの『完璧な令嬢』としての顔とは違う、出来の悪い身内にだけ見せる、少しだけ厳格で素の表情。


「ご、ごめんね、ジーク。僕、ああいう風に囲まれるとどうしていいか分からなくて……君が来てくれて助かったよ」


 フォルビアは、情けない声を出して肩をすくめた。すると、ジークリットは小さくため息をつき、彼に手を伸ばして、群衆に揉まれて少し曲がっていた彼の胸元のクラヴァットを直してくれたのだ。首元に彼女の温かく白い指先が触れた瞬間。

 ……あ。

 フォルビアの胸をずっと締め付けていた『得体の知れない痛み』が、嘘のようにスッと消えていった。代わりに、甘くてポカポカとした熱が胸いっぱいに広がっていく。

 なんだ。病気じゃなかったんだ。

 彼女が自分のもとに来てくれた。呆れながらも、自分だけを見つめて、世話を焼いてくれている。ただそれだけの事実が嬉しくて、フォルビアは先ほどまでの不快なモヤモヤなどすっかり忘れて、花が咲いたような無邪気な笑顔を浮かべた。

 

「ありがとう、ジーク! ……君は今日も、本当に綺麗だね」

「……お世辞はいいわ。さあ、もう少ししたら父上が挨拶に立つはずよ。ちゃんと私の隣にいなさい」


 ジークリットはフォルビアの言葉を受け流し、再び光の当たる広間の中心へと向かって歩き出した。


「うん、行くよ!」


 その後ろ姿を追って、フォルビアは小走りで駆け出した。もう、薄暗い壁際に留まろうとは思わなかった。彼女が「隣にいなさい」と言ってくれたのだから、あの眩しい光の中心へ行くことすら今は少しも怖くない。彼女の隣を歩けることがただ嬉しくて、弾むような足取りで笑いかける純粋な少年。いつかこの無自覚な熱が、逃げ場のない狂気と執着へと変貌することなど、今はまだ誰も、彼自身でさえも知る由はなかった。






 プラタナス伯爵邸での華やかな誕生日会から数日後。プラタナス伯爵邸の一室に、ジークリットの厳格な声が響き渡っていた。


「駄目よ、フォルビア。エスコートの基本は堂々とした振る舞いよ。あんな夜会でのオドオドした態度、私の婚約者として到底見過ごせるものではないわ」

「ご、ごめんなさい、ジーク……」


 広いサロンの中央。使用人たちも全て退出させられた完全な二人きりの空間で、フォルビアは肩をすくめてシュンと俯いていた。呆れ顔のジークリットは、彼に近づくと、その背中をピシャリと叩いた。


「謝る前に背筋を伸ばす! ほら、今日は私が徹底的に礼儀作法とダンスのステップを叩き込んであげるから、しっかりついてきなさい」


 そう言って、彼女は彼の手を取り、ワルツの基本姿勢をとらせた。


「足元ばかり見ない。視線は私の顔の高さ。……そう、一歩踏み出して」

「う、うん。こう、かな……あっ、ごめん! 足、踏んじゃった」


 フォルビアは、慌てたようにバランスを崩し、不格好に彼女のつま先を踏んでしまった。


「痛っ……もう、力を抜きなさいってば」


 顔をしかめる彼女に平謝りしながら、フォルビアは内心で小さくため息をついていた。

 ……わざと下手に踊るのって、意外と難しいな。

 本当は、公爵家の最高水準の教育を密かに、かつ完璧に吸収しているフォルビアにとって、夜会の作法など息をするように容易いものだった。しかし、ここで彼が完璧に踊ってしまえば、彼女が『出来の悪い婚約者』のためにこうして時間を割いてくれる理由がなくなってしまう。だから彼は、絶妙なタイミングで躓き、彼女の指導を引き出すための『愚かな三男坊』を演じ切っていた。


「違うわ、フォルビア。右手に力が入りすぎているの。私の腰に添える手は、もっとこう……柔らかく、でも確実に支えるように」


 ジークリットが一歩距離を詰め、彼の手をごく自然に自身の腰へと導く。密着する身体。鼻先を掠める、彼女の髪の甘い香り。そして何より、真剣な黄金の瞳が、今は『自分一人』だけを真っ直ぐに捉え、自分のためだけに瞬きをしている。


「…………っ」


 その瞬間。フォルビアの脳髄を、かつて経験したことのない強烈な多幸感が駆け抜けた。頭の奥がジンジンと痺れ、身体の芯から甘くドロドロとした熱が湧き上がってくる。

 この部屋には、誰もいない。彼女を値踏みする大人たちも、彼女に見惚れる少年たちも、誰も。自分と、自分のためだけに熱を注いでくれる気高き婚約者。ただそれだけで構成された、完璧で純粋な世界。


「……フォルビア? どうしたの、手が止まっているわよ」


 不思議そうに小首を傾げるジークリットを見つめながら、フォルビアはようやく『理解』した。

 ――ああ、そうか。

 数日前の夜会で感じた、あの息が詰まるような胸の痛みの意味。病気なんかではなかった。ただ単純なことだったのだ。

 僕は、ジークと『二人きり』になりたかったんだ。彼女の美しさを、優しさを、自分だけのものにしておきたかった。

 それなのに、あの場には邪魔な人間が多すぎた。彼女の笑顔を共有し、彼女の時間を奪っていく周囲の連中がいることが、どうしようもなく苦痛だったのだ。


「……フォルビア?」

「ううん、なんでもないよ、ジーク」


 フォルビアは、ゆっくりと微笑んだ。それはいつものオドオドした愛想笑いではなく、彼自身の奥底から自然とこぼれ落ちた、ひどく甘く、純粋で、そして少しだけ異常な熱を帯びた笑みだった。


「ただ……君が僕のために一生懸命教えてくれるのが、すごく嬉しいなって思って」

「ふん……何を馬鹿なこと言っているの。あなたが私の婚約者として恥をかかないようにしているだけよ」


 ジークリットには、フォルビアの甘い言葉が響かない。彼女はこれほどまで身体を密着させても、フォルビアを意識することはない。


「ほら、お喋りは終わり! 次はターンの練習よ、私のステップに遅れないように!」

「うん。頑張るよ、ジーク」


 照れ隠しで厳しくなる彼女の手を、今度はフォルビアの方からしっかりと握り返す。胸の奥で燻っていた得体の知れないモヤモヤは、今や明確な『独占欲』という名の真っ黒な花を咲かせていた。

 邪魔なんだ。僕と君の世界には、他の誰もいらない。どうすれば、この完璧な二人きりの時間を永遠にできるだろう。どうすれば、あの鬱陶しい有象無象から、彼女を完全に隠し通せるだろう。

 ぎこちないステップを踏みながら、無能の仮面の下で、少年の頭脳は恐るべき速度で回転し始める。最も純粋で、最も悍ましい執着が今、産声を上げた。


つづく

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