第5話 泥の仮面
月日が流れ、二人は少しずつ大人への階段を登っていた。ジークリットは来る日も来る日も剣と魔法の腕を磨き、その才能をさらに眩いものへと昇華させていった。一方でフォルビアは、彼女が背を向けている『それ以外』の全てを吸収しようと必死だった。図書室に引きこもって毒や薬学の知識を貪り、彼女が無関心な社交界のパワーバランスや、貴族としての完璧な作法を裏で血の滲むような思いで身につけていった。
ジークが剣を振るうなら、僕は彼女の背中を守る盾になるんだ。
彼女が苦手とする社交の場で、彼女に恥をかかせないように。彼女を害する毒を、いち早く見抜けるように。そんなひたむきな願いのもと、フォルビアの所作は、同年代の貴族令息の誰よりも洗練された、無駄のない美しいものへと仕上がっていた。
そして迎えた、月に一度のお茶会。
フォルビアは今日こそ、彼女に自分の成長を見てもらおうと意気込んでいた。背筋をピンと伸ばし、流れるような美しい所作でティーポットを傾ける。カップに注がれる紅茶は一滴の跳ねもなく、最も香りが引き立つ完璧な温度とタイミングで、ジークリットの前に静かに供された。
「……どうぞ、ジーク」
フォルビアは期待に胸を膨らませ、息を潜めて彼女の反応を待った。
「見事な手際ね」とか、「少しは様になってきたじゃない」とか。ほんの少しでもいい、彼女の視線が自分に向けられ、その努力を認めてくれる言葉を期待していた。
しかし。
ジークリットは、完璧に淹れられた紅茶を無造作に手に取ると、フォルビアの顔を見ることもなく一口飲んだ。
「……次の課題は、水魔法の応用術式ね……」
彼女の口から出たのは、自身の鍛錬に関する独り言だった。フォルビアの美しい所作にも、洗練されたお茶の味にも、彼女は全く気付いていなかった。いや、気付いていたとしても、強さのみを至上の価値とする彼女にとって、そんなものは『取るに足らない些事』でしかなかったのだ。
カチャン、と。彼女がカップをソーサーに戻した無機質な音が、フォルビアの胸に冷たく響いた。
ああ……そうか。
フォルビアは、膝の上でギュッと拳を握りしめ、力なく俯いた。褒めてもらえると思っていた。自分の努力に気づいてくれると思っていた。なんて浅はかで、身勝手な期待だったのだろう。彼女の視線の先には、常に遥か高みにある『力』しかない。下で這いつくばっている自分が、どれほど身なりを整え、綺麗にお茶を淹れられるようになったところで、彼女の金色の瞳に映ることは永遠にないのだ。
彼女にとって、僕はずっと『無能なフォルビア』のままなんだ。
片想いの相手からの、完全なる無関心。それはどんな罵倒よりも残酷に、フォルビアの心を打ち砕いた。同時に、彼は気づいてしまった。「彼女を守りたい」という自分の願いすらも、所詮は『彼女に自分を認めてほしい』という醜いエゴの押し付けに過ぎなかったのだと。
……見られなくていい。気づかれなくていい。
フォルビアは、胸の奥で音を立てて崩れ去った純粋な期待の残骸を、冷たい泥で覆い隠した。
僕が勝手にジークを愛し、勝手に守るだけだ。無能だと嘲笑われたままでいい。彼女に認められようと足掻くのは、もうやめよう。
「……ジーク。お茶のおかわりは、いかがですか」
再び顔を上げたフォルビアは、いつもの『オドオドとした、自信のない無能な三男』の愛想笑いを浮かべていた。その顔の下で、彼がどれほどの絶望と冷たい決意を抱いているか、ジークリットは知る由もない。こうして緑の髪の青年は、誰の目にも触れない暗闇の中で、己を研鑽し続けることを選んだ。外面は取るに足らない無能な婚約者のまま。しかしその分厚い泥の仮面の下には、狂気的なまでの愛と、誰も及ばないほどの毒の知識、そして完璧な技術という『植物』が地中深くまで根を張ってゆくのだった。
つづく




