第4話 毒の種に触れる
マクファーレン公爵家の図書室は、幼いフォルビアにとって世界で最も静かで、最も巨大な森だった。天井まで届く本棚が迷路のように入り組み、カビと古い羊皮紙の匂いが立ち込めるその空間で、緑の髪の少年は床に座り込み、山のような書物に囲まれていた。
剣も魔法も駄目な僕が、ジークの役に立つにはどうすればいい?
フォルビアは分厚い歴史書をめくりながら、必死に過去の記録を追っていた。彼が探しているのは、自分と同じ『持たざる者』の軌跡だ。魔法の才能に恵まれず、剣を振るう腕力もなかったにも関わらず、後世に名を残した偉人はいないだろうか。彼らがどうやってその弱さを補い、強者たちと肩を並べたのか、その答えを知りたかった。政治家、商人、発明家。様々な文献を読み漁る中で、ふと、部屋の最奥の棚にひっそりと収まっていた一冊の古びた手記に目が留まった。タイトルは擦り切れて読めない。ページを捲ると、それは数百年前に生きた、ある奇妙な学者の自伝だった。
「……毒物、学?」
フォルビアは見慣れない言葉に紫の瞳を瞬かせ、その内容に引き込まれていった。その学者は魔力を一切持たない平民だったが、ありとあらゆる動植物の毒を研究し、やがて王族の専属薬師として歴史に名を刻んだという。ページを進めるフォルビアの指が、ある一文でピタリと止まった。
『――“紫闇の根”から抽出される猛毒。これを摂取した者は、体内の魔力回路を完全に“破壊”され、二度と魔法を行使できなくなる』
魔力回路の、破壊。それは、魔法使いにとって死を意味するに等しい、恐ろしい毒の記述だった。どんな天才的な魔法使いであっても、この毒を盛られたら、ただの無力な人間に成り下がってしまう。
「……すごいな。剣や魔法がなくても、知識さえあれば、こんな恐ろしいことができるんだ」
フォルビアは感嘆の吐息を漏らした。しかし、この時の彼には、その毒を使って誰かを傷つけようなどという邪悪な発想は微塵もなかった。
ジークは天才だから、将来きっと沢山の人に妬まれる。もし彼女の食事にこんな毒が盛られたら大変だ。……僕が知識をつけて、彼女を守れるようにならなくちゃ!
彼の胸にあるのは、あの日、一人で血の滲むような修練を積んでいた気高く美しい少女を、自分の手で支えたいという無垢でひたむきな願いだけだ。フォルビアは真剣な眼差しで、その毒の成分や製法、そして解毒の可能性について、ノートにびっしりと書き写し始めた。
――この、何気なく手に取った一冊の本が。
数年後、国立魔法学園の薄暗い特別室で、嫉妬と焦燥に狂いそうになった彼の脳裏に閃きを与え、革命的な枷を生み出す最大のヒントになることを。そして、「破壊」ではなく、彼女を生かしながら力を奪うという、より歪で悪魔的な理論へと彼を導くトリガーになることを。
ランプの灯りに照らされながら、無心でペンを走らせる少年のフォルビアは、まだ知る由もなかった。彼はただ、大好きな婚約者の役に立ちたいという一心で。やがて最愛の人を絡め取ることになる猛毒の種を、そうとは知らずに、自身の純粋な心の一番深い場所へと植え付けていたのだった。
つづく




