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凡人婚約者は天才令嬢を逃がさない  作者: 柊原 ゆず


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第3話 完璧な未来へ


 プラタナス公爵家の庭園の奥深く。木々に隠された荒れ果てた修練場には、鋭い風切り音と木の砕ける激しい音が響き渡っていた。


「はぁっ……!っ……!」


 ジークリットは、先ほどまでのお茶会で着ていた窮屈なドレスを脱ぎ捨て、身軽な修練着姿で木剣を振るっていた。汗が額を伝い、橙色の長い髪が激しく揺れる。彼女の頭の中には、先ほど見た婚約者――フォルビア・マクファーレンの情けない顔がこびりついていた。


『ジーク、その腕……っ!怪我をしてるの!?』


 自分の擦り傷を見た時の、あの痛ましそうな、同情するような紫の瞳。思い出すだけで無性に腹が立った。初めて顔を合わせた幼い日から、ずっとそうだ。兄に嫌味を言われたくらいで泣いて逃げ出し、才能がないと嘆くだけで何もしない。公爵家の三男という安全な檻の中で、ただのうのうと生きているだけの男。

 そんな男に、血の滲むような努力の痕跡を『可哀想な怪我』として扱われることが、彼女の気高いプライドをひどく傷つけた。


「何も持たないくせに、私を哀れむな……!」


 ダンッ!と力強く踏み込み、渾身の力で木剣を振り抜く。標的の木人形が、鈍い音を立てて大きく傾いた。

 ジークリットがこれほどまでに力を渇望し、己を律して鍛錬を積むのには理由があった。彼女には、誰にも言っていない夢がある。それは、『冒険者』になることだ。政略結婚の駒として消費され、『マクファーレン公爵家の三男の妻』という添え物のような名前で一生を終えるなど、絶対に御免だった。自分の足で世界を巡り、魔物を討ち、自分の力だけで『ジークリット・プラタナス』という名を歴史に刻みたい。

 しかし、厳しい現実の壁もある。冒険者ギルドに正式に登録し、一人前の冒険者として活動するには、『十八歳の成人』を迎えている必要があるのだ。現在、彼女はまだ子供であり、プラタナス家の庇護下にある。そして十八歳で学園を卒業すれば、すぐにあのフォルビアとの結婚が待っている。自由になる隙などないように思えるが、天才である彼女の頭脳は、すでに一つの『完璧な青写真』を描き出していた。

 結婚は、してあげるわ。でも、ただで鳥籠に入るつもりはない。

 荒い息を整えながら、ジークリットは木剣を下ろし、自身の掌を見つめた。マメが潰れ、硬く変色したその手は、彼女が己の運命を切り拓くための最強の武器だ。

 計画はこうだ。学園を卒業し、十八歳でフォルビアの妻となる。そして、夫人としての社交や務めを最低限こなしながら、裏では冒険者ギルドに登録し、魔物討伐の依頼を受ける。勿論、フォルビアのような鈍感で無力な男の目を盗むことなど、天才の彼女にとっては造作もないことだ。

 そして、この計画の最大の要は『三年後』にある。貴族の婚姻法において、夫婦として三年が経過しても『跡継ぎとなる子ができなかった場合』、正当な理由として離婚が成立するのだ。

 子など、絶対に作るものですか。

 ジークリットの金色の瞳が、野心にギラギラと輝く。三年間、あのひ弱な男を適当にあしらい、貞操を守り抜く。そして同時に冒険者としての実績と資金を蓄える。三年後、晴れて離婚が成立した暁には、彼女を縛るものは何一つなくなる。その時こそ、名実ともに自由な冒険者として、広い世界へと羽ばたくのだ。


「ふふっ……」


 完璧すぎる自分の計画に、ジークリットは思わず美しい笑みをこぼした。あの弱気で泣き虫な婚約者など、自分の壮大な人生における、ほんの三年の通過点に過ぎない。


「見てなさい。私は誰の所有物にもならない。私自身の足で、頂点に立ってやるのだから」


 夕日に照らされた修練場で、少女は未来への希望に満ちた顔で剣を構え直した。

 彼女の描く完璧な未来。それが、同じ時刻。マクファーレン公爵家の薄暗い図書室の片隅で、彼女に並び立つための『何か』を求めて、取り憑かれたように膨大な書物を貪り始めた少年の手によって。やがて根底から、そして無残に叩き潰されることになるとは。誇り高き太陽はまだ、知る由もなかった。


つづく

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