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凡人婚約者は天才令嬢を逃がさない  作者: 柊原 ゆず


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最終話 終の箱庭

最終回です。


 黄金の鳥籠での凄惨な知恵比べが終わりを告げてから、半年が経過した。

 地下最下層の温室は、あの日ジークリットが放った魔力の暴走で半壊したまま放置されている。その代わり、今の彼女に与えられているのは、マクファーレン公爵邸の最上階にある、本物の陽光が降り注ぐ豪奢な一室だった。そよ風が、開け放たれた窓から白いレースのカーテンを揺らしている。

 そして、部屋の出入り口である立派なマホガニーの扉は――物理的な鍵はおろか、魔法の結界すら一切張られていない状態で、少しだけ隙間を開けて『解放』されていた。


「ジーク、お茶が入ったよ。今日は、君の好きな南部の茶葉を取り寄せてみたんだ」


 ワゴンを押して部屋に入ってきたフォルビアが、ソファで本を読んでいたジークリットに優しく声をかける。彼の左頬には、かつて彼女が放った黄金の炎による火傷の痕が、そして胸の奥には、彼女が自ら縫い合わせた心臓の傷跡が、彼にとっての『至上の勲章』として大切に残されている。


「……そこに置いて」


 ジークリットは、読んでいた本に栞を挟み、静かに顔を上げた。彼女の左手には、かつて彼女の魔力を吸い尽くし、体力を奪っていた『銀の指輪』はなく、ただの結婚指輪がはめられていた。魔力は完全に回復し、身体の調子も万全だ。その気になれば、いつでも窓から飛び降りて飛行魔法で逃げ去ることも、開け放たれた扉から堂々と屋敷を出ていくこともできる。

 フォルビアは、彼女に自由を与えたのだ。

 ……彼女がもう『自らの意志で、この部屋から一歩も出られない』ことを、完全に理解した上で。


「……ねえ、ジーク」


 フォルビアは、ティーカップをテーブルに置くと、彼女の隣に腰を下ろし、その華奢な肩に頭を預けた。


「今日は天気がいいから、庭園まで散歩に行ってみるかい?それとも、王都で買い物がしたいなら、馬車を出させるけれど」

「……行かないわ」


 ジークリットは窓の外に広がる青い空と、活気に満ちた王都の街並みを、感情の抜け落ちたような金色の瞳で一瞥した。


「外の世界の空気は、つまらないもの。……どこを見渡しても、私の頭を焦がすようなあの熱も、殺意も、何一つ落ちていないんだから」


 あの温室で、フォルビアの命の呪いを断ち切ったあの日。

 彼女の心は、彼という強烈な劇薬に完全に灼き尽くされ、彼以外の全てのものに対して色を感じなくなってしまった。

 外の世界に出たところで、何もないのだ。彼女の頭脳をフル回転させる命題も、命を削り合うスリルも、己の全てを曝け出せる狂気の底も。この世界で彼女の『存在意義』を満たしてくれるのは、ただ一人、隣で微笑むこの化け物だけになってしまった。


「そう。なら、ずっと僕とこの部屋にいようね」


 フォルビアは幸せそうに目を細め、彼女の細い指先に口付けた。


「でも、もし君が外に出たくなったら、いつでも出て行っていいんだよ。……君がどこへ逃げても、僕の心はずっと君のものだから」

「……白々しい男ね。私がもう、お前という毒なしでは息もできない身体になっているのを分かっていて、そんなことを言うの?」


 ジークリットは、冷たい声で言い放ちながらも、彼の手を振り払うことはしなかった。それどころか、彼女はゆっくりと身体の向きを変え、フォルビアの首元に両腕を回した。


「ッ……ジーク……?」

「……喉が、渇いたわ」


 ジークリットはフォルビアの首筋に顔を埋め、彼の頸動脈が脈打つ音にじっと耳を澄ませた。

 もう、魔力を補給するために彼の血を飲む必要はない。

 だが、あの日々の中で彼女の細胞の奥底まで染み込んだ『彼を貪る』という行為は、今や抗うことのできない甘い依存症となって彼女を支配していた。


「……ああ、ジーク……僕の、気高い太陽……♡」


 フォルビアは恍惚とした吐息を漏らし、自ら首を傾けて、彼女が牙を立てやすいように無防備な肌を晒した。


「全部、君のものだよ。……僕の血も、魔力も、命も。君の気が済むまで、僕を喰らい尽くして」


 ガブッ、と。

 ジークリットは、一切の躊躇なく、彼の首筋に鋭く牙を突き立てた。


「ぁあッ……!」


 フォルビアの歓喜の呻き声が、静かな部屋に溶けていく。

 口の中に広がる、鉄の味と甘い魔力の香り。それを飲み込むたびに、空っぽになった彼女の心に、彼という名の熱くドロドロとした極彩色が満たされていくのを感じた。

 憎悪と愛執が反転し、境界線が完全に消失した果ての行為。それはもう『反逆』ではない。彼女が彼に与える、そして彼から与えられる、この世で最も歪で純粋な愛情表現だった。


「んっ……、……はぁっ」


 やがて、口を離したジークリットは、血に濡れた唇を指で拭いながら、うっとりと熱に浮かされたフォルビアの紫の瞳を見つめ返した。


「……私をこんな風に壊したお前のこと、一生許してなんかあげないわ」

「うん。一生、僕のことだけを憎んでいて。……君が僕を憎んでくれるなら、僕はこの世界で一番幸せな男だから」


 フォルビアは、血を流しながらも満面の笑みを浮かべ、彼女を腕の中にきつく閉じ込めた。

 ジークリットもまた、彼の背中に腕を回し、かつて最も憎んだはずのその腕の中で、静かに目を閉じた。

 開け放たれた扉。青く澄み渡る空。

 彼女を縛るものは、もう物理的には何一つ存在しない。しかし、彼女がこの部屋を出ていく日は、永遠に訪れないだろう。

 誇り高き太陽は、狂気の支配者が用意した泥沼に自らその身を沈め、二人だけの絶対的な箱庭の中で、永遠に醒めることのない甘い悪夢を見続けるのだった。


Fin.

ついに最終回を迎えました。

惨劇が嘘のように穏やかで、二人だけの世界に浸るフォルビアとジークリット。フォルビアにとっては完全無欠のハッピーエンドです!

連載は終わりましたが、番外編といった形で今後不定期に投稿できたらと思っています。

もし、こういった話が読みたい!などあれば感想かDM?などで教えてもらえたら嬉しいです!

それでは、長々とお付き合いいただきありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
とても面白い話を読ませてくれてありがとうございました。 フォルビアとジークリットのそれぞれの性格がとてもよかったのです。 傲慢を叩き落とす粘着健気献身という組み合わせがとても気に入ってました。 ジーク…
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