第29話 気高き捕食者
「……ごちそうさま。下げてちょうだい」
昼下がり。部屋に足を踏み入れたフォルビアの目に飛び込んできたのは、銀のトレイに乗っていた豪奢な昼食を見事に平らげた彼女の姿だった。指輪のせいで体力こそ落ちているものの、ここ数日しっかりと栄養を摂り、睡眠を確保している彼女の肌艶は以前と変わらず美しく、その金色の瞳には一点の曇りもなかった。
「ふふ、今日も完食してくれたね。嬉しいな。専属の料理長も喜ぶよ」
フォルビアは空になった皿を見て、心底嬉しそうに目を細めた。しかし、ジークリットは彼に視線を向けることすらしない。彼女はティーカップを片手に優雅に椅子に腰掛けたまま、部屋の出口である『重厚な扉』の表面を瞬きすら惜しむように鋭く見つめ続けていた。
「……ねえ、ジーク。僕より、その無骨な扉の方が魅力的?」
「ええ、そうね。お前の間抜けな顔を見ているよりは何百倍も有意義だわ」
氷のように冷たい声で返し、ジークリットは視線を扉に固定したまま口の端を吊り上げた。
「……五層、いいえ、六層の複合結界ね。古代語の封印術式をベースにしているけれど、魔力の供給源は屋敷の地脈から直接引いている。おまけに、術式を無理やりこじ開けようとすれば、自壊して一時的に扉が物理融合する防衛機構まで組み込んである」
彼女の口からスラスラと紡がれたのは、フォルビアがこの部屋に施した『絶対の魔法錠』の完璧な解析結果だった。
「無能の三男坊にしては、随分と勉強したじゃない。……でも、第三層の魔力パスの繋ぎ方がひどく非効率的だわ。あそこの結び目を逆位相の魔力で弾けば、連鎖的に結界は瓦解するわね」
「……ッ」
その言葉を聞いた瞬間、フォルビアの背筋にゾクゾクとするような快感が駆け抜けた。
魔力を奪われ、たった一人で閉じ込められ、全てを失ったというのに。この気高い天才は、『諦める』ことなどしていなかったのだ。彼女は、自身の頭脳と知識という最強の武器をフル回転させ、生き延びて反撃するために、出された食事を貪欲に平らげ、四六時中この鳥籠を破壊するための算段を立てていたのである。
「……あははっ、すごい!すごいよ、ジーク!」
フォルビアは歓喜に顔を上気させ、拍手をしながら彼女に歩み寄った。
「正解だ。さすが太陽の女神様だね。僕が半年かけて組み上げた術式を、魔力探知も使わずに目視の構造分析だけで見破るなんて!……ああ、やっぱり君のその頭脳は世界で一番美しい!」
「気安く褒めないで。反吐が出るわ」
冷たく言い放つ彼女の横顔を、フォルビアはうっとりとした熱い眼差しで見つめた。悲嘆に暮れるか弱い令嬢も可愛いが、やはり彼女はこうでなくてはならない。牙を研ぎ、目を光らせ、常に自分を殺してこの鳥籠を破ろうと隙を窺い続ける、気高く恐ろしい捕食者。
「でもね、ジーク。いくら解き方が分かっても、今の君にはその『逆位相の魔力』を練り上げるだけの力が残っていない。……その指輪がある限り、君の魔力は扉の結界を弾く前に吸い取られてしまうからね」
フォルビアはジークリットの左手を取り、薬指に光る銀の輪にわざとらしく口付けた。頭脳で勝っていても、物理的な絶対条件で敗北している。その事実を突きつければ、今度こそ彼女の心は折れるだろうか。だが、ジークリットは一切動じることなく、彼から乱暴に左手を引き抜いた。
「ええ、分かっているわ。今の私には魔法が使えない」
そう言って、ジークリットは初めてフォルビアの方を向き、その金色の瞳で彼を真正面から見据えた。
「でも、お前は油断したわね、フォルビア」
「……え?」
「私が死ぬのを恐れて、こうして毎日、私に完璧な食事と休息を与えてしまっている。……私の脳には今、十分な栄養が行き渡っているのよ」
ジークリットは、挑発するように美しく微笑んだ。
「魔法が使えないなら、別の手段を見つけるだけ。この部屋の構造、お前の行動パターン、食事を持ってくる使用人の気配。その全てを計算して、必ずお前の首元に食らいついてやるわ」
「……ッ、ああ……ッ!」
「せいぜい、寝首を掻かれないように震えて眠りなさい。私は絶対に、お前を殺すことを諦めないから」
それは、弱り切った小鳥の虚勢などではない。いつか必ず檻を破り、飼い主の喉笛を噛み千切るという、絶対者の『宣戦布告』だった。その宣戦布告を正面から受けたフォルビアは――顔を赤く染め、口元を押さえて、その場に崩れ落ちるように蹲った。
「は……?」
ジークリットはフォルビアの予想だにしない姿を見て、呆気に取られる。
「……ははっ、ふふふっ……!ああ、ダメだ、もう……っ、どうして君は、こんなにも僕を狂わせるんだ……っ♡」
恐怖など微塵もない。彼の胸を満たしていたのは、致死量の愛おしさと、背髄が焼き切れるほどの愉悦だった。
僕を殺すために食事を摂り、僕を殺すために部屋を観察し、僕を殺すために生きる意志を燃やしている。彼女の人生という真っ白なキャンバスが今、『フォルビアへの殺意』という純度の高い感情だけで真っ黒に塗り潰されているのだ。
「いいよ、ジーク……。僕を殺すために、いっぱい食べて、いっぱい考えて。君のその美しい脳を、僕の用意したパズルで存分に満たしてよ」
フォルビアは立ち上がり、熱に浮かされたような瞳で彼女を見つめ返した。
「明日からは、扉の術式を毎日少しずつ書き換えてあげる。君が退屈しないように、最高難度の結界をね。……僕とジーク、永遠に終わらない、二人だけの知恵比べをしよう」
「……望むところよ。化け物」
ジークリットは不敵に笑い、再びティーカップを手にした。公爵家最奥の鳥籠。そこはもう、ただの牢獄ではなかった。生き延びて諸悪の根源を仕留めようとする気高き天才と、その殺意すらも極上のエンターテインメントとして享受する狂気の公爵。二人の、冷たくて熱い永遠の盤上遊戯が幕を開けたのだった。
つづく
基本的にフォルビアくんはジークリットちゃんから与えられるものは何でも喜びます。
ここから、フォルビアくんのイカレヤンデレっぷりも加速していきます。
これからもお付き合いいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします(* ᴗ ᴗ)⁾⁾




