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凡人婚約者は天才令嬢を逃がさない  作者: 柊原 ゆず


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第26話 拒絶


 初春のマクファーレン公爵邸の大広間。

 無数のシャンデリアが眩い光を放ち、王国の重鎮たちが一堂に会する中、マクファーレン公爵家の新たな当主をお披露目する夜会が盛大に開かれていた。

 『弱体化ポーション』という世界を揺るがす特許を引っ提げ、莫大な富と軍事的優位性を王国にもたらした若き新当主・フォルビアの周りには、彼に取り入ろうとする貴族たちの人だかりが絶えなかった。


「……皆様、本日は僕のためにありがとうございます。未熟者ではありますが、マクファーレン公爵家の名に恥じぬよう尽力いたします」


 フォルビアは、優雅な礼装に身を包み、謙虚で人当たりの良い笑みを振りまいていた。誰もがその柔和な態度の裏にある底知れぬ野心に気づかず、こぞって賛美の言葉を並べ立てる。

 歓談の輪から少し離れた壁際。そこに、苦虫を噛み潰したような顔で立つ三人の男がいた。前当主であるフォルビアの父と、次期当主の座を追われた長男、そして伯爵となった次男だ。


「……おや、お父様、お兄様方。壁際でどうされたのですか?」


 フォルビアはシャンパングラスを片手に、三人の元へ悠然と歩み寄った。


「ッ……フォルビア、貴様……!」

「お兄様、声が大きいですよ。せっかくの祝宴なのですから、もっと楽しんでください」


 怒りで顔を赤くする長兄を、フォルビアは氷のように冷ややかな紫の瞳で見下ろした。かつて剣も魔法も使えないと自分を虐げ、ゴミのように扱ってきた家族たち。しかし今、ポーションの利権を完全に個人で掌握しているフォルビアに逆らえば、彼らは文字通り路頭に迷うことになる。


「お父様も。隠居生活のための別荘の居心地はいかがですか?足りないものがあれば、いつでも『援助』いたしますから、遠慮なくおっしゃってくださいね」

「……ぐッ、この……親不孝者めが……ッ」


 屈辱に震える父と兄に、フォルビアは花が綻ぶような、それは美しい笑みを向けた。

 彼らに対する復讐に、これ以上の労力を割くつもりはない。彼らはただ、僕が愛する神様を安全に囲うための『公爵家という巨大な権力』を手に入れるための、踏み台に過ぎなかったのだから。


「では、僕は他のお客様へ挨拶がありますので」


 歯軋りする三人を背に、フォルビアが広間を見渡すと、不意に、見慣れた二人の男が近づいてくるのが見えた。ジークリットの父――前プラタナス伯爵と、新たに伯爵の座を継いだ、彼女の聡明な兄である。


「おお、これはフォルビア公爵閣下! 本日は誠におめでとうございます!」


 前伯爵は、かつてオドオドしていた三男坊を見下していたことなど完全に忘れたかのように、顔いっぱいに卑屈な笑みを浮かべて揉み手をしながら近づいてきた。


「ありがとうございます、義父上。プラタナス家への資金援助の件ですが、先日お約束した通り明日にでも手配いたしますよ」

「おおっ!ありがたい、実にありがたい!これで我が家の財政も……あ、いや、我が領地の発展も安泰ですぞ!いやはや、ジークリットを嫁がせて本当に良かった!」


 娘の安否など微塵も気にしていない、金だけに執着した醜い姿。


「ええ、僕もジークと結婚できて幸せです」


 フォルビアは内心で鼻で笑いながらも優しく応じた。






 豪奢な夜会の熱気と、最高級シャンパンの甘やかな余韻。そして何より、公爵家を完全に手中に収めたという絶対的な勝利の味を噛み締めながら、フォルビアは迷うことなく邸宅の最奥――幾重もの魔法錠で封じられた『彼女の部屋』へと足を向けた。

 ガチャリ、と重く冷たい音を立てて扉を開ける。


「ただいま、ジーク。遅くなってごめんね。起きていたかな?」


 部屋の中は、魔導ランプの薄暗い光に照らされていた。

 ふかふかのベッドの上。真っ白なネグリジェに身を包んだジークリットが、膝を抱えるようにして座っていた。扉が開いた音に顔を上げた彼女の瞳には、かつての太陽のような輝きはない。ただ、色濃い疲労と、拭いきれない不安の影が深く落ちていた。


「君に、早く今日の報告をしたくてたまらなかったんだ」


 久々に起きているジークリットに会えた。上機嫌のフォルビアは漆黒の外套を脱ぎ捨てると、ベッドに腰掛け、彼女の華奢な肩を優しく抱き寄せた。少し痩せてしまった彼女は、強く抱きしめたら壊れてしまいそうな程の儚さがあった。

 フォルビアの身体からは、夜気の匂いと甘い酒の香り、そして何より『外の世界の華やかな喧騒』の気配がした。ジークリットは眉間に皺を寄せる。


「触らないで……お酒臭い」

「ごめんごめん。でも、少しだけこのままでいさせて。君の匂いを嗅ぐと、安心するんだ」


 拒絶しようと身を捩る彼女を、フォルビアは逃さない。薬指の銀の輪が重々しく光る彼女の左手を取り、その指先にそっと口付けた。


「今日の祝宴、本当に素晴らしかったよ。国王陛下にも直々に褒め称えられてね、王太子殿下からは側近にならないかと誘われたんだ。……もちろん、君との生活が一番だからって断ったけど」

「……そう。なら、さっさと満足して寝なさいよ」


 強がって顔を背けるジークリット。メイドたちの前では抜け殻のようだった彼女だが、諸悪の根源であるフォルビアを前にして、根底にあるプライドまでは死に絶えてはいなかったようだ。

 フォルビアは彼女の耳元に唇を寄せ、最も残酷で、最も甘い毒を流し込んだ。


「ねえ、ジーク。今日、君の家族も来ていたよ」

「……!クロード兄様が……!?」


 その名を聞いた瞬間、ジークリットの肩がビクリと跳ね、金色の瞳が大きく見開かれた。

 欲に塗れた両親の元で育つも、聡明に育った兄。だが、ジークリットに対しては、彼女の圧倒的な才能に嫉妬し、関係は良好ではなかった。だが、今の彼女にとっては外の世界に繋がる唯一の希望であり、血の繋がった家族だった。聡明な彼ならば、きっと自分の異変に気づき、この男の異常性を暴いてくれるかもしれない。そんな彼女の微かな最後の『希望』の光を、フォルビアは極上の愉悦とともに、優しく踏みにじっていく。


「うん。……彼、お義父様と一緒に、新しい領地開発の援助金の話で持ちきりだったよ」

「え……?」

「嬉しそうだったなぁ。僕が注いでやったシャンパンを飲み干して、こう言っていたよ。『これからは、天才の妹の影に怯えずに、自分が当主として堂々と表を歩ける』って」


 ドクン、と。ジークリットの胸の奥で、何かが致命的にひび割れる嫌な音がした。フォルビアが紡ぐ言葉は、クロードがかつて抱えていた『劣等感』という事実とあまりにも符合しすぎていた。


「王宮の広間で、皆が踊って、笑って、僕を称賛していた。……でもね、ジーク」


 フォルビアは、絶句する彼女の頬を両手で包み込み、真正面からその揺れる瞳を覗き込んだ。


「あの広い会場で、誰一人として。……ただの一人も、君のことなんて話題に出さなかったよ」

「……嘘」

「嘘じゃない。魔力を失い、静養という名目で消えた『太陽の女神』のことなんて、誰も覚えていなかった。君の家族でさえも、僕が渡す金に夢中で、君の心配なんて一言もしなかったんだ」


 今のジークリットには、その言葉の刃はあまりにも深く、致命的に突き刺さった。


「皆、君の『才能』が好きだっただけだ。魔法の使えない、ただの女の子になった君には、もう何の価値もないと見捨てたんだよ。……可哀想なジーク。でも安心して、僕だけは一生、君を愛してあげるから」


 完全に心が折れ、自分に縋り付いてくる絶望の涙を期待して。フォルビアは甘く微笑み、彼女をきつく抱きしめた。


「――っ、やめなさい!!」


 しかし次の瞬間。ジークリットは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を怒りに歪ませ、己を抱きしめるフォルビアの胸を両手で力いっぱい突き飛ばした。


「……え?」

「触るな……ッ!私に、気安く触るな、この化け物……ッ!!」


 家族に捨てられ、世界に忘れ去られたという絶望。普通ならそこで心が完全に壊れてしまうだろう。だが、彼女は『ジークリット・プラタナス』だ。どれほど翼をもがれようと、その根底にある誇り高い魂だけは、決してこの男の思い通りに跪くことなどしなかった。


「嫌ぁっ!離して、離しなさい!!」


 ジークリットは、残されたなけなしの体力を振り絞り、フォルビアの腕の中で必死に暴れた。彼の肩を叩き、胸を押し返し、なんとかその腕から逃れようと踠く。監禁されたその日から溜め込み続けた空虚を、全て吐き出すような苛烈さだった。

 だが、悲しいほどに非力な彼女の抵抗は、フォルビアの細い腕を僅かに揺らすことしかできない。どれほど暴れても彼の腕の檻はびくともせず、ただ無情に彼女の体力を奪っていくだけだった。


「はぁっ、はぁっ……っ!」


 息が上がり、ついに抵抗する力すら尽きたジークリットは力なく彼の腕の中に崩れ落ちた。それでも彼女は、彼に顔を見られることすら拒絶するように、無理やり身体を捻って背を向けた。華奢な背中が屈辱と怒り、そして絶望で小刻みに震えている。


「……嫌い」


 静かな部屋に、血を吐くような声が響いた。


「嫌い……っ。私は、あなたなんて、大嫌いよ……!」


 全てを奪い、全てを欺き、自身をこんな鳥籠に閉じ込めた諸悪の根源。世界中が自分を見捨てたとしても、この男にだけは絶対に縋ってなるものかと、己の尊厳を懸けた明確な『拒絶』だった。

 だが。

 その言葉を背中で受け止めたフォルビアは。怒るどころか、傷つくどころか――。


「……ああ、ジーク。僕の、気高くて美しいジークリット」


 ジークリットの震える背中を見つめるフォルビアの紫の瞳は、とろけるような熱を帯び、完全な恍惚に打ち震えていた。その表情は神からの啓示でも受けたかのように、ただひたすらにうっとりとしている。

 素晴らしい。君は、世界から見捨てられてもなお、僕の手を払いのけるんだね。

 従順な人形になんてならなくていい。彼女の世界から『他者』という存在が完全に消え失せた今、彼女が抱くこの激しい怒りも、憎悪も、悲しみも、その全てが『フォルビア・マクファーレン』という男ただ一人に向けられているのだ。

 好きでも、嫌いでも構わない。彼女の感情の矢印が、己以外の誰にも向かわないというその絶対的な事実こそが、彼にとっては何よりも甘美なご褒美だった。


「ありがとう、ジーク。……僕のこと、いくらでも憎んでいいよ」


 フォルビアは、背を向けて震える彼女の背中に、背後からそっと自身の身体を密着させた。ビクリと硬直する彼女を気にも留めず、その華奢な肩口に顔を埋め、甘く囁く。


「君が僕をどれほど嫌っても、僕は一生君を離さない。……この部屋で、君が僕を憎んで泣く声を聞くのが、たまらなく愛おしいからね」


 深夜の鳥籠。絶対に屈しない気高い太陽と、その憎悪すらも極上の蜜として貪る狂気の支配者。どこまでも平行線ですれ違い続ける二人の歪な愛憎は、冷たい銀の輪に繋がれたまま、永遠の夜へと溶けていった。


つづく

気高くて強い女性が好きです♡

ジークリットは監禁されて終わる女性ではありません。

ということで、まだ少し続きます。

お付き合いいただけたら嬉しいです(=´∀`)

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