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凡人婚約者は天才令嬢を逃がさない  作者: 柊原 ゆず


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第25話 持たざる者


 王城の最も奥深く、限られた高位貴族しか足を踏み入れることのできない謁見の間。新たなマクファーレン公爵として参内したフォルビアは、玉座の前に恭しく傅いていた。


「見事な功績である、フォルビア公爵よ。貴公の開発したあの薬は、我が国の軍事と魔獣討伐において多大な利益をもたらした。王国を代表して、心から褒め称えよう」


 威厳ある国王からの直接の賛辞。それは、かつて無能と蔑まれていた三男坊が、名実ともに王国の頂点に立つ権力者として認められた瞬間だった。


「身に余る光栄に存じます、陛下。全ては、王国の安寧のためでございます」


 フォルビアが完璧な礼とともに頭を下げると、国王の傍らに立っていた金糸の髪を持つ青年――王太子レオン・ストレリチアが、興味深げな笑みを浮かべて進み出た。


「国王陛下の仰る通り、見事な頭脳だ。若くして魔法界の常識を覆す薬を創り上げたその底知れぬ手腕……次代の王として、実に頼もしい限りだよ」


 王太子レオンは、次期国王としての絶対的な自信と、何事にも恐れを抱かない豪胆さを備えた青年だった。彼は自身の前に傅くフォルビアの才能を高く評価し、鷹揚に手を差し伸べた。


「どうだ、マクファーレン公。貴公のその才能、我が側近として王宮で存分に振るう気はないか?私自ら、貴公を迎え入れたい」


 王太子直属の側近。それは、貴族であれば誰もが喉から手が出るほど欲しがる名誉であり、更なる権力への確実な足がかりだ。周囲に控える貴族たちが、羨望のどよめきを漏らす。

 しかし。


「……殿下のお心遣い、誠に感謝いたします。ですが」


 フォルビアは、その極上の栄誉を、まるで路傍の石を避けるかのようにあっさりと拒絶した。


「僕は、愛する妻との生活を第一に考えていきたいのです。王宮での激務は、どうかご辞退申し上げたく存じます」


 出世よりも妻を選ぶ。そのあまりにも欲のない、あるいは拍子抜けするような返答に、レオンは面白そうに眉を上げた。


「ほう……妻、か。……ああ、そういえばプラタナス家から妻を娶ったと聞いていたな」


 レオンは記憶を探り、ふと思い出したように口の端を吊り上げた。


「ジークリット・プラタナスだな。学園の太陽とも謳われた、相当な美人と聞く。魔力を失って静養しているそうだが……一度、この目で一目逢いたいものだ」


 その名と要望を口にした瞬間。謁見の間の空気が、急速に凍りついた。

 スッ、と。頭を下げていたフォルビアが、ゆっくりと顔を上げる。王太子を見つめるその紫の瞳には、先程までの温厚で謙虚な臣下の面影は微塵もなかった。そこに宿っていたのは、己の宝物に触れようとする者を絶対に許さない、純黒の殺意にも似た『明確な拒絶』だった。


「……今は、ジークリット・マクファーレンです、王太子殿下」


 低く、地を這うような声。彼女はもうプラタナス家の人間ではない。僕のものだ。そう明確に主張する訂正の言葉。


「妻は、現在ひどく体調を崩しており、公爵家の最奥で療養中の身。誰の目にも触れさせず、静かな環境で治療に専念させております。……殿下にお目通り叶う状態ではございませんので、どうか、ご容赦を」


 それは臣下の言葉遣いでありながら、王族の要求を真っ向から斬り捨てる、明確な『立ち入り禁止』の警告だった。普通ならば不敬罪で首が飛んでもおかしくないほどの、剥き出しの独占欲と殺気。

 しかし、底知れぬ狂気を孕んだ紫の瞳に見つめられながらも、生来の怖いもの知らずであるレオンは、怯むどころか「ふっ……ははははっ!」と痛快そうに笑い声を上げた。


「いい目だ、マクファーレン公!よもや私を相手に、そこまでの独占欲を隠しもしないとはな」


 レオンは怒るどころか、ひどく親しげな同士を見つけたような目をフォルビアに向けた。


「……実は、私にもアデレイド・セローという、目の中に入れても痛くないほど愛おしい婚約者がいてね。彼女の美しさを誰にも見せたくない、王宮の奥深くに隠してしまいたいと思う貴公の気持ちは……痛いほどよく分かるよ。どうやら我々は、似た者同士のようだな」


 自らも愛する女に執着する男だからこそ、フォルビアが抱えるあの異様なまでの熱量と、彼女を隠そうとする心理が『同士』として理解できたのだ。だが、相手が本気で隠したがっていると分かれば、あえてそこを突っついてみたくなるのが、豪胆な王太子の悪癖だった。


「だがな、マクファーレン公。そこまで必死に隠されると、男としては余計に覗き見たくなるのが人の性というものだ」


 レオンは、意地悪く口の端を歪めてからかうように告げた。


「妻君が快復した暁には、ぜひ私とアデレイドの個人的なお茶会に『夫婦そろって』招待させてもらおう。……同士からの誘い、断るとは言わせないぞ?」


 最高権力者からの、逃げ場のない『からかい』と『約束』。だが、フォルビアは一切動じることなく、再びいつもの人の良さそうな微笑みを浮かべて深く頭を下げた。


「ええ。……『快復』した暁には」


 ――一生、快復などさせるつもりはない。

 その胸の内に残酷な真実と、絶対に誰も鳥籠に入れないという鋼の決意を秘めながら。

 豪華絢爛な王宮の謁見の間。

 狂気的な愛で鳥籠を完成させた公爵と、それに共感しつつも豪胆にからかう王太子。決して相容れないようでいて、どこか響き合う二人の愛妻家の視線が交差し、王宮の空気にヒリヒリとした火花を散らしていた。


「レオン様。公爵閣下をあまりお困らせになりませんよう。愛する奥様を案じるお気持ちは、貴方様もよくご存知でしょう?」


 王太子の斜め後ろに一歩下がり、これまで静かに控えていた一人の女性が、優雅な所作で進み出た。鈴を転がすような、涼やかで気品のある声。彼女こそが、王太子レオンの婚約者であり、現在の社交界のトップに君臨する華――アデレイド・セロー公爵令嬢だった。彼女は単なる美しい飾りの婚約者ではない。周辺諸国の情勢や法学にまで精通し、若くして有能な政務官としての顔も持つ、完璧な才女だ。


「ははっ、これは厳しい。だが、私がこれほど貴女を愛しているのだから、似た気配を持つ彼に親近感が湧くのも無理はないだろう?なあ、愛しのアデレイド」

「……お言葉、痛み入ります。ですが、今は公式の謁見の場でございますよ、殿下」


 レオンからの熱の入った甘い言葉を、アデレイドはまるで他人事のように涼しい顔で受け流した。その背筋は凛と伸び、表情には寸分の狂いもない完璧な微笑みが貼りついている。洗練され尽くした作法とマナーの鎧に守られた彼女の瞳の奥には、レオンの愛情に対する照れも、驕りも、一切の真意が読めなかった。

 ……見事なものだ。

 フォルビアは、頭を下げながら内心で感嘆した。自身の狂気的な独占欲を前にしても全くペースを崩さない豪胆な王太子と、その隣で完璧な政務官として彼を支え、熱烈な愛すらも優雅にいなす非の打ち所のない婚約者。絵に描いたような、強者たちの姿だった。


「では、陛下、王太子殿下、王太子妃殿下。僕はこれにて失礼いたします。数時間後に控えた、当主継承の祝宴の準備がございますので」

「うむ。今宵の夜会、楽しみにしているぞ」


 フォルビアは、最後にあの『人の良さそうな無害な青年』の笑顔を完璧に作り直し、恭しく一礼して謁見の間を後にした。






 ――王城からマクファーレン公爵邸へと向かう、豪奢な馬車の中。


「…………ッ」


 扉が閉まり、完全に一人になった瞬間。フォルビアは笑顔の仮面を乱暴に引き剥がし、ズキズキと痛み始めたこめかみを強く押さえた。


「ああ……最悪だ。あの王太子、本当に厄介な男だ」


 王城の廊下を歩いている時から、苛立ちで吐き気がしそうだった。


『どうやら我々は、似た者同士のようだな』


 レオンのあの言葉が、頭の中でリフレインして胸糞が悪くなる。


「……一緒にしないでほしいな。僕と貴方は、根本的に違う」


 フォルビアは、忌々しげに窓の外の景色を睨みつけた。

 レオン・ストレリチアは、『持つ者』だ。生まれながらにして王になるという絶対的な自信。それを裏付ける強大な魔力と実力。そして、あの完璧で有能な婚約者と、堂々と肩を並べて陽の当たる場所を歩くことができる資格。彼は全てを『持っている』からこそ、余裕をもって他者を愛し、からかうことができるのだ。

 だが、僕は違う。僕は何も持っていなかった。魔力も、剣の才能も、当主の座も。ただの無能な三男坊だった僕は世界一気高く美しい太陽を手に入れるために、泥を啜り、毒を盛り、彼女の才能をへし折り、周囲を欺き、世界そのものを騙して、ようやくあの『鳥籠』を完成させたのだ。


「誰の目にも触れさせないんじゃない。……触れさせられないんだ」


 自分の愛は、陽の当たる場所には出せない。魔力を奪い外せない枷をはめなければ、彼女はあっという間に自分の手からすり抜けて、大空へと飛んでいってしまうから。

 あの王太子のように、有能な彼女をそのままの姿で隣に立たせてやることなど、無力な自分には逆立ちしたってできはしないのだ。


「……ははっ、なんだ。僕、嫉妬しているのか」


 フォルビアは自嘲気味に笑い、座席に深く背中を預けた。

 だが、それでもいい。持たざる者だからこそ、誰よりも深く、狂おしく彼女に執着できるのだ。

 外の世界の連中がどれほど優秀で、どれほど正しく愛を育んでいようと関係ない。あの鳥籠の中で泣いて、絶望して、自分を憎みながら依存するしかないジークリットの姿こそが、フォルビアにとっては唯一の、世界で一番美しい愛の形なのだから。


「さあ……帰ろう。あの羽虫どもが集まる、退屈なパーティーの準備をしないと」


 数時間後には父や兄、そしてジークリットの家族もやってくる。彼女の逃げ道を完全に断ち切り、この国にマクファーレン公爵の絶対的な権力を知らしめるための、華やかな儀式。それを終わらせれば、またあの優しくて甘い、僕と彼女だけの世界へ帰れる。

 馬車は、王都から公爵邸へと進んでいく。狂気の公爵は来たるべき祝宴に向け、再び完璧な『人の良い笑顔』の仮面を、その顔面に冷たく縫い付けた。


つづく

レオン王太子もヤンデレです。

レオン王太子とアデレイド王太子妃については番外編で書けたらいいな〜と思っています(=´∀`)

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