第24話 革命
特許の承認から実際の流通に至るまでの道のりは、フォルビアの想像を絶する多忙さだった。マクファーレン公爵邸の一室に設けられた彼の執務室には、連日、魔法省の役人や大商会の使者たちが絶え間なく訪れ、書類の山が築かれていく。
愛しいジークリットの世話は、学園時代から彼女の衰弱を見守ってきた従者のサラに任せきりになっていた。
「……奥様のご様子ですが」
分厚い専売契約の書類に羽ペンを走らせていたフォルビアの手が、サラの静かな報告の声にピタリと止まった。
「食事は、こちらが匙でお運びした分だけは、残さず召し上がられています。ただ……」
「ただ?」
「まるで、魂の抜けたお人形のようです。私たちが着替えや湯浴みをさせても、抵抗されることもなく、ただぼんやりと虚空を見つめられておいでです」
サラの淡々とした報告に、フォルビアは小さく息を吐き、ペンをインク瓶に戻した。
かつて、あれほど誇り高く自分を睨みつけていた黄金の瞳から、完全に光が失われてしまった姿。
それは彼が望んだ『完璧な絶望』の形であったはずなのに、自分で世話をしてやれない今の状況下では、彼女が一人で静かに壊れきってしまわないかという一抹の不安が常に胸をよぎっていた。
「……そうか。ひとまず、食べてくれているなら良かった」
フォルビアは、背もたれに深く身を預け、安堵の息をついた。
心が壊れていても、肉体が生き込んでさえいればいい。この忙しい日々が終われば、自分がその空っぽになった身体の奥底まで、たっぷりと愛を注ぎ込んでやるのだから。
「引き続き、彼女の世話を頼むよ、サラ。……彼女は今、とても繊細な状態だから、決して一人にはしないでくれ」
「畏まりました、旦那様」
一礼して退室するサラを見送り、フォルビアは再び書類の山へと向き直った。これも全て、彼女を永遠に自分のものにするための戦いなのだ。
――そして、それから数週間後。
『弱体化ポーション』が市場に流通し始めると、王国の魔法界はかつてないほどの熱狂に包まれた。暴走した魔獣の無力化、魔力過多による難病の治療、そして凶悪犯罪者の拘束。あらゆる分野で劇的な効果をもたらしたその薬は、『世紀の奇跡』として瞬く間に国中へと広まっていった。
それに伴い、開発者であるフォルビアの名は、異例の速さで王国内に轟くこととなる。
『マクファーレンの無能な三男坊』
かつて彼をそう嘲笑っていた貴族や魔導士たちは、今や手のひらを返したように彼を『天才錬金術師』『王国を救う偉大な頭脳』と称賛し、こぞって公爵邸に面会を求めてきた。
皮肉なことだった。太陽のように輝いていたジークリットの活躍の噂が『魔力枯渇』という暗い噂に塗り潰されていくのと反比例するように、泥の底を這っていたフォルビアの名声は最高潮の輝きを放ち始めたのだ。
誰も知らない。
世界が熱狂し、称賛するその『奇跡の薬』こそが。この国で最も美しく気高かった英雄を、薄暗い部屋の奥で、空っぽの人形に変えてしまった『最悪の猛毒』であるという事実を。
世間の喧騒とは裏腹に、公爵邸の最奥にある鳥籠の中では、今日も魂の抜けた太陽がベッドに横たわっている。
魔法省、そして貴族社会を席巻した『弱体化ポーション』の特許は、フォルビアの計算通り、世界に凄まじい革命をもたらした。凶悪な魔獣の生け捕り、他国への強力な軍事抑止力。致死性を持たずに相手を無力化できるその魔法薬は、またたく間に莫大な利益をマクファーレン公爵家にもたらした。
その功績と、裏で張り巡らされた緻密な根回しにより、かつて次期当主とふんぞり返っていた長男は失脚。フォルビアを無能と見下していた現当主の父も、圧倒的な財力と権力を手にした三男の前に平伏し、隠居を余儀なくされた。
――マクファーレン公爵家、新当主フォルビア・マクファーレン。
誰もが嘲笑っていた無能な三男坊は、異例の早さで一族の頂点に立ち、王国の歴史に名を刻む劇薬の開発者となったのだ。
つづく




