第16話 銀の枷
保健室を出ると、外はすっかり夕闇に包まれていた。
「……大丈夫? 歩ける?」
「ええ、問題ないわ。ただ……少し、腕を貸してちょうだい」
「うん、もちろん」
ジークリットは天才としての見栄から必死に背筋を伸ばしていたが、やはりまだ少し力が入らないのか、そっとフォルビアの腕に手を添えた。女子寮へと続くレンガ造りの小道。そこを歩く二人の姿は、当然のように周囲の注目を集める。
「ジークリット様! もう大丈夫なのですか!?」
「心配しましたよ! さあ、僕が寮までエスコートを……」
群がってくるのは、彼女の美貌と才能に惹かれる有象無象の男子生徒たち――彼女が『羽虫』と呼ぶ者たちだった。彼らの視線は、ジークリットへの熱烈な羨望と、その隣を歩く『公爵家の無能な三男坊』への明らかな蔑みに満ちている。フォルビアの取り巻きとは違い、ジークリットの取り巻きは能力主義であることが多い。魔法の才も、剣術の腕も乏しいフォルビアはジークリットの婚約者に相応しくないと考える者は多かった。
「ひぃっ、ご、ごめんなさい……っ! ジ、ジークが、少し疲れているみたいで……」
フォルビアは怯えたように肩をすくめ、ジークリットの影に隠れるように振る舞った。周囲の男たちは、苛立ちの表情を隠さない。マクファーレン公爵家の次期当主である長男ならまだしも、魔法の才も家督の継承権もない三男。ただの政略結婚で、卒業後に『伯爵』の爵位をあてがわれるだけの、飾りのような男。そんな男がジークリットの隣にいることが、彼らには我慢ならなかった。
「ふん、相変わらず情けない男ね。……貴方たち、退きなさい。今は少し休みたいの。この男に送らせるから、構わないで」
彼女が冷たく一瞥すると、男子生徒たちは悔しそうに顔を歪めながらも、渋々道を空けた。フォルビアは「すみません、すみません」と彼らに何度も頭を下げながら、彼女に寄り添い歩き続ける。しかし、緑色のサラサラとした前髪に隠れた紫の瞳は、すれ違う男たちを氷のように冷たく見下していた。
……見ているがいいさ、愚かな羽虫ども。僕が三男坊だからと、跡継ぎではないからと、見下していられるのも今のうちだ。彼女を支え、守り、その弱さを独占できるのは、この世界で僕だけなんだから。
誰一人として、彼が内側に隠し持つ底知れぬ野心と暗闇に気づく者はいない。フォルビアは内心でどす黒い毒を吐きながら、愛しい彼女を女子寮へと無事に送り届けた。
――男子寮、特別室。自室の扉を閉めた瞬間、フォルビアの顔から『気弱な婚約者』の仮面が剥がれ落ちた。
フォルビアは机の上の魔導ランプに火を灯し、ベッドに身体を預けた。薄暗い部屋の中で、彼は自身の左腕を見つめる。つい先程まで、彼女の温かい手が触れ、全体重を預けてくれていた場所。
「……ふふっ、あははは……っ!」
堪えきれない歓喜の笑い声が、静かな部屋に響き渡る。今日の収穫は完璧だった。ポーションの効き目も、僕の介抱に対する彼女の反応も、そして何より、あの無防備な笑顔も。だが、ベッドに倒れ込んでひとしきり幸福の余韻を堪能したあと、フォルビアの思考は極めて冷徹に、次なる『永遠の計画』へと切り替わった。
「今は、伯爵という爵位を貰うだけの三男坊だと思われていればいい。……でも、彼女を一生僕の腕の中に閉じ込めておくためには、もっと確実な『枷』が必要だ」
フォルビアは机に向かい、白紙の羊皮紙を広げた。インクをつけた羽ペンを走らせ、サラサラと描き出していくのは、繊細で美しい銀の装飾。
「……指輪だ。マクファーレン家の人間として、愛する婚約者に贈る、永遠の愛の証」
ただの指輪ではない。その指輪の台座に、最高純度にまで煮詰めたポーションを染み込ませた特殊な魔石をはめ込むのだ。指輪として彼女の肌に直接触れ続ける魔石は、彼女の強靭な魔力回路から、膨大な魔力を『永遠に』吸い取り続けるだろう。
そうなれば彼女は、一生涯、僕がいなければ満足に魔法を使うこともできない『ただの普通の貴族令嬢』になる。
「愛しているよ、ジーク。……もうすぐ、絶対に逃げられない、最高のプレゼントをあげるからね」
深夜の自室。青年はただ一人、愛する神様を地に縫い付けるための美しい銀の輪を、光の消えたうっとりとした瞳で描き続けていた。
つづく




