第12話 渇きに打ち勝つ
二学年の生徒たちが臨んだ、魔の森での『野営実地訓練』。この訓練は、成績に応じてランク分けがされ、それぞれ野営を行う。ジークリットとフォルビアのランクは明確に違う。そのため、三泊四日という期間、ジークリットはフォルビアの淹れる『お茶』から完全に隔離されることとなった。
「……っ、風刃!」
ジークリットの放った不可視の刃が、低級の魔物を難なく切り裂く。しかし、彼女は微かに眉をひそめていた。
……やはり、少し魔力の立ち上がりが鈍いわね。
野営訓練が始まって二日目。彼女の身体には、僅かな『不調』が現れていた。指先に微かな痺れがあり、常に薄い靄が頭にかかっているような、ちくりとした苛立ち。本来なら、ここでフォルビアの毒による明確な禁断症状が出るはずだった。だが、彼女は腐っても百年に一人の天才である。持ち前の強靭な魔力回路と、気高く強靭な精神力が、毒の渇望をギリギリのところでねじ伏せていたのだ。
「ジークリット様! 素晴らしい太刀筋です。ですが、少しお疲れでは……」
「問題ないわ。貴方は自分の背後でも気にしなさい」
すり寄ってくる侯爵家の子息を、彼女は冷たく、しかし冷静にあしらった。頭の隅でチカチカと鳴る苛立ちは、フォルビアの温室にいる時のような『完全な静寂』がないせいだ、と彼女は解釈していた。
本当に、外の羽虫は煩わしいわね。あの無能の温室のほうが、よっぽど静かで集中できるわ……。
自分の足でしっかりと立ち、彼女は残りの訓練も完璧な成績で乗り切ってみせた。
その日の深夜。一人用のテントで休息を取っていたジークリットの元に、学園の従者であるサラが訪れた。
「マクファーレン家のフォルビア様より、お預かりものがございます。『不慣れな野営で、疲れているだろうから』と」
渡された銀の魔法瓶。蓋を開けると、ふわりと嗅ぎ慣れた紅茶の香りが漂ってきた。
「……あいつ、こんな所まで。本当に暇な男ね」
ジークリットは呆れたように息を吐いたが、その表情は決して不機嫌ではなかった。カップに注ぎ、優雅に一口飲む。美味しい。口の中に広がる甘みと共に、頭の隅にあった微かな靄がスッと晴れていく。だが、それはあくまで疲労が回復した程度の心地よさであり、彼女が自我を失って縋り付くような劇的なものではなかった。
「ふふ、まあ……淹れる腕だけは、認めてあげてもいいわね」
ジークリットは一人テントの中で、微かな笑みを浮かべながら、ゆっくりと最後の一滴まで紅茶を味わった。彼女の誇りは、まだ微塵も折れていなかった。
――同じ頃。ジークリットから離れた場所の、一人用のテント。
「……そうか。普通に飲み干したか。実地訓練の成績も、トップ……」
通信用の魔道具越しにサラからの報告を受けたフォルビアの顔から、スッと表情が抜け落ちた。彼が想定していたのは、毒が切れてボロボロになり、魔法瓶にすがりついて泣く彼女の姿だった。しかし、彼女は持ち前の強靭さで、彼の用意した『渇き』をあっさりと乗り越えてしまった。薄暗いテントの中で、フォルビアはポツリと呟いた。
「……さすが、僕のジークだ」
悔しさではない。彼の中に湧き上がったのは、背筋がゾクゾクするような、悍ましいほどの歓喜と興奮だった。
僕が数ヶ月かけて仕込んだ毒を、無意識のうちに己の精神力だけで跳ね除けてみせる。なんて強くて、なんて気高くて、なんて美しいんだろう。
「でも、ちょうどよかったかもしれないな」
フォルビアの紫の瞳から、完全に光が消え失せた。漆黒に沈んだ瞳孔が、手帳の年間カレンダーをねっとりと見つめる。
「この野営実地訓練が終われば、春の長期休みを挟んで、いよいよ三年生。……彼女が夢見る『卒業』まで、あと一年だ」
十八歳になり、冒険者として羽ばたくという彼女の完璧な未来の計画。それを根底から叩き潰し、二度と空を見上げられないようにするためには、一、二年生の間使っていたような薄いポーションでは到底足りない。
「そろそろ、『仕上げ』に取り掛かろうか」
フォルビアは魔法瓶に手を伸ばした。これまでの何倍もの濃度で抽出された、紫闇の根の原液。これを彼女の強靭な魔力回路に合わせ、少しずつ、しかし確実に依存させる究極のブレンドへ昇華させるのだ。
「君を完全に僕の腕の中に閉じ込めるためには、もっと……もっと強いポーションを作らなきゃね」
彼女が強ければ強いほど。それに抗う姿が美しければ美しいほど。フォルビアの愛という名の執着は、より深く、より致命的な猛毒へと進化していく。
「ジーク。帰ってきたら、とびきり甘いお茶を淹れてあげるからね」
誰もいない部屋で、光を失った瞳の青年が、フラスコを見つめながら、ひどく幸せそうに微笑んでいた。
つづく




