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夫の子①、彼の子②の、③つ子ちゃん ~3兆分の1の奇跡に溺れた托卵妻の完全犯罪計画~  作者: 団田図


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第36話 破滅の交響曲

 (くくっ……)

 俺の喉の奥から、乾いた冷笑が漏れた。

 舞子まいこに仕込ませた『長男と三男の父親が違うことを証明するDNA鑑定書』、そして、兄さんの書斎にわざと放置した『血のついた特殊工具』。

 それらを発見した栄子の頭の中では、今頃、最悪の被害妄想が肥大化し、完全に暴走しているはずだ。『夫は私の不倫と托卵をすべて知った上で、愛人を惨殺した。次は私が殺される』と。

 逃げ場を失った彼女が己の保身のために選んだ道は、やはり俺の予測通り、兄さんを事故死に見せかけて先手を打って殺害することだった。


 ターゲットは、兄さんが溺愛しているジャガー・Eタイプ。

「ブレーキに細工をするつもりなら、舞台は必ずガレージになる」

 俺は立ち上がり、特殊な電子工作ツールを詰め込んだアタッシュケースを手に取った。栄子が行動を起こす前に、彼女の犯罪を完璧な形で記録するための『目』を設置しなければならない。

 深夜、俺は音を立てずに別宅の地下ガレージへと潜入した。

 ガソリンと古い革の匂いが漂う中、俺はジャガーの前輪タイヤの裏側――ブレーキホースが露出している箇所を真正面から捉える位置に、超小型の高画質・暗視カメラを仕掛けた。さらに、ガレージの全景を見渡せる天井の隅にもう一台。

 これらのカメラは、微かな動きを検知して録画を開始し、リアルタイムで俺のサーバーへ映像を転送する。

「さあ、準備は整った。いつでも来るがいい、泥棒猫」

 俺はカメラのレンズについた微かな埃を拭い去り、完璧な死角から彼女の凶行を待ち構える態勢を完了させた。


+++


 それから数日後の深夜。

 運命の時は、静かに訪れた。

 自室のトリプルモニターの前でコーヒーをすすっていた俺の目に、中央のモニターの端でチカチカと点滅する『動体検知アラート』の赤い文字が飛び込んできた。


「……来たか」

 俺はコーヒーカップを置き、モニターに身を乗り出した。

 暗視カメラ特有の、緑色がかったモノクロ映像の中。ガレージの重厚な扉が音もなく開き、そこから一人の女が忍び込んでくる姿が鮮明に映し出された。栄子だ。

 高級なナイトガウンを羽織った彼女の顔は、極度の緊張と恐怖で青白くひきつり、目は異様なほどに血走っていた。その手には、兄さんの工具箱から盗み出したであろう、重い金属製のニッパーが握られている。

 俺はキーボードを叩き、録画システムが最高画質で稼働していることを確認した。この映像こそが、彼女を完全に社会から抹殺するための決定的な証拠となるのだ。


 栄子は周囲を過剰なほど警戒しながら、ジャガーのフロント部分へと近づき、冷たいタイルの上に膝をついた。そして、前輪タイヤの裏側へと体を潜り込ませる。

 タイヤの裏側に仕掛けておいたもう一台のカメラが、彼女の手元を克明に捉えた。

 栄子は、震える両手でニッパーを握りしめ、黒くて太いゴム製の管――ブレーキホースに刃を押し当てた。

 ギリッ、と。

 ゴムが深くえぐり取られ、耐圧層に達する寸前で刃が止められる。完全に切断してしまえばガレージ内でオイルが漏れて発覚してしまう。油圧がかかった瞬間に破裂するように、絶妙な深さで亀裂を入れたのだ。彼女なりに、必死にネットで調べた成果なのだろう。


 刃を入れる栄子の顔が、カメラのレンズの真正面に映っている。

 そこにあったのは、夫を殺害することへの罪悪感など微塵もない、ただ自身の裕福な生活と命を守り抜こうとする、ドス黒い強欲さとエゴイズムの塊だった。

「……この目は、あれだ、浩二を殺害した犯人の目の、ソレだ」

 俺は再度殺人者の目を見てしまう羽目になり身震いし、栄子がガレージから逃げるように立ち去るのを見届けた。彼女の殺人未遂の決定的な瞬間は、4Kの超高画質データとして、俺の強固なローカルサーバーに丁重に保存された。


 さて、ここからがフィナーレだ。

 俺は視線を右のモニター――暗号化メーラーへと移した。

 栄子は今頃、「これで夫は事故死し、自分は悲劇の未亡人として莫大な財産を手に入れられる」と、完全犯罪の成功に酔いしれていることだろう。彼女の計画の前提は、「夫が不倫相手(浩二)を殺害した」という誤解のもとに成り立っている。夫が殺人犯だからこそ、罪悪感からの自殺というシナリオが警察に信じてもらえると考えているのだ。

 ならば、その『前提』そのものを、根底から叩き潰してやればいい。


 俺はマウスをクリックし、ヤクザが江上浩二を惨殺している一部始終を収めた動画データを添付ファイルに指定した。

 宛先は、警視庁の匿名通報窓口。

 件名には短く『雑居ビル殺人事件の決定的な証拠映像』とだけ打ち込む。

 俺は一切の躊躇なく、エンターキーを強く叩き、送信ボタンを押した。

『送信完了』のポップアップが、暗い部屋で青白く光る。


「……チェックメイトだ」

 俺は深く椅子に背中を預け、天井を仰ぎ見た。

 この鮮明な映像を受け取った警察は、すぐさま映像解析を行い、実行犯であるヤクザの逮捕に向けて一斉に動き出すだろう。

 浩二を殺したのは兄さんではなく、裏社会の人間だという事実が、警察の公式な見解として確定する。

 そうなれば、どうなるか。

 栄子が用意したであろう「夫が不倫相手を殺した罪悪感から自殺した」というシナリオは、完全に破綻する。動機も、状況証拠も、すべてが空回りするのだ。

 警察の目に映るのは、ヤクザの事件とは全く無関係の温厚な夫を、妻が自らの不貞を隠蔽するため殺そうとしたという、醜悪な『殺人未遂事件』だけとなる。

 俺が録画したブレーキホース切断の映像を提出すれば、彼女の言い逃れは完全に不可能になる。


 自分の描いた完璧な自滅へのシナリオが、音を立てて崩れ去っていく様を眺めながら、俺の胸には絶対的な番犬としての冷酷な達成感が満ちていた。

 明日、日が昇る前に兄さんへこの事実全てを伝えなければいけない。

 あの傲慢な泥棒猫だけでなく、兄さんにとってもつらい日となるだろう。

 俺は完全に冷え切ったコーヒーを一息に飲み干し、静かに目を閉じて、明日の朝に響き渡るであろう狂乱のシンフォニーの余韻を、一足先に味わっていた。


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