第18話 暴かれた真実
それから数日後。
午後、私は新しく届いたクレジットカードの明細書を保管するため、隆史の書斎に入った。
分厚い遮光カーテンが引かれた薄暗い部屋。私はアンティーク調のキャビネットの引き出しを開け、いつも通りファイルの束を整理しようとした。
その時だ。
革張りのファイルの間に、一部がはみ出している不自然な白い封筒があることに気がついた。
(……何これ?)
何気なくそれを引き抜いた瞬間、私の心臓がドクンと嫌な音を立てて大きく跳ね上がった。
宛名には『矢絡深隆史 様』。
そして差出人の欄には、『五反田DNA鑑定センター』という無機質な文字が印字されていた。
私が先日、子供たちの粘膜を密かに送りつけたのとは、全く別の鑑定機関の名称だった。
全身の血が、一気に足元へと流れ落ちていく。
(……嘘でしょ?)
封筒の口はすでにハサミで綺麗に切り取られ、開封されていた。
私は震える指先で、中から分厚い報告書の束を引きずり出した。
一枚目をめくり、そこに印字されていた『報告日』の日付を見た瞬間、私は息を呑み、その場に崩れ落ちそうになった。
——私が自分でDNA鑑定を依頼した日よりも、丸一ヶ月も前の日付だったのだ。
(私が調べるよりもずっと前に……隆史は、誰かの血縁を調べていたの……!?)
頭の中で、警鐘がドリンドリンと鳴り響く。
私は脂汗を滲ませながら、震える手で報告書のページをめくった。
そこに記載されていたのは、父親である隆史自身のDNAと子供たちを比較する一般的な父子鑑定であった。
『父子DNA鑑定』検体【父】として隆史の毛髪、そして三人の子供たちの粘膜が比較された結果だった。
報告書のページには、「DNA塩基配列」や「STR座位」「半同胞指数(Half-Sibship Index)」といった、私には理解できない専門用語と複雑な数値の羅列が、これでもかとばかりにびっしりと並んでいる。
しかし、最終ページの『結論』の欄に書かれていた数行の文章だけは、残酷なほど明確に、私を奈落の底へと突き落とすには十分すぎた。
『検体【父】と、検体Aの父権肯定確率』
——【0%】生物学的父親であるとは認められない。
『検体【父】と、検体Bの父権肯定確率』
——【99.99%】生物学的父親であると認められる。
『検体【父】と、検体Cの父権肯定確率』
——【0%】生物学的父親であるとは認められない。
「…………ッ、ぁ……」
私の喉の奥から、空気が漏れるような乾いた音が鳴った。
報告書を持つ両手が、ガタガタと制御不能なほど激しく震え始める。
この無機質な文字の羅列が意味することは、たった一つ。
『三つ子のうち、一人だけ別の男の子供が混ざっている』という、私の不貞の事実が、医学的に完全に証明されているということだ。
(隆史は……知っている……?)
この一ヶ月間。彼は、私の腹から産まれた三つ子の父親が別々であるという、この狂気じみた真実を知った上で、私に接していたというのか。
「そんな……そんなはずないわ……っ!」
私はキャビネットにしがみつき、必死に呼吸を整えようとした。
人を疑うことを知らない、あの底なしのお人好しが。私を盲目的に愛し、子供たちを奇跡の天使だと崇め奉っているあの男が、こんな残酷な事実を知って、平常心でいられるはずがない。
もし知っていたのなら、なぜ私を問い詰めない? なぜ私を罵倒し、この家から叩き出さない?
理解不能な現実が、巨大な渦となって私の精神を飲み込んでいく。隆史が自ら子供たちのDNAを採取し、この鑑定を依頼したのだと、私は激しく理解したと同時に、夫の言動に理解の範疇を超えてしまうこととなった。
+++
その日の夕方。
重厚なエントランスの扉が開き、隆史が帰宅した。
「ただいま、栄子。僕の美しい女神」
隆史は私を見るなり、満面の、心底幸せそうな笑顔を浮かべ、いつも通りに私を力強く抱きしめた。
「お、おかえりなさい……あなた……」
私は顔の筋肉が引きつるのを必死に抑え込み、恐怖で冷え切った体を彼に預けた。
「今日も一日、天使たちの世話をありがとう。本当に、君と子供たちがいるこの家は、僕にとって天国だよ」
隆史の太い腕が、私の背中をさする。
その「底知れぬ底無しの優しさ」が、今や巨大なバケモノの触手のように感じられ、私は声も出せずに震え上がった。
知っているはずだ。私の浮気を。他人の血が混ざっていることを。
それなのに、なぜ彼は、いつも以上に狂気じみた愛情を私に注ぐことができるのか。この笑顔の下で、一体どんな悍ましい憎悪を煮えたぎらせているというのか。
パラノイアのように肥大化していく被害妄想が、私の正気を完全に蝕み始めていた。
深夜のベッドルーム。
最高級のシルクのシーツの上で、隆史はいつものように私を神聖な祭壇に捧げる供物のように、ひたすらに優しく、丁寧に愛撫した。
「……栄子、愛しているよ。君のすべてが愛おしい」
暗闇の中で甘く囁く隆史の手が、ゆっくりと私の下腹部へと滑り降りていく。
そして、私のビキニラインに横たわる、十五センチの帝王切開の傷跡。その引きつれた白い線に、彼の熱い唇がねっとりと押し当てられた。
「三人の天使たちが通ってきた、奇跡の通り道だ。世界一美しくて、尊い勲章だよ……」
昨日までなら、私が「完全勝利」を確信して嘲笑えたはずの、その狂信的なキス。
しかし今、真実を知っているはずの彼が私の傷跡に触れた瞬間、私の脳内ではその行為の意味が完全に反転していた。
(違う……。これは、愛情なんかじゃない)
傷跡をなぞる彼の指先が、鋭利なメスのように冷たく感じられる。
『お前が他の男のガキを産み落としたこの腹を、俺はいつでも切り裂いて、中身を引きずり出せるんだぞ』
声なきサイコパスの脅迫状。
暗闇の中で彼が微笑んでいる姿を想像しただけで、恐怖で全身の毛穴が開き、呼吸が浅くなった。
「……っ、ひぐっ……ぁ……」
絶望と極限の恐怖に耐えきれず、私の目から大粒の涙がとめどなく溢れ出し、シーツに黒いシミを作っていった。ガタガタと震える私の肩を、隆史が驚いたように見下ろした。
「栄子……? どうしたんだい、泣いているのか?」
「あ、なた……怖い、怖いよぉ……っ」
私が声にならない悲鳴を上げると、隆史は私の顔を両手で包み込み、自らも涙ぐみながら、私を窒息しそうなほど強く抱きしめてきた。
「ああ……栄子。僕の深い愛情が伝わって、感動してくれているんだね。泣かないで、僕の可愛いお姫様」
「……っ!?」
「僕はずっと君を愛しているよ。何があっても、絶対に君を離さない。……絶対に、逃がさないからね」
耳元で甘く囁かれたその言葉は、私にとって完全に『死の宣告』だった。
狂っている。この男は完全に狂っている。
私の震えを『愛への感動』だと勘違いし、恍惚とした表情で私を抱き潰す夫。
私は暗闇の中で、声にならない絶叫を上げながら、自分が完璧に作り上げたはずの黄金の鳥籠が、決して逃げ出すことのできない「拷問室」へと変貌してしまった事実を、絶望と共に噛み締めていた。




