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後宮の縁切り女官 ~悪縁を断つ救国の巫女は皇弟に溺愛される~  作者: 山田露子 ☆ヴェール小説4巻発売中!


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ピチャ、ピチャ、ピチャ……

 

 豊紈ほうかんは不安げに視線を動かし、目撃後の状況について説明を始めた。


おう賢妃けんぴは腰を抜かしてしまい、ものも喋れない有様ありさまでした。目を見開き、口をわなわなと動かして、荒く息をしながらすがりついてくるので、こちらも動くことができません。私もおそろしさで心臓が止まりそうでしたが、キョウ道士から飛頭蛮ひとうばん除けのお守りをいただいていたので、なんとか気を強く保つことができました。しばらくのあいだ怯えるおう賢妃けんぴの背中を撫でていますと、どこかから奇妙な音が聞こえてきました。ピチャ、ピチャ、ピチャ……水がしたたるようなその音は、牌坊はいぼうの向こう側――階段下から聞こえてくるようでした」


 それはなんの音だろう? 雪華は豊紈ほうかんの顔をじっと見つめた。

 豊紈ほうかんが苦しげに顔を歪め、言葉を吐き出す。


おう賢妃けんぴが浅い呼吸を繰り返しながら、涙目で頼んできました――『熊犬が無事か、あなた見に行ってくれない?』――あるじのお願いであるのに、私はおそろしくて『はい』と答えることができませんでした。おう賢妃けんぴはその後も何度か『見に行って』と頼み、やがて気を失ってしまいました」


 極限の状況でも犬の安否を気遣うおう賢妃けんぴは、優しい人なのかもしれない。けれど付き人の豊紈ほうかんに対しては、こくなことを頼んでいる。


「それで豊紈ほうかんさんは見に行ったのですか?」


 豊紈ほうかんは背を丸め、小さく頷いてみせた。


「はい……どうしてあんな勇気が出たのか、自分でもよく分かりません。ぐったりと力の抜けたおう賢妃けんぴの体を地面に横たえ、牌坊はいぼうのほうにひとりで歩いて行きました。月が丸かったのを覚えています……」


 語る豊紈ほうかんの目には涙が滲んでいる。


「門柱のところに辿り着き、階段の下を覗き込みますと、月明かりに照らされて大部分は目視できたのですが、一部見えない場所がありました。右側からせり出している大樹の枝が影を落とし、闇にとけています。ただ――暗がりで何かがうごめいているようで、その動きに合わせて、ピチャ、ピチャ、ピチャ、と音がしました」


「それはなんの音だったのですか?」


「私が大きな声で『誰かいるの?』と尋ねると、音が止み、何かがさっと動いて木立の中に飛んで行きました。しばらく待っても、その何かが戻って来る気配がないので、勇気を出しておそるおそる階段を下り、音がしていた場所に近づいてみますと……熊犬が腹をずたずたに裂かれて死んでるのを発見しました。階段には大きな血だまりができていて、ひどく生臭かった。飛頭蛮ひとうばんが熊犬の腹を裂き、はらわたを食べたのでしょう」


 しん……と痛いくらいの沈黙が広がる。

 皆、陰鬱な顔つきで、しばし言葉も出ない。

 やがて桃義とうぎが唇を尖らせ、呟きを漏らした。


「犬は死んでおう賢妃けんぴも死にそうだけど、私は大丈夫……だってキョウ道士からもらった数珠を着けているもの」


 雪華はこれに少し呆れたのだが、よくよく考えてみると、桃義とうぎがいらぬことをあえて口に出すのは、不安の表れなのかもしれない。


「絶命している熊犬を見つけたあと、どうされましたか?」


 雪華は桃義とうぎを無視して、豊紈ほうかんに尋ねた。

 おう賢妃けんぴ豊紈ほうかんは、魏祥ぎしょうを探すために境内を歩いていたはずだが、それどころではなくなった。

 時系列をはっきりさせておく必要がある。

 おう賢妃けんぴは気を失ってしまったので、豊紈ほうかんが助けを呼びに行ったのだろうかと思ったら――。

 豊紈ほうかんが答えた。


「ふたたびおう賢妃けんぴの元に戻ろうと階段を上がり切ったところで、桃義とうぎがこちらに近づいて来るのが見えました」


 ……ん? ちょっと待って。

 雪華は眉根を寄せた。


「――桃義とうぎさん、おひとりで?」


「ええ、それが何か?」


 桃義とうぎが勝気にそう尋ね返すのだが、これは問題がある。



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