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【書籍化決定】後宮の縁切り女官  作者: 山田露子 ☆ヴェール小説4巻発売中!


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笑う首

 

 ――事件当日、豊紈《ほうかん》が見たものとは。



「私はあの夜……確かに飛頭蛮《ひとうばん》を目撃しました」


 これまでの流れではずっと桃義《とうぎ》が横から場をかき回していたのだが、目撃者の豊紈《ほうかん》から、一番聞きたかった話がやっと聞けそうである。

 重い口を開いた豊紈《ほうかん》は、姜《キョウ》道士からもらった魔除けの数珠を、しきりに指で弄っている。ひどく不安そうだ。

 雪華は当夜の状況を確認した。


「桃義《とうぎ》さんが武官と宦官を足止めしているあいだに、あなたと黄《おう》賢妃《けんぴ》はこっそり建物から抜け出し、境内を歩き回ったのですね?」


 豊紈《ほうかん》が小さく頷いてみせた。


「はい、そうです。私たちはふたり並んで、裏門のほうに向かいました。それは黄《おう》賢妃《けんぴ》の指示でした――『表門で小火《ぼや》騒ぎが起きたということは、魏祥《ぎしょう》は反対側にいるのではないかしら』とおっしゃいまして」


 その判断は理《り》に適《かな》っている。

 豊紈《ほうかん》が小声で続けた。


「境内の端に向かって歩いて行くと、前方にどっしりした造りの牌坊《はいぼう》が見えてきました。寺院は山の上に建っているので、あの門をくぐると、先は下り階段になっています。門柱のあいだに満月が浮かんでいて、牌坊《はいぼう》を背後から明るく照らし出していました。黄《おう》賢妃《けんぴ》が眉根を寄せ、『なぜ門衛が誰もいないのかしら?』と呟きを漏らしたのですが……あとで聞いたところ、表門付近で上がった火を消すのに手こずり、たくさんの桶《おけ》に水を入れて、それを大勢で手渡しして対処する必要があったそうです。人手が足らず、裏門を守っていた門衛も消火を手伝っていたのだとか」


 都の城門では兵が持ち場を離れるのはありえないだろうが、寺院なので外敵をそこまで警戒する必要がなく、消火活動を優先させたのは自然な流れだ。


「まだ牌坊《はいぼう》までは遠かったため、黄《おう》賢妃《けんぴ》が私の手を握り、『急ぎましょう』と促しました。この段階で黄《おう》賢妃《けんぴ》は『魏祥《ぎしょう》は悪いことをしている、彼女は今、牌坊《はいぼう》の裏にいるに違いない』と確信しているようでした。私が頷いてみせた時、遠くのほうで犬の鳴き声がしました。私たちがいる位置からはやっと聞き取れた程度でしたが、断末魔のような悲しくおそろしい声でした」


 月明かりの中、遠くから聞こえてきた犬の断末魔――……一体何があったのか。

 豊紈《ほうかん》が体を縮こませ、ぼそぼそと語る。


「犬の鳴き声は牌坊《はいぼう》の向こう――下方から響いてきました。おそらく下り階段の途中でしょう。寺院には人懐こい垂れ目の熊犬がいて、いつもは裏門付近に張りついているのですが、姿が見えません。黄《おう》賢妃《けんぴ》が『まさか』と恐怖に顔を引きつらせ、縋りついてきました。黄《おう》賢妃《けんぴ》を転ばせたらまずいので、私は牌坊《はいぼう》から視線を外し、お体を支えたんです。その時、フッと視界が翳《かげ》り――……」


 当時の状況を思い出しているのか、豊紈《ほうかん》の瞳が小刻みに揺れ、一瞬上の空になった。

 雪華は固唾を呑みそれを見守った。

 そのまま空白の時が流れ――。


「――黄《おう》賢妃《けんぴ》が狂ったように絶叫しました」


 そう語る豊紈《ほうかん》の語調は不安定で、当時ふたりが味わった混乱と恐怖が雪華にも伝わってきた。

 豊紈《ほうかん》が唇を震わせながら続ける。


「私は一瞬、訳が分かりませんでした。すぐ隣で黄《おう》賢妃《けんぴ》が叫び続けていて、すごい力でぐいぐい引っ張るので、余計に混乱してしまって……爪がギリギリと私の手に食い込み、とても痛かった。黄《おう》賢妃《けんぴ》が目を見開いて牌坊《はいぼう》のほうを見ているので、私も咄嗟に首を左に回し、そちらを見ました。すると……『あれ』がいたんです。門の先で月を背景に、飛頭蛮《ひとうばん》が宙に浮かび、私たちを見て嗤《わら》っていました」


 雪華は背筋がぞっとした。何かおそろしいものがこの場に潜んでいて、皆を死角から眺めているような錯覚に囚われる。


「飛頭蛮《ひとうばん》はどのような外見をしていましたか?」


「月明かりを背後から浴びていたので、顔の中心部が影になり、細部までしっかり確認することはできませんでした。ただ、髪の長い女性であるのは間違いないと思います。結い上げておらず、ざんばら髪が夜空に広がって見えました。胴体がなく、首だけが不気味に浮いていたのです」


「大事なことを確認したいのですが……その飛頭蛮《ひとうばん》の顔は、魏祥《ぎしょう》さんと似ていませんでしたか?」


 雪華はついに核心に迫った。状況から判断すると、『魏祥《ぎしょう》の正体は飛頭蛮《ひとうばん》である』というのが矛盾もなく筋が通る。

 しかし……。


「それはないわ」


 ここで桃義《とうぎ》が口を挟んだ。


「なぜそう言い切れます?」


 そもそもあなたは現場におらず、飛頭蛮《ひとうばん》を見ていないでしょう?

 魏祥《ぎしょう》が飛頭蛮《ひとうばん》除けのお守りを着けていたから、違うと主張しているの? けれどその数珠には、なんの効力もないかもしれないわよ。

 桃義《とうぎ》が口元をへの字に曲げてから答えた。


「私はこの話を、豊紈《ほうかん》だけでなく、黄《おう》賢妃《けんぴ》からも聞いているんです。豊紈《ほうかん》も黄《おう》賢妃《けんぴ》も言っていることはまったく同じで、飛頭蛮《ひとうばん》の顔は醜く歪んでおり、鬼のようだったと語っています。宙を飛ぶ首が少し回転して、裂けるほどに大きく口が開いているのが見えたのですって。確かに魏祥《ぎしょう》は普段髪を結っているけれど、堅苦しいのが嫌いで、ひとりになるとほどいてしまう癖がありました。けれど、その……魏祥《ぎしょう》はなんていうか……醜い女ではないので」


 最後のほうはあまりにも小声で、よく聞き取れなかった。

 戸惑って豊紈《ほうかん》のほうを見ると、彼女が困り顔で説明してくれた。


「はい、あの……魏祥《ぎしょう》は美人なんです。私と黄《おう》賢妃《けんぴ》が見た鬼のような形相の飛頭蛮《ひとうばん》とは、似ても似つきません。絶対に違うかと言われると、周囲は薄暗く、視界良好ではなかったので断定はできませんが……でもやはり美しく優雅な魏祥《ぎしょう》とは明らかに違いました」


「飛頭蛮《ひとうばん》を確認できた時間は?」


「ほんのわずかです。すぐに消えてしまいました。黄《おう》賢妃《けんぴ》は私よりも早く飛頭蛮《ひとうばん》に気づきましたけど、それでもそんなに長い時間見たわけではありません」


 視界が悪く、見えたのはわずかな時間……これをどう判断したものか。

 恐怖で認識が歪み、見間違えた可能性はもちろんある。

 しかし黄《おう》賢妃《けんぴ》と豊紈《ほうかん》、その場にいたふたりの証言は矛盾なく一致しているようだから、すべてを『目の錯覚』で片づけるのは無理があるかもしれない。飛頭蛮《ひとうばん》は月明りの中に浮かんでいたそうなので、まるきりの闇夜でもなく、ある程度は目視できたはずであるし……。


「そのあと……飛頭蛮《ひとうばん》が消え、豊紈《ほうかん》さんはどうしましたか?」


 飛頭蛮《ひとうばん》の正体を突き止めるのはとりあえず保留にして、雪華は先を促した。



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