慶昭帝は後宮で大人気らしい
「……消えた女官、ね……」
話に耳を傾けていた朱翠影が、物思う様子で呟きを漏らした。
雪華は興味を引かれて彼の顔を眺めたのだが、周囲が暗くて、細かな表情が読み取れない。
「朱殿――魏祥という女官について、慶昭帝から何か聞いていませんか?」
そもそも今回の飛頭蛮退治は、慶昭帝が下した命だ。慶昭帝は弟の朱翠影を可愛がっているようだし、必要な情報を彼に伏せるような意地悪はしなさそうだけれど……。
「聞いていませんね」
朱翠影の答えを聞き、雪華は眉根を寄せる。
「なぜでしょう? 女官がひとり消えたというのは、重要な情報だと思うのですが」
飛頭蛮が実在するのだとしたら、魏祥は第一の被害者かもしれない。
少し黙ってから、朱翠影が淡々と答える。
「慶昭帝は私から、『なぜ情報を伏せたのですか?』と責められたいのかも」
「……は?」
「これについては『慶昭帝はそういう人だ』としか言いようがないです」
雪華は衝撃を受けた。なんて面倒な人! と思ったからだ。
「つまり、朱殿に構われたいのでしょうか」
「かもしれません。たまにしつこいです」
複雑な愛情表現をする人だな、慶昭帝……。
「後宮で、妃たちにもそうなのですか?」
「ところが妃たちには折り目正しく接するそうですよ。以前宦官から聞いたのですが、慶昭帝はあの華やかな見た目で、かつ女性の扱いが上手いので、後宮で熱烈な人気があるそうです」
皇帝の寵愛を受ければ、妃本人だけではなく、その実家も絶大な権力を手にすることができる。だからいつの時代も後宮の女たちは、皇帝の気を惹こうと必死になる。
しかし慶昭帝の場合は『皇帝』という肩書以上に、本人の見た目や物腰に、女性たちを夢中にさせる魅力があるということか。
「なんてこと……」
雪華は慶昭帝の癖の強い部分しか見ていないので、「妃たちには折り目正しく接する」という話がにわかには信じがたい。
「信じられないですか?」
朱翠影のからかい交じりの声は、なんだか楽しげだ。
「はい……と答えると、不敬ですかね」
「ここには私と雪華殿しかいないので、何をおっしゃっても問題ありませんよ」
「では言いますが、慶昭帝は後宮で猫をかぶっているわけですね。自分に好意を向けてくる女性の前では、理想の男性を演じることにしている――それはもしかすると、本気ではない相手に労力をかけたくないので、慶昭帝なりに一番楽な流し方を見つけたのかもしれません。一種の手抜き、でしょうか」
たったひとりに対して良い顔を見せているなら、そこに嘘はない可能性もある。
けれど大勢の女たちに等しく良い顔を見せているなら、慶昭帝は全員に嘘をついていることになる。皇帝という立場上、揉め事を避けるための工夫なのだろうし、悪い嘘ではない。ただ、そこに愛がないのは確かだ。
「なるほど確かに、その説はしっくりきます」
「慶昭帝にとって、優しい夫の演技が実は地味に負担になっていて、外に出ると、発作的に朱殿に甘えるのではないですか?」
「甘える? そうか……考えたことがなかったな」
朱翠影が腕組みをして、視線を巡らせる。月明りが彼の端正な横顔を照らすのを見て、妙に絵になる人だなと雪華は思った。
慶昭帝がじゃれつきたくなるのも、なんとなく分かる。まあ慶昭帝自体が、絵になる人だけれども。
朱翠影が小さく息を吐いた。
「だとすると、慶昭帝が甘える相手は、この世に私だけということになります」
うわあ……雪華は妙な気恥ずかしさを覚えた。
これまで苦手だった慶昭帝に、なんだか可愛げを感じてしまった。
弟大好きじゃないの、慶昭帝……。




