信仰の段
とてもゆっくりとした時間が流れていた。
吹く風は気持ちよく、晴れ上がった空は高い。
ギルとロザーナは他愛のない話をしながら、ラドリアスが戻るのを待っていた。
持ち金を奪われたにも拘わらず慌てるような気持ちにならないのは、ラドリアスなら盗人を見つけ、奪い返してくるだろうと信頼しているからである。
偶然出会い、成り行きで共に聖王都まで旅をすることになっただけの相手ではあるが、年齢からくるものなのか仕事で培ったものなのか、とにかくラドリアスの言動には自分に無いものが多く、これまでの時間の中で得られたものが多かった。
もうすぐ聖王都に辿り着き、そこでまたラドリアスの力を借りて「カンザイコ」なる場所の情報を集めることになるだろう。
すぐに分かればいいのだが、もしも情報が手に入らなければまた、旅を続けなければならない。
いや、聖王都であれば受けられる仕事は数多くあるだろう。
聖王都に拠点を構え、暫くの間資金を貯めてもいい。
ヴェラだってその目で視た上で「カンザイコまで来い」と言っているはずだ。
それがいつ、どのような手段で辿り着くことになるのか、ヴェラはきっと分かっている。
ならば焦ることなどないのかもしれない。
成り行きに身を任せ、それでも「カンザイコ」を目指し続ければ、自ずと結果はついてくるはずなのだ。
「また考え事?」
不意にロザーナから声を掛けられ、ギルはいつの間にかまた無言で考え込んでいたことに気がついた。
「ああ、ごめん。ヴェラのことを考えてたよ」
ギルはいつもそう、とロザーナはくすくすと笑う。
「ギルが黙って何かを考えてる時は、大概ヴェラさんのことなんだから」
そんなことはないよ、と言おうとして、ギルは慌てて頭を掻いた。
ギルが黙って考え事をしている時、それは何もヴェラのことばかりではないのだ。
ロザーナとの事を考えている時も、ギルはいつの間にか黙って考え込んでいる。
だがそれを言葉にするのは恥ずかしくて、ギルは曖昧に笑ってみせた。
大抵の事はそれほど考え込まなくても答えを出せる自信はある。例えその答えが間違っていたとしても大した問題ではなく、最終的に丸く収まればそれでいいと思える程度のことだ。
しかし自分にとって大切な存在のこととなるとそうはいかない。
誰しもそうであるように、身近な人間のことになれば、やはり真剣に考えざるを得ないのだ。
「命の価値は違うのだ」
嫌な声が聞こえた気がした。
以前狒々の件で訪れた村の長、マシューが言っていた言葉。
命の価値は違うのだ、と。
違う。そんなことはない。
違わない。確かに命の優劣は存在する。
幾度となく繰り返し考えた。
しかし自分の中で答えは出ていない。
いや、もしかしたら既に答えは出ており、ただそれを認めたくないだけなのかもしれない。
分からない。
例えば今目の前でマシューとロザーナ2人同時に命の危機があるとすれば、自分は間違いなくロザーナを助けるだろう。
しかしもしもそれがヴェラとロザーナであった場合、果たして自分はどちらを選ぶのだろうか。
そこには確かに優劣が存在するはずだが、しかしそれだけではない、と思いを巡らせる自分もいる。
(自分の命を投げ出すことで2人を助けられるのなら、その方が良い)
それは問題を投げ出しているだけなのかもしれない。
(やっぱり、よく分からないな)
答えなどないのかもしれない。何を選んでも後悔することを前提とした選択なのかもしれない。
ただ考えているだけでは、意味のないことなのかもしれない。
「あ、ラドリアスさんだよ」
ぐるぐると渦巻く思考に囚われそうになる最中、ギルはロザーナの声に助けられた。
ロザーナの指差す方に目を向けると、確かにラドリアスが馬を歩かせていた。
盗人の姿はないが、その手には何かを持っている。
「よかった。金を取り返せたみたいだ」
だが近づいてくるにつれ、手に持っているそれが荷物だけではない事に気がついた。
ラドリアスの持つ何かから、ぽたぽたと液体が落ちている。
どうやら手に持った荷物のその後ろにも、もう1つ何かを掴んでいるようで、その物体から地面に向かって液体が落ちているのだ。
「すまない、思いの外時間が掛かってしまった」
ラドリアスが近くまで来ると、手に持つ物の正体がはっきりと分かった。
「逃げた先は簡単に見つけられたのだがな」
そう言って金の入った荷物をギルに渡す。
「仲間が来るのではと様子を見ていたのだが、結局彼単独の仕業だったようだ」
彼、と呼ぶそれを、ラドリアスはギルの目の前に掲げた。
それはずいぶんと若い男だった。
髪も、顔も血で真っ赤に染められ、土や草に塗れてひどく汚れている。
「今日のうちに聖王都に、と思っていたが、どうやらそれも難しそうだ」
近くに村があったはずだ、そこに泊まろう、と平然と話し続けるラドリアスの言葉は、眼前の光景に圧倒されて上手く理解できなかった。
「気をつけた方がいいだろう」
ラドリアスの言葉に対してギルは、何に、と不思議そうな顔をした。
「村人全体が盗賊である可能性に、だ」
ああ、と無意識に声が漏れる。
「これはそこに置かせてもらおう」
そう言ってラドリアスは掴んでいた若い男の頭部を雑に荷台に放り投げたのだった。




