信仰の段
拳闘場のある街を出て数日、その日の夕方には聖王都に着くという位置まで来たときだった。
「どう思う?」
馬に跨っているラドリアスが顎を撫でながら呟く。
「罠、だと思います」
ラドリアスの後方で荷馬車を操るギルはそう言いながら辺りを見渡した。
街道の周辺は背の低い雑草が生い茂っており、身を隠せそうな場所はない。
身を隠すとすれば、いくつか点在している大きな岩の後ろだろう。
しかし、今この場に足を止めるまで大勢の人間や魔物がいる気配はなかった。
もしもこの気配のない中で大勢が潜んでいるのだとすれば、相当手練れの集団になるだろう。
「でも、これはあまりにも何と言うか」
そんな手練れの集団が仕込むような罠には思えない。
眼前の光景はとても稚拙なものだった。
「まぁ君たちに任せておけば心配はない、か。なぁ?ケンキ殿」
ラドリアスが茶化すようにそう言うものだから、ギルは渋い顔をして頭を掻き、ロザーナは照れたようにはにかんだ。
「勘弁してくださいよ」
ギルはそう言って荷馬車を降り、ラドリアスの前方へと歩いて行く。
自分には似つかわしくない二つ名を付けられたものだ、とギルは心の中で少しだけ、悪態をついたのだった。
「あのな、お前達の二つ名をどうしようかと思ってな」
突然のことで、ギルとロザーナには拳王が何を言いたいのか理解できなかった。
「何、そんなに大げさな話ではない」
ラドリアスは拳王の話を理解しているらしく、面白そうに笑っている。
「剛腕やら竜巻やら、この街の拳闘士でまぁまぁ戦える奴は好き勝手にそう名乗ってんのよ」
俺だって拳王だろ、と拳王はニヤリと笑った。 「お前達だってな、ただのギルとロザーナよりも、何々のギルとロザーナって名乗った方が箔が付くってもんだ」
そんなものなのだろうか、とギルとロザーナはお互いに顔を見合った。
「ギル君は実家の件で、身に覚えがあるのではないか?」
ラドリアスにそう言われ、ギルは確かにそうだった、と苦虫を噛み潰したような顔で頭を掻いた。
まだカーマイン商会から仕事を受けていた時、生活に困ることはなかったし初めて受ける依頼先でも優遇されていた。
しかし、身分を隠していたつもりが裏で筒抜けであったことを後に知り、ギルはカーマイン商会との関係を切った。
そうして自力で仕事を受けようと四苦八苦してきたのだが、カーマイン商会の庇護のもとで得られた報酬とは雲泥の差であった。
「ただのギル、ではこの先選択肢すら限られてくるかもしれない」
拳王の話はいい提案だと思う、とラドリアスは笑うが、しかしどうにも裏がありそうだ。
「まぁ俺にはその辺のことはよく分からねぇけどよ、二つ名ってのは名前以上に意味を持つもんだぜ?」
拳王がギルの家柄についてなどという俗な話に興味を持たない人物であるのは有り難かった。
「でも、別に俺達は大したことはしてませんよ?」
たまたまやってきた魔物2匹を倒しはしたが、魔物退治など日常茶飯事だ。
「ギル君、君はもう少し広い視野を持ったほうがいい」
ラドリアスは相も変わらず楽しそうに笑いながら続ける。
「この街の英雄である拳王を蹴り飛ばした魔物を倒したのが、ただのギルでは都合の悪い人間もいるということだ」
視線を送られ、拳王はバツが悪そうに剃り上げた頭を撫でた。
「いや、まぁ、な。そういうのも、なくはないがな」
隣でまだよく分からないといった顔をしているロザーナだが、ギルはようやく合点がいった。
つまりあのゴブリンとリザードマンを倒した自分達が何者かでなければ、「拳王」としての立ち位置が危ぶまれてしまうということなのだ。
「理由は分かりました。でも二つ名なんて、今の今まで考えたこともないですよ」
ギルが納得したことで、拳王は少し気持ちが晴れてきたようだ。
拳王は頭をピシャリと叩き「それなら俺に任せろ」とニヤリと笑ってみせたのであった。
「さぁ、ケンキ殿。道はどうですかな?」
ラドリアスは絶対にふざけている。
わざと二つ名で呼ぶことによって楽しんでいるのだ。
「街道を逸れては車輪がはまってしまうかもしれません。少し時間はかかるでしょうが、押して通ったほうがいいでしょうね」
ギルはラドリアスの遊び心にも、眼の前の光景にも辟易してしまいそうだった。
聖王都が近づくにつれ、街道は整備されたものへと変化していった。
そうして順調に進んでいた一行は、ここに来て否応なしに足を止める事になってしまったのだ。
なぜならば、街道が何箇所かに渡って大きく抉られているからだった。
ギルの見立てでは、恐らく普段は抉られた箇所には土嚢などを詰めて上に板を渡しているはずだ。
そうしなければすぐに対処され、抉られている部分が埋められてしまうからだ。
しかしこうして獲物が来たときだけ、板を外して土嚢を片付ける。
そうして足を止めた者を襲撃して荷物を奪い取る、そんな算段なのだろう。
しかし稚拙だ、とギルは思う。
小規模の盗賊団であれば勢いに任せて荷を奪い、逃げていけばいい。
大規模なものであればこちらを潰す為に正面から襲いかかってくるだろう。
こんな遠回りなやり方をしなければならない、そんな集団が果たしてどのようなものなのだろうか。
この見え透いた罠が、ギルには逆に盗賊の正体を見えにくくしているようにも思えたのだった。




