二つ名の段
何度か諦めそうになった。
息を止めて攻撃をし続けるのだが、それがゴブリンに当たることはない。
いつまで続くのか、と。
どこまでも終わらないのではないか、と。
そんな猜疑心が頭を擡げ始め、ロザーナは戦いの中で心が挫けそうになっていた。
(でも、これしかできない)
時折間合いを取り、急いで一度だけ、深呼吸をする。
そしてまた、コブリンに攻撃の隙を与えることなく攻め続けた。
(一度でも当たれば)
それがきっかけとなり事態は好転するはずだ、とロザーナは遠退きそうになる意識を必死で繋ぎ止めながら、どこまでも必死に拳を振るい続けたのだった。
ギルの勝負は一瞬だった。
もとよりお互いに相手の命を一瞬で奪えるものを振り回しているのだ。
相手の急所を捉えれば戦いはすぐに終わる。
すぐに終わることができなかったのはギルが未熟であり、相手が上手であったから。
その格上の相手に勝つために、ギルは捨て身になるしかなかった。
とは言え当然命を投げ出すつもりなどない。
つまりは気持ちの問題なのだ。
ギルはその身を、その命をも投げ出す覚悟で盾を手放した。
そして一気にリザードマンへと距離を詰めていつもよりも一瞬だけ遅く、斧槍を薙いだ。
当然リザードマンは難なくこれを下から払う。
そして流れのまま振り上げた剣を、そのままギルへと振り下ろしてきた。
(狙いが、当たった)
予想できない戦い方をする相手であれば使えない戦法だった。
しかし、どこか人間臭い戦い方をするこのリザードマンにだからこそ、賭けることができた。
綺麗な、剣術の達人のように綺麗な剣筋をしているこのリザードマンだからこそ、信じることができたのだ。
振り上げた剣を、リザードマンが鋭く振り下ろしてくる。
それはギルの肩口を狙って、真っ直ぐに。
ギルが左手で掴んだ外套を引っ張り上げると、外套はその表面で斜面を作った。
振り下ろされた剣が、竜の翼膜で作られた外套の表面を切り裂くことなく、ただただ滑り落ちていく。
一瞬、体勢の崩れたリザードマンと目があったような気がした。
その爬虫類の、感情のない目が、一瞬語ってきたような気がした。
いい戦いだった、と。
心残りはない、と。
望んでいたことは叶ったのだ、と。
ただの勘違いかもしれない。
リザードマンにそんな想いがあった確証などはない。
ただギル自身が、相手にそう想ってもらえるような戦いをしたのだと、そう思っただけなのかもしれない。
しかしそれでいい。
戦いの中で得られるものなど、所詮は自己満足でしかないのだから。
ギルは薙いだ時に払われた斧槍を、もう一度力強く握り締め直し、そのままリザードマンの頭目掛けて思い切り振り下ろしたのだった。
ゴブリンの動きが、少し鈍くなったような気がした。
当然自分の動きも酷い有り様だろう。
汗はまるで金属のように重く体にまとわり付き、まるで何日も水を飲んでいないかのように喉がくっついて呼吸もままならなくなっている。
この先、これだけ動き続けることなど、そう長くできそうにはない。
どこかで必ず、動けなくなるときが来るはずだ。
ゴブリンが避け続けるのを失敗するのか、それとも自分が拳を持ち上げられなくなるのか、ここから先は気合と根性が勝ったものが勝者となるのだろう。
まさか自分がこんなに泥臭い戦いをすることになるとは思っていなかった。
しかしそのことに対して嫌な感情はない。
この戦いがきっかけで、新しい自分を見つけられたような気さえしているのだ。
心が折れてはいけない。
どんなに辛くても、攻撃の手を緩めるわけにはいかない。
ゴブリンの顔面に向かって、思い切り拳を振るう。
ゴブリンはそれを、ぎりぎりで避ける。
そう、もはやゴブリンの回避はぎりぎりで、反撃に転じるような余裕はなくなっていた。
ロザーナは尚も攻め続けた。
一度避けられても、もう一度。
避けられてもまた、もう一度。
(また避けられたとしても、それでも)
思考よりも先に体が動いていた。
ゴスっという、鈍い感触、振動がロザーナの拳から腕、そして体から頭の先へと走っていった。
(当たった…?)
当たっていた。
ロザーナの拳が、遂にゴブリンの頬を打ち抜いていた。
「あ、ああ」
意識せず、ロザーナの口から呼吸とともに音が漏れる。
それは言葉にはならず、ただの音としてロザーナの口から大きく放たれ、その声に呼応するかのようにロザーナの体が動いた。
1発、2発、3発。
一度当たったロザーナの拳がコブリンの顔面を捉え続ける。
4発、5発、6発。
今しかない。
今ここで、終わらせるしかない。
7発、8発、9発。
今自分がどんな状態になっているのかも分からない。
10発、11発、12発。
攻撃を止めてはいけない。
ここで終わらせなければ。
次に反撃させてしまえば、自分にはもう、それに対応するだけの体力が残されていない。
13発、14発、15発。
そこまで殴ったところで、遂に腕が動かなくなってしまった。
(ここで動かれたら、私はもう避けられないのに)
固まったように体が動かない。
ただただ荒い呼吸を繰り返し、まるで無限のような時間の中で、ゴブリンの攻撃を待ち続けた。
「もう、終わったんだ」
声が、聞こえた。
「もう、戦いは終わったんだ」
自分の呼吸の音が煩く、何を言われているのか分からない。
「ねえ、ロザーナ」
聞き慣れた声。
「君が、勝ったんだよ」
声のする方へと顔を向けると、そこにはギルが立っていた。
ギルが、自分の腕を掴んでいた。
(だから、動けなかったんだ)
いつの間にか、コブリンは仰向けに倒れており、ロザーナはその上に馬乗りになって殴り続けていたようだ。
ギルの顔を見た途端、全身から力が抜けていき、ロザーナは後ろへ仰向けで倒れた。
「ギルも、勝ったの?」
言ったあとに気づいた。
当たり前だ、と。
勝っていなければここにいるはずがないのに、なんて間抜けな事を聞いてしまったのだろう、と。
「ああ、勝ったよ」
ギルの声ははっきりとしていた。
きっと、いい戦いができたのだろう。
「私はね、もう、ぼろぼろだったよ」
とロザーナが笑う。
「でもね、なんだかとっても、楽しかったんだ」
よく分からなくなっていた。
今の感情がどういったものなのか、ロザーナには説明のしようがなかった。
「でもね、すっごく」
疲れたなぁ、と夜空を見つめていたロザーナは大きく息を吐き出しながら、ゆっくりと目を閉じたのであった。




