二つ名の段
途中、道は二手に別れていた。
「勝手に決めて申し訳ないが、ここは右に進む」
ラドリアスはそう言うとさっさと馬を歩かせ始めた。
その顔はどこか強ばんでおり、馬の歩調もいつもより速い。
ギルとロザーナにはこの辺りのことは全く分からない。
その為ラドリアスの言葉に異論はなく、案内をお願いする他方法はないのだが、珍しいラドリアスのぎこちない態度を見て、ギルは何かあったのか、と聞かずにはいられなかった。
少し前まで滞在していた街ではロザーナの黒い血を人に見られるという失態を晒してしまった。
一時はどうなることかと肝を冷やしたが、ラドリアスの言葉通り、その後は何も起こらず再度あの男に出会うこともなかった。
結局、ラドリアスの言葉通り「何も問題はない」のだった。
思えば出会ってこのかた、ラドリアスはいつも余裕のある素振りで、焦っているところなど見たことがない。
それがこんな何もない場所で珍しく態度を崩しているのだから、気にするなという方が無理な話であった。
「何?そんなつもりはなかったのだが」
ギルに問われ、ラドリアスはこれまた珍しく「苦笑」した。
「どうやら僕も、まだまだなようだな」
そう言ってラドリアスは呑気そうに顎を撫でている。
「こういう仕事柄、心の中のことを隠すのには自信があるのだが、根が深い問題に対してはそうもいかないらしい」
そうしてラドリアスが教えてくれた「ぎこちない態度」の理由というのは、分かれ道に立っていた看板に書かれた街の名前のせいなのだ、ということだった。
「あの道を左に曲がって数日進めば港町に辿り着く」
それは高台から海に向かってなだらかに下っていく土地にある、綺麗な港町なのだという。
「大きな湾になっていてな。その昔、君達の言うイシュト大陸に侵攻した海軍が出港した地でもある」
地理的には聖王都とイシュト大陸の中間ほどにあるその港町は、昔から非常に栄えており、今も尚貿易の要として重要な街らしい。
そんな街の名前で、なぜラドリアスが態度を崩したのか。
「それは、僕が生まれた街だからだよ」
つまりそれは、イシュト大陸に侵攻する際に指揮を取っていた当時のラドリアスの故郷でもある。
「そのラドリアスのせいで、僕が子供の頃から嫌な思いをしてきたことは話しただろう」
イシュト大陸侵攻の、当時ではありえないと思われていた失敗から、ラドリアスの二つ名である足斬りは本来の意味とはかけ離れた蔑称として使われるようになった。
今目の前にいる男は、幼い頃からその煽りを受けて生きてきた。
だからこそ、その汚名を雪ぐためにラドリアスを名乗り、巡回隊士として生きているのだ。
「あの街で今、この名前がどれほどの意味になっているのか、僕はまだ確認できていない」
数十年、巡回隊士としてラドリアスとして、精一杯やってきたつもりだが、その結果を確認するだけの勇気が自分にはまだないのだと、ラドリアスは言う。
「近づきたくはないし、知っている人間にも会いたくはない」
だからだろうな、とラドリアスは口元だけで微笑んでみせた。
「あの街の名前を見たときに、僕らしくない態度を取ってしまったのは」
彼自身、自分の不甲斐なさを恥じているように見えたが、ギルからすればそれはむしろ好感の持てることであった。
これまでしばらく共に旅をしてきたが、ラドリアスという人間の本質を、これまで垣間見ることさえなかった。
いつも余裕があり、常に先を見据えているラドリアスを見ていると、ギルは自分の未熟さを否が応でも感じずにはいられなかった。
しかしそんなラドリアスもまた、自分と同じ人間であり、ただ心の中を見せないようにしているだけだということが分かったからだ。
「何を笑っている?」
ギルの無意識に緩んだ頬を見て、ラドリアスは若干不機嫌そうに言う。
「いえ、少しラドリアスさんを身近に感じることができたので」
そんなギルの言葉に、ラドリアスはやれやれといった表情を浮かべた。
「次の街には大きな拳闘場がある」
君も参加すると良い、とラドリアスは目を細めて笑った。
「その緩みきった顔も、殴られれば少しは威厳が出るだろう」
そう言ってラドリアスは珍しく声を上げて笑ったのであった。




