二つ名の段
拳闘の歴史は古く、大陸が統一される以前から各地で様々な形態を取りながら続いてきた。
始まりは街角で行われる小さな賭けだった。
そしてそれは徐々に規模を広げながら、戦乱の最中にあっては捕虜同士を戦わせて民衆の溜飲を下げる見世物としての役割も果たしてきた。
戦争が終わり大陸が統一された後も拳闘の中に生きる道を見つける者は後を絶たず、これまでずっと娯楽の一部として大陸のいくつかの街で行われてきている。
そして今、この街の拳闘士の中で長い間頂点に君臨する男は皆から拳王と呼ばれ英雄視されている。
そんな拳王の前にギルとロザーナとラドリアスが座っている。
「君の話は理解したが、なぜそれを我々が?」
ラドリアスは相手が誰であろうと態度を変えることはない。
拳王を相手に君呼ばわりすることで、むしろ周りの討伐隊の人間の方が戦々恐々としている。
だが、拳王本人にそれを気にするような素振りはなく「あれは前回のことだった」と綺麗に剃り上げた頭を撫でながら話し始めた。
そもそもギル達がこの街に着いたのは昨日のことで、この街がどういう場所なのか、そして今どういう状況なのかも分かっていない。
ラドリアスから拳闘場があると聞かされてはいたものの、いざ街を訪れてみるとその賑やかさは想像以上だった。
なぜならば明日、何かしらの催し物が予定されているようで、街全体が祭りのように盛り上がっていたからだ。
そんな騒ぎを横目に3人は宿を取り、ラドリアスの提案で討伐隊を訪れると、ちょうど件の拳王と鉢合わせることになったのだった。
討伐隊に入ると、受付で頭を剃り上げている巨躯の男が静かに、だが譲るつもりのない口調で討伐隊員に何かを求めていた。
見下されながらしどろもどろになっている隊員を横目に見ながら3人は奥に進んで隊長と魔女についての話をし、これまでの街と同じように魔女による被害が何も無いことを確認した。
そう、これまでに立ち寄ったどの街でも同じだったのだ。
魔女の件は規模の大小を問わず、どの街にも討伐隊によっては先立って伝えられている。
しかし、実際に魔女が現れたという場所はなく、今では噂だけが独り歩きしているような状態になっている。
「これはあまりいい状況ではない」
と以前ラドリアスは顔をしかめていた。
全ての人々にとって現状では魔女に実体がなく、ただ噂だけの存在でしかない。
それがすぐに治まるような噂なら放っておけば良い。
しかし噂が長く続くと人は言いたいことを言い、信じたいものを信じ始めるようになる。
それは魔女ヴェラとは直接的に関係のないところで新たな問題が起きる原因になりかねないのだ、とラドリアスは面白くなさそうに話してくれたものだった。
とはいえ、魔女が何もしていないのであればこちらとしてもどうしようもない。
そんな話を行く先々の討伐隊で聞かされてきたが、案の定それはこの街でも同じだった。
触れる相手がいないのであれば振れる剣もない、そんなつまらない冗談を何度聞いたことだろうか。
そんないつもと同じような、得るもののない話をした帰りのことだった。
再び受付を通ると、先ほどと変わらず巨躯の男に詰め寄られている討伐隊員の横を通り過ぎる際、不意に呼び止められたのだ。
男に捕まっていた隊士も、3人と共にいた隊長も、お互いに顔を見合わせると渡りに船とばかりにやや強引に3人と巨躯の男を別室へと案内した。
「つまりですね」
と巨躯の男に詰め寄られていた隊士が言うには、彼はこの街で拳王と呼ばれる英雄であり、明日行われる催し物の最中、彼の自宅を警備をして欲しいということだった。
そんな拳王が「あれは前回のことだった」と話してくれたのは、留守の間に空き巣に入られたという何とも間の抜けた話であった。
彼が前回の催し物に出場していた夜、その留守を狙って家を荒らされたのだという。
「これだけ有名な方ですから、試合ともなれば当然皆がそれを知っています」
とはいえこれまで拳王の家に泥棒に入るなどという不届き者はいなかった。
万が一見つかれば街全体を敵に回すことになり、この街にいられなくなるどころかその命をも差し出す羽目になってしまうかもしれないからだ。
だがしかし、遂に現れた盗みを働く者の正体は、恐らく街の外の者の仕業だろうということだった。
事件の後、討伐隊は徹底して捜査を行ったが遂に犯人は捕まらず、この街に嘘をついて誤魔化しているような人間も見受けられなかった。
結果、他所の人間が盗みを行い、その夜のうちに街から出たのだろうと結論付けられたのだった。
「一度ならず二度までも盗みに入られちゃあ俺の面子に関わる」
それにだ、と拳王は拳を握る。
「今度また犯人が捕まりませんでしたなんてことににりゃあ俺の怒りが治まらねぇ」
と拳王は討伐隊員を静かに睨んだ。
「だからさっきからな、俺は自宅に人をやってくれと、ただそれだけのことを頼んでんだよ」
なぁ?と話を振られた討伐隊員は情けない顔で隊長に助けを求めた。
確かに街を上げての大会となれば、その日拳王の家に誰もいないというのは誰でも分かることだ。
この街で一番有名な男の家が、その日確実に無人になると分かれば良くないことを考える人間が現れるのも仕方のないことなのかもしれない。
「しかしですね、これまでもお伝えしてきましたが」
と隊長は落ち着いた口調で続ける。
「明日はこれまでと趣きの違う大会になりますよね。ですから、現地での警備が最も重要となります。まぁ確かに、本来ならばそれでも自宅の警備に当たらせるだけの人員を用意するところですが」
今は時期が悪い、と隊長はギル達3人を見た。
「貴方がたもよくご存知のように、ヴェラという赤髪の魔女のお陰でうちもずいぶんと忙しくなってましてね」
魔女による表立った問題は起こっていない。
しかし起こり得るかもしれない問題に備えたい人間は数多くいる。
旅をする家族、行商人、果ては個人的に依頼を受けた傭兵まで、見えない魔女を警戒して少しでも安全を確保するために討伐隊に協力を求めるものは以前よりもずっと増えているという。
「ですから明日は、拳王殿の自宅警備に回せるほど、人員に余裕がないのです」
ですが、と不意に隊長は口角を上げた。
「状況が変わりました。折り良く、こうして貴方がたがこの街にいらした」
是非とも警備をお願いしたい、と隊長はわざとらしく頭を下げた。
「明日の夜、彼の家の警備をしてもらえないだろうか」
お願いという体を取ってはいるが、3人が魔女の件に深く関わる人間であり、更にその魔女の存在によって警備に支障をきたした事情を知った今となっては、それはなかば脅迫とも言えるようなものであった。




