秘密の段 終
ギルは焦っていた。
見られてはいけないものを、見られてはいけない人物に見られてしまったからだ。
「街の中では人の目を気にすることだ」
旅の途中、そう言い残してラドリアスは一足先に次の街へと向かった。
何でも出さなくてはいけない手紙が溜まってしまっているらしい。
それは巡回隊士として各地を周る中で書き留めてきたもので、言われてみれば確かにラドリアスはギル達といる間も頻繁に何かを書き記していた。
手紙の中身は各地の状況や小さな違和感など、多種多様な内容らしいのだが、大陸中を巡りながらでは手に入れた情報を必要とする場所へと自分で届けることはできない。
その為ラドリアスは手紙という形で各地の討伐隊とやり取りをしているのだそうだ。
逆に欲しい情報がある場合はこれから向かう地名を伝え、そこに手紙を送ってもらうことで手に入れたりすることもあるらしい。
だが手紙という特性上、全てが上手くいくとは限らない。むしろ天候や事故、事件や魔物などの影響で上手く届かないことも多い。
しかし他に方法がない以上手紙という形を取るしかないのだ、とラドリアスは苦笑していた。
そんなラドリアスはギル達と一緒に旅をするようになってから常に荷馬車と歩調を合わせてきた。
それであれば手紙が溜まってしまうのも納得のいく話であり、知らなかったとはいえ仕事に支障をきたしていたことにギルは若干の申し訳無さを覚えた。
「気にしなくて良い。僕も自分の意志でやってきたことだ」
そう言って馬に跨った朝、ラドリアスは「君達は慌てて来る必要はない」と言って次の街に向かって出発したのだった。
そこからはギルとロザーナの久しぶりの2人旅である。
道中の街道は人通りも多く、野党や魔物の心配もない。
幸い天候にも恵まれ、2人は馬に任せてのんびりと進んだ。
ギルにとって久しぶりの2人旅は楽しかった。
ラドリアスがいて邪魔ということはないが、やはりロザーナと2人、ゆっくりとした時間が流れる中での他愛もない話は、それだけで充分だと思えるほど心を満たしてくれた。
それはまた、ロザーナにとっても同じだった。
2人が街に着いたのは、ラドリアスが到着してから既に数日は経っていただろう。
街に着いたばかりの昨夜、宿屋で手続きをしていたら突然魔女について尋ねられた。
尋ねてきた男の目は鋭く、何かを疑っているように見えたせいでギルは分かりやすく警戒をしてしまった。
念の為その夜は宿から出ることを止めた。
だからラドリアスとはまだ合流できていない。
翌朝、人々が動き始めるには早い時間に鍛冶屋に向かった。
ロザーナは十分に強いが、刃物の1つでも持っておいた方がいいと思っていたからだ。
正面切っての戦いの際に使う機会はないかもしれない。
しかし小さなものでも刃物を持っていれば様々な場面で役に立つ。
先日ヴェラに羽交い締めにされた時にも、もしも刃物を持っていれば失神させられる前に反撃できたかもしれない。
そう思い、人のいないであろう時間に訪れた鍛冶屋には、しかしまたあの男がいた。
昨日の態度でより疑われてしまったのかもしれない。
男はきっと、自分達を見張っているのだ。
ラドリアスに言われた通り、街に入ってからは周りの目を気にしておかしな言動はとっていないつもりだった。
しかしあの男には何か引っかかるものがあったのだろう。
自分を魔女の関係者だと疑うだけの何かが、だ。
確かに全く関係がない、とは言えない。
とはいえ自分達は魔女の味方などではなく、むしろ敵なのだが、その関係を話した結果、結局魔女の蛮行の原因はお前なのではないかと指を差されてしまえば言い訳のしようもない。
そんなふうに自分を疑っている人間の目の前で、不覚にもロザーナに血を流させてしまった。
ロザーナの血は黒い。
ただそれだけなのだ。
血が黒い、ただそれだけ。
しかしそれだけのことが何も知らない人間の目に、如何に奇異に映るのか想像できないほど楽観的ではない。
あの男は間違いなく決め付けたはずだ。
ギルとロザーナは魔女に関係のある人間なのだと。
ギルは男を追って、慌てて鍛冶屋から飛び出した。
男はギルの姿を確認すると猛烈な勢いで走り出した。
人通りは少なく、初めは見失うことはないと思っていた。
しかし、如何に軽いとはいえ防具を身に着けているギルは少しずつ男から離されていき、ついにはその姿を見失ってしまったのだ。
大通りの左右を見渡せば裏通りへと続く道が何本も伸びている。
裏通りへと逃げた可能性は高いが、初めて訪れた街で、どこに男が逃げたのか検討もつかない以上、無闇に裏通りへは入るべきではないと思った。
街は何事も起きていないかのように静かだ。
それはまだ、あの男が何も行動を起こしていないからだろう。
そもそもあの男はどこの所属なのだろうか。
討伐隊員ならまだいい。ラドリアスの力を借りれば誤解を解くことは容易いだろう。
問題なのは個人で護衛や魔物の討伐をしている傭兵だった場合だ。
それでも単身ならまだいい。
しかし、もしも複数からなる団体だった場合、大変な騒ぎになってしまう。
魔女の仲間だと吊るし上げられ、そこから逃れる為には、場合によってはまた、人を殺さなければならない。
逆に、最悪の場合殺されることもあるかもしれない。
なんとしても見つけなければ、とギルの焦る気持ちとは裏腹に取れる手段は限られていた。
(ひとまず討伐隊に行ってラドリアスさんを探すしかない)
そう思い、ギルが再び走り出そうとした時だった。
「ギル君」
と聞き慣れた声が聞こえた。
「ラドリアスさん」
どうしてこんなところに、というギルの言葉に、ラドリアスは口元だけで笑いながら「それはこっちの台詞だ」と返してきた。
ギルは安堵し、大きく息を吐きだし「実は」と事の顛末を話した。
「ああ、それならば問題ない」
ギルの予想に反したラドリアスの軽い返事に、ギルは大きく目を見開き「どういうことですか?」と返す。
「先程討伐隊にそれらしい男が来て話を聞いたが、こちらで処理するからと帰らせたのだ」
とラドリアスは顎を撫でながら答える。
「それで、終わりですか?」
ギルにはあの疑り深そうな男が、それだけで引き下がるようには思えなかった。
「ああ、彼は商人に雇われてこの街に寄った、ただの護衛だよ」
ちょうど今日にも街を出ていくということだった、そう言うとラドリアスは歩き出した。
仕方なくギルもそれに続いて歩き出したが、ふと疑問が浮かんだ。
「討伐隊で話を聞いたんですよね?」
ギルの問いにラドリアスが頷く。
「なのに、なぜこんなところにラドリアスさんがいるんですか?」
見たところこの辺りに討伐隊のような建物は見当たらない。
討伐隊で話を聞いて処理をしたのなら、こんな場所で出会うには時間が足りないのではないだろうか、ギルはそんなことを思ったのだ。
「なに、その奥に討伐隊に続く裏道があるのだよ」
そう言ってラドリアスが指差す狭い路地は薄暗く、その奥まで見通すことはできない。
「それよりも、だ」
とラドリアスは路地を見つめるギルに呼びかけた。
「僕は気を付けるように、と言ったはずだが」
ラドリアスは普段と変わらない様子で続ける。
「たまたま僕がいたからよかったものの、そうでなければ今頃この街は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていたかもしれない」
ラドリアスが話しながらどんどん前に進むものだから、追いかけるギルはそれ以上路地の奥を気にしている場合ではなかった。
「ロザーナ君の体の特性は君も一緒に確認しただろう」
ラドリアスの言葉にギルは大きく頷いた。
それは以前から不思議に思っていたことだった。
素手で人間を殴り殺すことができるにも関わらず、ロザーナはゴブリンの死体を1人で持ち運ぶことができず、首に巻き付いたヴェラの細腕を引き剥がすこともできなかった。
単純な力強さを備えているのでないのなら、なぜロザーナは素手で人間を殺せるのか。
ここまでの旅の途中、ラドリアスとギルはいくつかの方法でロザーナの強さの元を調べようとした。
そして分かったのだ。
ロザーナの拳や脚が当たる瞬間だけ、皮膚の下にある黒い血が硬化しているのだということが。
その為ロザーナの体は強烈な衝撃がある場合は金属のような硬さを保つのだが、ゆっくりとした力に対しては常人と変わらず脆い。
「短剣も力強く振られたものであれば皮膚が切れる程度で済んだかもしれない」
だが今回は軽い力で指を切ってしまった。
「その結果、理解できないものに対して人がどれだけ不安になるのか、君も十分に理解できただろう」
ギルはラドリアスの言葉に頷くことしかできなかった。
さっきのような気分には、もう二度となりたくはない。
「聖王都まではまだ遠く、着いたからといって君達の旅が終わるわけでもない」
十分に気をつけることだ、そう言って歩き続けるラドリアスは、もうギルを見ていない。
ギルはふと立ち止まると振り返り、ラドリアスの指し示した路地を見つめた。
今はもうその入口しか見えないが、なぜかその奥に興味を惹かれるのだ。
そこには何か秘密があるような、そんな気がしてならない。
「朝の食事は済ませたのか」
ラドリアスの声に振り返ると、いつの間にかラドリアスがこちらを見ていた。
まだです、そう答えるギルにラドリアスは「では」と笑顔を作ってみせた。
「ロザーナ君を迎えに行き、朝食を取ろう」
美味い飯を出す店を知っている、そう言ってラドリアスは歩き出す。
なぜか後ろ髪を引かれる思いをしながら、それでもギルはラドリアスついていくしかないのであった。




