秘密の段
「僕としてはこれからも、この先も、騒ぎを起こさずいてくれるのであれば見逃そうと思っている」
討伐隊員はのんびりと顎を撫でている。
「騒ぎを起こすだ?騒ぎになるのはあの、魔女の仲間のせいだろうがよ」
そう言って男は凄んだ。
「俺は間違ってことは何もしちゃいねぇ。ただ魔女の仲間がこの街にいることを報告するだけだ」
そこをどけよ、と男は声を荒げる。
「あの2人は魔女の仲間などではない。そう言ったら信じてもらえるか?」
討伐隊員の言葉に男は歪んだ笑顔を浮かべた。
「なんだ、あんたもかよ。あんたも魔女の仲間なのかよ」
そう言って腰に手を伸ばす。
しかしそこに剣はなかった。
先程鍛冶屋に置いたまま逃げてきてしまったからだ。
「そういうことじゃない。誰も魔女の仲間などではない。それを理解して、何もせず、この街から出ていくのなら見逃そうと言っている」
討伐隊員の口調は明らかに先程までと違う。
「そんな言葉、信じられるかよ」
面倒な仕事を受けてしまった、と男は内心で悪態をついた。
あの夜手を挙げなければこの街に来ることはなかった。
あの日宿屋で2人組に話しかけなければ鍛冶屋で2人を気にして見ることもなかった。
そして酒場でこの討伐隊員と知り合わなければこんなところまでついてくることもなかった。
「何もかもがうまくいかねぇな」
男はそう言って唾を吐いた。
「みな、そんなものだ」
と討伐隊員は口元だけで笑う。
「で、どうするのかな?」
討伐隊員の言葉に、男は考えを巡らせる。
何よりも重要なのはこの袋小路から抜け出すことだ。
そのまま大通りに出て通行人に向かって「この街に魔女がいる」とでも叫べばある程度の混乱が起きるだろう。
その混乱に乗じて討伐隊まで逃げればいい。いや、討伐隊には他にも魔女の仲間がいるかもしれない。
それなら宿屋だ。あそこにいる商人や傭兵に話せば出発まで匿ってもらうことくらいは流石にしてもらえるだろう。
幸い、まだ討伐隊員は武器を抜いていない。
一旦従うふりをして走り抜ければいい。
「分かった。あんたの言う通り、俺は大人しくこの街を出ていく。もともと今日出ていく予定だったんだ」
あんなのを見なければな、と男は大げさに肩をすくめた。
そんな男を、討伐隊員はじっと見つめている。
「なんだよ、俺はなにもしねぇって言ってんだろ?」
道を開けろよ、そう言う男の笑顔は引きつっていた。
僅かな時間沈黙が流れ、討伐隊員は小さく溜息をついた。
「やはり、駄目か」
そう言って討伐隊員は腰から剣を抜き放つ。
「ちょ、ちょっと待てよ、あんたの言葉に従うって言ってんだろ!」
男は両手を前に突き出して討伐隊員を宥めようとしている。
しかし。
「僕はたくさんの人をみてきた。君の言葉は信用できない」
そんな討伐隊員の言葉に、男は叫ばざるを得なかった。
「ふざけんじゃねぇ!お前が信じられるか信じられないかで、そんな勝手な判断で殺されてたまるかよ!」
全く馬鹿げた話なのだ。
この討伐隊員が自分の言葉を信用できないから斬るなどと、そんなことがあっていいはずがない。
「しかしだ」
と討伐隊員は男と違ってどこまでも落ち着いている。
「君は僕の言葉を聞く振りをして、小さな混乱を起こそうとしているだろ?」
討伐隊員の言葉に、男の表情は僅かに歪んだ。
「そしてそのまま宿に逃げ帰り、雇い主達に守ってもらおうとしている」
違うかな、と討伐隊員はまた顎を撫でる。
「そういうことをしてほしくない、と言っているのだが」
まあいい、と討伐隊員は独りごちる。
「ほらギル君、出番だ」
討伐隊員は男の背後に視線を送る。
それを見た男は慌てて後ろを振り返った。
が、しかしそこには誰もいない。
「お前、いったい何なんだよ!」
そう言いながら訳が分からなくなった男が再び前を向いた時、眼前には討伐隊員が立っていた。
「あの2人にはまだやるべきことがある。邪魔をされては困るのだよ」
直後、喉が熱くなった。
そして遅れて、ひりつくような痛みが走った。
「君は何も悪くない。ただ、巡り合せが悪かっただけだ」
討伐隊員は優しく語りかけてくる。
「君が今、ここにいるのは君のせいじゃない」
男は言葉を発しようとするが上手く声が出せない。
「他人に自分を理解してもらうのは、とても難しい」
ゴポゴポと喉が鳴る。
「自分では上手くやっているつもりでも、結局は受け取る側の問題だからだ」
喉が煩い。この音を止めなければ話ができない。
男は両手で喉を抑えるが、何かが詰まったかのように声が出ない。
喉を抑えた手が温い。
温い液体が次々に溢れ出てくる。
「君は何も悪くない。ただ、巡り合せが悪かっただけだ」
ふざけるな、と男は叫びたかった。
昨夜会っただけの奴に、いったい自分の何が分かるのだと罵倒してやりたかった。
確かにこれまでは考えのない生活を送ってきた。
しかしこの依頼をきっかけに安定した生活を手に入れると決めたのだ。
その為に商人の機嫌を取りながらここまでやってきた。気に入らない傭兵達にも媚を売りながらやってきたのだ。
もう少しで、その安定した生活が、手に入りそうなのだ。
だがそのどれもが言葉にならない。
何かを言おうとしても濁った音だけが口から出てくる。
男は討伐隊員に掴み掛かろうと腕を伸ばした。
その赤く濡れた手は虚しく空を掴み、男は膝から地面に崩れ落ちたのだった。
討伐隊員はしばらく倒れた男を見下ろし、死んだことを確認すると小さく溜息を吐いて頭を掻いた。
「とはいえ、生きていても良い事など何もなかったがな」
そう言って討伐隊員は剣を鞘に収めて踵を返すと、大通りへと向かって歩き始めたのだった。




