秘密の段
やはり商人はよく喋る、とすでに中年をいくつか過ぎている男は辟易していた。
だが愛想よく返事を返し、相槌をうち、そうして気に入ってもらわなければ次の仕事はもらえない。
それは出会ってもう随分経つにも関わらず、未だに名前を聞かれてないことからも容易に想像できる。
その日暮らしで生きてきた男にとって、この護衛の仕事はこれから先も安定した収入を得る為の大切な機会なのだ。
あれはいつも行く酒場での出来事だった。
「魔女、ヴェラが現れるかもしれない」
そんな事を言いながら、ここ、聖王都から東へ向かう商隊の護衛を探していたのがこの商人だった。
本来、商隊の護衛は討伐隊や馴染みの傭兵達が行う。
討伐隊は個人の傭兵を雇うよりも若干割高だか安定した能力を期待できるし、馴染みの傭兵を持てば信頼して仕事を任せることができるからだ。
自分のように単身で、その日その日で仕事を受けながら生きているような人間には、もともと縁のない話である。
「そのヴェラってのは誰ですかい?」
酒場に集まる皆が商人に注目する中、どこからか大きな声が上がる。
男は魔女という言葉には聞き覚えがあった。
ここのところ魔物の出現と共にその姿が確認されるという、赤い魔女のことだろう。
そんな噂はこうして毎日のように酒場に来ていれば嫌でも耳に入ってくる。
だが誰も信じてなどいない。
そんなのは、酒の肴になる程度のありふれた、つまらない噂話だ。
聞くところによると、その赤い魔女というのは魔物と共に現れるだけ。
その魔女自身が何かをしたという話はこれまで聞いたことがない。
恐れることはない。
警戒することもない。
信じる必要すらない噂話。
子供に言うことを聞かせる時に使うような、そんな愚にもつかないような噂話。
そのはずなのだが、しかし今ここにその魔女を気にして護衛を追加で雇おうとしている商人がいる。
「ここからずっと東にある街で、赤い髪をした魔女、ヴェラが現れた」
商人が声を張る。
「その魔女は討伐隊員30名を殺し、そのまま姿を消したのだ」
一瞬の沈黙の後、湧き起こる失笑、嘲笑、哄笑。
酒場の色んな場所から、色んな人間の笑い声が上がる。
この男もまた、酒を口に運びながら笑っていた。
魔女と呼ばれるからには女なのだろう。
(その女が、討伐隊の男を、30人も殺しただと?)
これが笑わずにいられるだろうか。
そんなことはありえない、と男は酒を飲み下すが、にやけた口元から少し溢れてしまった。
(俺だってこれまで魔物や野盗と渡り合ったことはある)
しかし先手を打ったとしても、相手にできるのはせいぜい2人が精一杯だ。
相手が3人にもなればどうやっても勝てる見込みはない。
(それが30人だと?30人を相手に戦い、皆殺しにして逃げただと?)
そんなことは有り得ない、と男は魔女の話には早々に見切りをつけた。
他の者達が商人にあれやこれやと問い掛けている。
だがそんなことには何の意味もない。魔女などいるわけがないのだから。
男は既にこの依頼に手を上げるつもりでおり、今はその先どうするべきかを考えていた。
とはいえ(しかしまぁこんな馬鹿みたいな話は珍しくない)と頭の一部分ではこの事態を楽しんでいる自分もいた。
山が動いただの、海が割れただの、火の蛇を見ただのと、そんな話はこれまでにもいろいろと聞いたことがある。
どうせ全ては勘違い、思い違い、心得違いだ。
しかし退屈な毎日を過ごしている中で、そんなものが本当にあるのなら見てみたいと思う自分もいる。
男なら誰だって、冒険や発見や心躍るような戦いに一度は憧れるものだ。
歳を取るにつれ、そんなもの有りはしないと悟ってしまったが、どうやらこの歳になってもまだ、何かを期待している自分がいるらしく、男はそれが少し楽しかった。
「俺はやりてぇなぁ」
そう言って男は手を上げた。
別段生きていくのに不自由しているわけではない。
しかしそろそろ安定した生活というのをしてみたいと思っていたところだ。
討伐隊員を殺しまくった魔女。
そんなものは眉唾ものなのだと思えば、商隊の護衛などという、こんなに美味い話はなかなかない。
「俺は今までクソみてぇな戦いを生き延びてきた。相手が魔女だろうが逃げ出したりはしねぇよ?」
男は自信満々に叫ぶ。
実際、クソみたいなのは自分の人生のことで、戦いなどはこれまで数えるほどしか経験していない。
その戦いというのも、ほとんど逃げ果せることで命を拾ってきた。
だが、そんな嘘が発覚するわけがない。
今はこの裕福そうな商人にどうにか取り入って「クソみたいな人生」から脱出することが重要なのだ。
そうして男は無事雇ってもらい、聖王都を出発していくつかの街を巡りながら東に向かった。
この商人の馴染みの傭兵達は、こちらから話しかけてもろくに返事もしない。
(俺のことを馬鹿にしてるんだ)と男は鼻を鳴らした。
だがそれが悔しいわけでも腹立たしいわけでもない。
今はそれでもいい、と男は思った。
この護衛の仕事をきっかけにして、自分も商人お抱えの傭兵になってやるのだと息巻いた。
だから男は積極的に商人に話しかけ、気に入ってもらえるように振る舞ってきた。
幸い商人も悪い人間ではなく、男に分け隔てなく接してくれた。
気付いているのかいないのか、未だに名前を聞いてこないことには少し引っ掛かっているのだが、それも結果良ければというものだ
(まぁどうせ、何も起こりはしない。魔女など存在しない)
そう高を括った男の仕事は、途中まで予想通り平凡で退屈なものだった。
雲行きが怪しくなってきたのは、とある街の入口に立つ看板見たときだ。
「討伐隊30名を惨殺した赤髪の魔女ヴェラは「カンザイコ」にいるため過剰な心配は無用。魔女と疑わしき者を発見した場合は討伐隊に報告し、決して私刑は行わないこと」
町の入口の看板にはそんなことが書かれていた。
(本気か?)と男は何度も看板を読んだ。
看板の傍に立つ討伐隊員にも話を聞いた。
その討伐隊員は「事実だ」と短く答えた。
魔女の話は、本当だったのだ。
(まずい)と男は思った。
もしも本当に魔女が現れたら、一目散に逃げなければならない。
自分でどうにかできるような相手ではない。
その場合は継続した仕事を手に入れることができなくなってしまうが、死んでしまっては元も子もない。
それに、もしも商人が魔女に殺されるようなことになればその荷や金を頂いてしまえばいい。
大丈夫だ、と男は自分に言い聞かせた。
(出会わなければ良し。出会ってしまっても、良し)
何も変わりはしない、そう思うことにして男はすごすごと街の中へと入っていった。
だがしかし、生来真面目というものに縁がない男の心の中はどうしても晴れなかった。
(なんだか面倒な仕事を受けてしまったものだ)と男は天を仰いで大きく息を吐き出したのであった。




