第6話
一体何者なのか、そう聞かれてもギルには答えられるようなことなど何もなかった。
自分は別に、何者でもないからだ。
ギルにはカールが自分のどこにそんな疑問を持ったのかすらも分からない。
そんなギルを見て、カールは「もしかして」と続けた。
「もしかして、これまであまり人と関わってきませんでしたか?」
それは、確かにその通りだった。
生まれた街を出て、カーマイン商会から荷運びの仕事を受けながら色々な村や街を巡っては来た。
しかしもともとがカティナを探すための旅ということもあり、一つの街に長居することはなく、親しい誰かができることもなかった。
これまでの人間関係は常にその場限りの一時的なものでしかなかったのだ。
カールの問いにギルが頷くと、カールは少し納得できたような顔をしている。
「確かに、比べることがなければ自分の言動への違和感に気付くこともないのでしょうね」
そんなことを言うカールに悪気はないのだろう。
だがしかし突然そんなことを言われたギルにとっては気分のいいものではなかった。
「すみません。悪く言っているつもりはないんですよ」
ギルの表情が険しくなったのを見て、カールは慌てて手を振りながら「つまりですね」と続けた。
カールからすれば、見たこともない武具を身に着け、命懸けの仕事の報酬を貰おうとしないギルはどうしても奇異に映ってしまうのだという。
狒々討伐にしても今回の件にしても、普通の人ならばきっちり報酬を受け取るはずだ。報酬を受け取らず、善意だけで人を助けるなど有り得ないことだとカールは言った。
そして報酬に無頓着にも関わらず、このような宿に平然と泊まっていることがカールの疑問に更に拍車をかけた。
この宿の料金は旅人が泊まるには高額らしく、商人や事業主などの懐の肥えた者達が利用するような宿なのだという。
一つ一つが些細なことでも、それぞれが揃ってしまうと、カールにはギルがどうしてもただの旅人とは思えないのだそうだ。
そんなことを言われても、とギルは頭を掻いた。
この武具は確かに珍しいものではあるがヴェラから貰っただけの物であるし、報酬に関してもこちらから首を突っ込んだ以上貰わなくてもいいと思っているだけだ。
それは確かに自分の経済状況に余裕があるからこその考え方なのだろうが、それはカーマイン商会の仕事を請け負い、正当な収入を得ているからだ。
この宿だって特に深い意味があって選んだわけではない。
ただ酒場に近かったから選んだだけだし、宿泊費を気にしなかったのは他に金の使い道がないからだ。
肝心な部分は誤魔化しながらだが、そんな話をギルはした。
「カーマイン商会、ですか」
そこならよく知っています、とカールは言う。
それは何ら不思議なことではない。大陸のどこの街にも店を構えているのだ。
その名を知らない人はいないだろう。
「しかしですね」
とカールはギルの答えにまだ満足していないようである。
「カーマイン商会ほどの規模であれば、そこから仕事をもらいたいと思う者は多いでしょう」
しかしだからと言って皆が仕事を任されるわけではない。カーマイン商会から信用されている者しか仕事を請け負うことはできないはずだ、というのがカールの言い分だった。
そのカーマイン商会に信用される何かがあるのでは、ギルの思いとは裏腹にカールの疑問はますます深まっていっているようだった。
「それに個人で運べる荷量などたかが知れてますし、その報酬だけでこんなに余裕のある生活ができるとは思えません」
そんなカールの疑問に対する答えを、ギルは持ち合わせていない。
他の商会からの仕事を受けたことがない以上、比べようがないのだ。
「俺には、ただこうなった、としか言えません」
ギルに言えるのはそれが精一杯だった。
「それだと何か、都合が悪いのですか?」
隠し事がないわけではない。
カーマイン商会の跡取りであるということは内緒にしているし、ヴェラのことはその名前すら出していない。
そこに他意はないが、もしも隠し事をしているような人間は信用できないということであれば、ギルはこちらから今回の依頼を辞退しようと思った。
「いえ、そういうわけではないんです」
しかしカールは特別深刻に考えているわけではないようだった。
「ただ、すみません。職業病というやつでしょうか、どうしても気になったことを放っておけないものですから」
とまたカールは困ったように笑う。
「気付かないふりをすることもできたのですが」
そう前置きしてカールは言う。
「アッシュ、というのは、偽名なのですよね」
どうしてそれを、とギルは逡巡したが、つい先程のことを思い出した。
階段から降りてきたギルに、ロザーナは「おはよう、ギル」と言っていた。
「ええ、仰るとおりです」
ここまではっきりと聞かれてしまっているのであれば、これ以上偽名を使う意味はない。
しかしどうやらカールはギルという名とカーマイン商会を繋げて考えてはいないようだった。
カーマイン商会を取り仕切る者の名前が代々ギルだということまでは知らないのだろう。
「訳あって、普段はアッシュという名前を使っています」
それには自分なりの思いがあるが、今ここで話たくはない。そうギルは伝えた。
「分かりました」
とカールはそれ以上食い下がることなく、パンっと膝を打った。
「突っ込んだことを聞いてしまい、申し訳ありませんでした」
カール曰く、討伐隊の中にもそれぞれの事情を抱えた者は多いらしい。
「ラドリアスさんだって」
と言いかけて、カールは慌てて口を噤んだ。
「いえ、僕がここで言っていいことではないですね」
では失礼します、そう言ってカールは席を立つ。
「最後に一つだけ」
去り際、出発の予定は2日後だということを伝えたカールは「老婆心ながら」と続けた。
「何かを成された際には、必ず報酬は受け取るようにしてください」
善意だけで人を助けるのは素晴らしいことだが、知らないところで恨みを買ってしまう可能性がある。
それがカールの言い分だった。
「では、アッシュさん達が無事に戻られた際には、共に酒場へ行きましょう」
やはりロザーナから聞いていたのだろう。カールは笑いながら宿屋を出ていったのだった。




