第5話
ふと目を開けたとき、ギルには自分がどこにいるのか分からなかった。
だが何度か瞬きをしているうちに、次第にここが宿屋の部屋であるということに気がついた。
そういえばと、ギルは昨日マシューを連れて討伐隊に向かったあと、宿を取ったことを思い出した。
「いや、そうじゃないな」
と独り言ちたあと、ギルはその間の忘れかけていた記憶を思い出す。
宿を取ったあと、ギルはロザーナと酒場へと向かった。そしてそこで夕食を摂り、酒を飲んだ。
「そこまでは、はっきりしてるんだが」
とギルは昨夜の記憶を必死に辿った。
ロザーナの食事風景を見ながら、酒を飲んでいた。
気づかないうちに飲みすぎてしまい、どうやらいつの間にかその場で眠ってしまっていたようだ。
あやふやな記憶の中で、食事を終えたロザーナはギルを起こし、受け取った財布を店の者に渡して料金を支払ってくれていた。
そしてどうやって宿まで戻ってきたかを思い出したとき、ギルは恥ずかしさから両手で顔を覆った。
酔い潰れてしまったギルは「大丈夫」「大丈夫だから」と呟きながらロザーナに肩を借り、宿屋まで連れて帰ってもらっていたのだ。
「情けない」
そんな酔い方をしたことはこれまで一度もなかった。一人で旅をしているからには、酒に呑まれることなどあってはならないからだ。
「ついつい気が緩んでしまうな」
幸いにも二日酔いにはなっておらず、体はすぐに動いた。
ギルは部屋を出るとロザーナの部屋へと向かい、扉を叩く。
昨夜のことを謝りたかった。
しかし部屋の中からは何の反応もない。
まだ寝ているのか、と思ったその時、階下からロザーナの笑い声が聞こえた。
ギルは寝起きで固まった肩を解しながら階段を降りていった。
「おはよう、ギル」
「おはようございます」
一階でロザーナと話していたのは討伐隊のカールだった。
「いい宿にお泊まりですね」
そうだろうか、とギルは思ったが、宿屋の従業員の前で否定することも憚られ、ギルは曖昧に頷いた。
「今日は、どうしました?」
ギルの問いにカールは一瞬ギルの髪の毛へと視線を移した。
それに反応し、ギルが寝癖でもついているのかと髪へ手を伸ばしたとき、「お願いしたいことがあって参りました」とカールが答えた。
そういえば頼みたいことがあると言っていた、とギルは昨日のことをまるで遠い昔のような感覚で思い出した。
「今、隊内が慌ただしくしているということは昨日お話しましたよね」
覚えてますか、とカールが悪戯っぽく聞いてきたのは、もしかしたら昨夜ギルが酔い潰れてしまったことをロザーナから聞いたのかもしれない。
「ええ、覚えていますよ」
カールと話しているうちに、ようやく頭の中もはっきりしてきた。
「その作戦に、是非アッシュさんとロザーナさんにも参加していただきたいのです」
カールはそう言うと深々と頭を下げたのだった。
北に赤い魔女が現れた。
その情報はギルもカーマイン商会で聞いていた。
「魔物達は人間を追い出した村に留まり、ともに現れた赤い魔女も、未だにその近辺に潜んでいるようなのです」
3人は場所を宿の中にある食堂に移した。
そこで出された熱いお茶が、ギルの体に染み渡っていく。
「それは珍しいことなのですか?」
ギルには赤い魔女に関する知識は殆どない。これまでの旅で名前を聞くことはあれど、実際に人々に危害を加えたという具体的な話は聞いたことがないからだ。
カールは「そうだと思います」と答え、聞いた話ですがと前置きをして続けた。
これまで赤い魔女が現れたのは広範囲に及び、およそ人の身では有り得ない早さでありえない場所に現れるのだという。
「こっちで見かけたと言う話を聞いた数日後に、今度はあっちで、という具合にですね」
カールは身振り手振りでその不思議さを説明する。
それらは人の身ではもちろん、馬を使ってどんなに急いでも絶対に無理な距離なのだという。
だが、普段神出鬼没なその魔女が、今この街から北の地で何度も目撃されているということだった。
「そこで、村の奪還と魔女討伐の為に隊が派遣されることになりました」
その作戦にギルたちの力を借りたいのだ、とカールは言うのだ。
ギルは先程カールが自分の髪の毛に視線をやった理由が理解できた。
赤い魔女の呼び名の由来となっているのは、魔女の赤い髪の色からきている。
とはいえ魔女を間近で見た者はおらず、遠目から見た赤い色だけが漠然と魔女の呼び名として定着していた。
その魔女と同じ色の髪に、カールは無意識に視線を向けてしまったのだろう。
とうしたものか、とギルはカールの提案にすぐに頷くことはできなかった。
昨日、西へ向かうと決めたばかりだからだ。
北の魔物や直接的に害のない魔女に関わる必要などあるのだろうか、と。
「どうして俺達なのですか?」
昨日たまたま討伐隊に寄っただけの人間をどうして必要とするのか、ギルにはそれが分からなかった。
「単純に、あなた方がお強いからですよ」
と、カールの答えは明確だった。
「あの狒々を2人だけで倒した。その実力を見込んでのお願いです」
魔物だけならば討伐隊の隊士だけでも特に問題はないだろうとカールは予測しているという。
しかし正体の分からない魔女の存在が、大きな不安要素として存在しているのだそうだ。
その為ギルとロザーナには予備の戦力として参加してほしいのだと、カールは言った。
「それに実は、僕よりも隊長の方が乗り気でして」
カールは昨日、ギルとロザーナの作戦への参加を隊長へ相談したところ、その場で快諾されたのだと話した。
「その理由はまぁ、大人の事情というやつでしょうか」
直接本人から聞いてください、と笑っているところを見ると、その大人の事情というのは特に深刻な内容ではないのかもしれなかった。
「どうでしょうか?」
参加していただけますか、とカールはまっすぐにギルを見つめる。
自分自身が評価をされて、当然嫌な気持ちはしない。
それにもしも討伐隊と共に赤い魔女を討伐、もしくは捕らえることができればヴェラの方から会いに来てくれるかもしれない。
そうなればロザーナのことも一気に解決する。
都合のいい方向に考えているとは思う。
しかしここでカールの提案を断り、当てのない旅をするよりも引き受けたほうが何か掴めるかもしれないという気もする。
ギルがロザーナを見ると、ロザーナは何も言わず微笑んで頷いてくれた。
「分かりました。よろしくお願いします」
ギルの返事を聞き、カールは「よかった」と笑顔で息を吐き出し、「実は」と語りだした。
カールと巡回隊士であるラドリアス、この2名も元々作戦に参加する予定だったのだそうだ。
カールは自らが立案した計画の結果を見届け、次回からより効率的な作戦を立てられるようにするために。そして巡回隊士であるラドリアスは作戦の見届人として。
しかしマシューの件があり、カールとラドリアスはこの作戦から外されることになった。
「僕とラドリアスさんはマシューさんを連れて被害のあった村を回ることになったんです」
またこの作戦は元々はもう少し後に行われるはずだったのだそうだ。
満月が過ぎ、これからしばらくは明かりの少ない夜となるからだ。
しかし急に作戦が行われることになったのも、ちょうどこの街に巡回隊士が訪れていることが理由であった。
どうやらこの巡回隊士に関することが、大人の事情と言うものなのだろうとギルにも予想ができた。
「ちなみに、大変申し訳無いのですが」
今回は治安維持作戦の為に討伐隊が自発的に行う作戦のため、討伐隊に入る報酬というものがない。
その為ギルに支払う報酬もとても少ないものになるだろう、とカールは申し訳無さそうに言った。
しかしそれに対してはギルは何の問題もなかった。
カーマイン商会の仕事で稼いだ金で、相変わらず生活に困るような懐事情ではない。
「報酬は、いりませんよ」
とギルはカールを安心させるつもりで言った。
だがカールはギルの言葉に腑に落ちないような顔をしている。
「実は昨日から気になっていたのですが、アッシュさん、あなたは一体何者なのですか?」
そう言ってカールは困ったように笑顔を浮かべるのであった。




