第10話
前に飛び出すと同時に外套の下から振り上げられた斧槍は、ギルの手が僅かに柄から離れるほどの勢いでバリーに向かって翔んだ。
虚を衝かれたバリーはそれに反応することができなかった。
斧槍は腹部に深々と刺さり、その勢いはバリーの逞しい体さえも若干後退させた。
ギルが腕を伸ばして柄を握り直し、左下に向かって捻りながら斧槍を引き抜くと、痛みからであろう、バリーの手から片手剣が落ちるのが確認できた。
そしてギルはその勢いのまま右前方で慌てて片手剣を振り上げたもう一人の男に向かって前進し、男の胴を思い切り薙いだ。
手応えはあった。戦いはいつも先手が有利に進むことをギルは理解していた。
バリーは腹部の痛みから動くことができないはずだし、もう一人の男は既に息がない。
斧槍にまとわりつく血を払い、ギルが後ろを振り返ったとき、顔面に強烈な衝撃が走った。
バリーに殴られたことに気が付いたのは、殴られる直前だったのか、殴られた直後だったのか。
一気に記憶が曖昧になり、頬に伝わる冷たい感触で自分が地面に倒れていることに気がついた。
立たなければ、と意識はハッキリしている。だが体がうまく動いてくれない。
なんとか仰向けになり混乱した頭で周囲を伺う。
そこには膝を付き苦しそうに呼吸をしているバリーがいた。
「なんだ?その武器はよ」
殴られた衝撃で手から離れ、地面に落としてしまったギルの斧槍を、バリーは何か異質なもの見る目で見ている。
立ち上がる気配はない。
すでに追い掛けてこられるような状態ではなく、放っておいても直に死ぬだろう、とギルはどうにか立ち上がるとよろけた足取りで斧槍を拾い上げて逃げた女性を追いかけた。
木々の先から男の叫ぶ声が聞こえる。
止まれ、と。
待て、と。
それは徐々に懇願するような必死さを醸し出しながら続いている。
ギルは走る衝撃で顔が酷く痛むのを必死に我慢し、その声を追った。
少しして、木々は急に開け平原へと戻ってしまった。
思っていたよりも林は浅かったようだ。
遠方に軽い足取りで逃げる女性が見え、その随分後ろを男がバタバタとした足取りで追いかけている。
(これなら捕まる心配はなさそうだ)
とギルが安心した矢先、離れた場所から駆ける馬の足音が聞こえてきた。
そしてそれは瞬時に前方の男を追い越して女性に迫っていく。
まだ、もう1人いたのだ。
軽快に走る女性の足も、馬には敵わない。
その差はみるみると縮まり、あっという間に馬は女性を追い越して眼前で止まった。
馬から男が降りるのが見える。
ギルは先程殴られた衝撃から完全に立ち直れていない。必死に足を動かしているが、自分でも驚くほど前に進んでいなかった。
間に合わない。
このままでは女性は捉えられ、馬に乗せられてしまう。
そうなってはもうギルに追い掛ける手段は残されていない。荷馬車用の馬で追い掛けたところですぐに引き離されてしまうだろう。
半月の薄明かりに照らされる中、男が棍棒のようなものを振りかぶった。
それが勢いよく振り下ろされた次の瞬間、何故か棍棒は宙を待っていた。
ギルの足は完全に止まっていた。
もう走る必要がなくなっていた。
今目の前で起きたことが、ギルには信じられなかった。
馬から降りた男が振り下ろした棍棒。
それが女性を捉える前に、女性は左足で棍棒を持つ男の拳を蹴り上げていた。
そして宙を舞った棍棒が地面に落ちるよりも早く、女性の後ろ回し蹴りが男の側頭部を捉えた。
直後、男の叫ぶ声が聞こえた。
必死で走り、女性に追いついた男は何を言っているのか分からない叫び声を上げて腰から片手剣を抜いた。
恐らく突然のことに混乱し、女性を捕らえるという目的も分からなくなっているのであろう。
片手剣は目的もなく何度か振り回されると、女性に向かって突き出された。
暗さから、その切っ先が女性の胸を貫いたように見えた。
しかし、女性はそれを半身ずらすことで回避し、回避行動からそのまま反撃へと繋げていた。
思い切り振り抜かれた拳が男の側頭部を捉え、男は派手に吹き飛ばされた後動かなくなったのだ。
遠目に見ていても一瞬のことであった。
男達は相手が女だからと油断していたはずだが、それにしても女性の身のこなしは見事なものだった。
もしも自分が男達の立場だったら、と想像しギルは軽く身震いした。
きっと結末は変わらない。あの男達と同じようにあの場に倒れることになっていただろう。
「驚いたな」
と歩くギルに対し、女性はまた軽やかに駆け寄ってきた。
「武術の経験があったとは、全く思わなかったよ」
ギルのその言葉に女性は「私も」と困惑したような顔で笑いかけてきた。
「なんだか、戦えたみたい」
そう言って戸惑う女性の笑顔を見て、一体誰があんな動きができると予想できるだろうか、と多少腕に覚えのあるギルは複雑な心境に陥ったのであった。




