第6話
硬いパンをちぎり、皿に残ったソースをすくって口へと運ぶ。
イアンがスープを温めるために持っていったものだから、ギルは少し手持ち無沙汰になってしまった。
更に少し離れた場所には女性が立ったまま、先程から居心地悪そうにこちらを見ている。
「座ってくれないか」
気まずい空気に耐えきれなくなったギルは女性へと声を掛けた。
「あ、はい」
女性は返事をするといそいそとギルの前の席へと座った。
そこに座ってほしかったわけではない、とギルは急に縮まった距離に戸惑ってしまったが、わざわざ離れろというのも気にしすぎだと思われそうな気がしてそのままにした。
事実、ギルは若い女性との関わりには不慣れであった。ヴェラの提案を断って訓練に明け暮れていたことが今少しだけ悔やまれた。
「改めて確認するが、本当に君は何も覚えていないんだな?」
ギルの問いに、女性は小さく頷く。
「名前も、家族のことも、どこから来たのかも、何も?」
また、頷く。
弱ったな、と深く息を吐くギルを見て、女性は申し訳無さそうに俯いてしまった。
「すまない、別に責めているわけじゃないんだ」
ただなんの手掛かりもないとなると街に送り届けてから先のことが心配になっただけだ、とギルは弁明した。
「嫌われているわけじゃ、ないの?」
女性からのその質問は、ギルにとって思いも寄らないものだった。昨日知り合ったばかりの女性に対して好きも嫌いもあるはずがないのだ。
そんな怪訝な顔をするギルを見て、女性は慌てて続けた。
「だって、イアンさんと話してるときと、私と話してるときでは何か、違うから」
そう言われ、ギルは合点がいった。
「ああ、あれは仕事が絡んだ相手だから、ああいう話し方をしてるだけだ」
普段はあんなに畏まって話したりしない、と言うギルの言葉に女性は少し安心したようだ。
「じゃあ、今のあなたの話し方が普通、なの?」
とはいえ実際はそれも少し違った。
今のギルは「親しくない女性と話すときの話し方」なのだが、それを説明するのも何だか気恥ずかしいような気がして適当に誤魔化した。
「よかった。私、てっきり嫌われてるのかと思ってた」
(純粋というか単純というか)
ほんの少しの会話をしただけで先程までとは別人のように上機嫌になる女性に、ギルは少し微笑んだ。
「とりあえず」
とギルは話を仕切り直し、今後の予定を女性に伝えた。
食事が終わり、荷物をまとめたらこの村を出て東へと向かう。
それはギルにとっては引き返す旅であり、危険のない数日の旅になる。
その後2人でカーマイン商会へと向かい、女性のことは商会に任せてその後のことは、と言いかけてギルは言葉に詰まってしまった。
旅を続けるのか、一度実家へ戻るのか決めかねている。
実家に戻ればなし崩し的に旅が終わりそうな予感はある。
まだ旅を続けたい気持ちとは裏腹に、摩耗してしまった期待や夢が交わり今すぐには答えが出そうになかった。
「まぁいい」
その先のことはその時に考えればいい、とギルは独り言ちると硬いパンを再び口へと放り込んだのであった。
「では、お気をつけて」
イアンに見送られ、2人は荷馬車で旅立つ。
寒いだろうからと出発の際女性はイアンから毛布を手渡された。
村を出て荷台に座る女性が毛布を広げると、それは今回ギルが持ってきた新しいものではなく使い古された、おそらく以前から宿においてあった方の毛布だった。
ちゃっかりしているな、と2人は笑い合い、ぎこちないながらも会話をしながらのんびりとした旅を続けた。
夜になり、街道のそばで野宿をする際には火を焚いた。
これまでギルが一人で旅をしていたときには目立つからと焚き火をすることはなく、冷えた夕食を食べて丸まって眠っていた。
しかし女性がいるからにはそういうわけにもいかなかった。
火を起こし、これまたイアンから分けてもらった食材を温めて食事をする。
眠る際には女性には荷台で寝てもらい、ギルは見張りを兼ねて座ったまま浅い眠りについた。
2日目、たまにすれ違う旅人達や行商の一団と情報を交換し必要なものを購入した。
荷物運びのカーマイン商会の仕事は簡単な割に報酬がよく、正直金に困ったことはない。一人旅で使い道もあまりなかったものだから、女性の不便がないようにと荷台に敷くものや、きちんとした食事のための食材を買うことも躊躇わずにすんだ。
不思議なものでずっと一緒にいると、名前が分からないことなどは大した問題にはならなかった。
最初こそぽつりぽつりとした会話だったが徐々に会話の頻度は増え、ギルが旅立ってから今日までの話をしているうちに2人はすっかりと打ち解けていた。
「そう、それで俺はその女の人に言われて宿に向かい、そこで君を見つけたんだよ」
御者席に座るギルのすぐ後ろの荷台に座り、女性は顔だけギルの方へと向けている。
少し口調が柔らかくなったギルの話を聞きながら、女性は微笑み、ふと正面を見直したときだった。
遠くの丘の上に人影が見えたような気がした。
それはとても小さく、一瞬のことだったが見間違いではないように思えた。
「あの、誰かがこっちを見ていたような気がします」
話を終え、不思議な充実感に包まれていたギルは、女性のその言葉で一気に現実へと引き戻されたような気がしたのであった。




