第4話
アッシュ、と呼ばれたことを思い出しながら、ギルは村の入口に向かって歩いていた。
静まり返った村の空気はとても冷たく、燃え尽きてしまった家や、明かりの消えた家、暗闇の中で力なく動く人達の様子が一層寒さを引き立てているようだった。
家の中からは疲れ果てた人達の気配、またある家の前では殺された住人がそのままになっている。
ほんの少し前まではいつもの日常がここにはあった。しかしたった一度の出来事で何もかもが変わってしまう。
ゴブリンは排除した、物語ならばそれで終わりだ。しかしこの村に住む人たちのこれからは延々と続いていく。
もう何度も経験した事故、事件後のこの空気感に、ギルはいつまでも慣れることができなかった。
そんな日に出会った正体の分からない女性。
てっきり宿の宿泊客だと思っていたが、そうではなかった。
ゴブリンの襲撃があるまで宿屋にはおらず、村の人間でもない。
一体どうやって、いつの間にこの場所にいたのかと、あの後も宿屋の主人は首を撚るばかりであったが、見る限り無害そうなその女性を宿屋の主人は一旦引き受けてくれた。
そうしてその間にギルは村の入口で待たせている荷馬車のところへ向かっているのだ。
その女性から不意に呼ばれたアッシュという名前。
埒が明かなかったためその場は一旦流したが、あれはただの偶然だったのだろうか。
アッシュというのは決して珍しい名前ではない。他にもいるだろう。しかし、とギルは結果の出ない考えに囚われていた。
記憶にはない女性、その女性から名前を呼ばれる違和感。ギルはその違和感をどうしても拭い去ることができないでいた。
そうこうしている間に荷馬車へと到着した。
馬は落ち着き払っており、幸いにも荷が荒らされた様子はない。
積み荷の中身は見ていないが、品目表には食料品や毛布、酒などが記載されており量もなかなかにある。
奇しくも今夜のようなことがあった後であれば随分と役に立つことだろう、とギルは自分の行いに軽い充実感を覚えるのであった。
「注文していない?」
荷馬車を操って宿屋に戻り、主人に品目表を渡すと思いがけない答えが返ってきた。
「ええ。そもそもこんな量、この村の宿で必要になることなどありませんからね」
言われてみれば確かに、とギルは小さな宿屋と荷台を交互に見る。
積まれている毛布は宿にあったものより上等であるし、食料は保存の効くものを中心にかなりの量が積まれている。酒もこの量ならば飲みたい者に好きなだけ飲ませることができるだろう。
「支払いはどうなってますんで?」
宿屋の主人に聞かれ、ギルはそこまでは知らないと答えた。
「私の依頼された仕事はこの荷をこちらに運ぶことだけです。荷の積み込みはカーマイン商会の方がしましたし、支払いの件までは何も」
だが集金を依頼されてない以上、先に支払いは終わっていると考えて間違いないだろう、ともギルは伝えた。
品目表の注文元と納品先はともにこの村の宿屋の名前になっている。
そこに書かれている名前は自分の名前で間違いないと宿屋の主人は言った。だが身に覚えはなく、そもそもこれだけの荷の支払いができるほどの金も持ち合わせていないと言う。
「意味が分かりませんな」
腕を組んで顎を撫でながら主人はこの荷をどうするべきかと考えているようだった。
「ありがたく使わせてもらえばいいのではないですか?」
とギルは言う。
「今夜はひどく冷えます。毛布を必要とする人もいるでしょう」
先程見てきた光景が頭を過ぎる。
「明日からもまた、生きていかなければなりません」
食べ物や酒がどれほどあっても困ることはないでしょう、と。
「しかし」
宿屋の主人が躊躇するのも無理はなかった。
そもそも頼んでいないものが自分の名前で届いたのだ。ある種の気持ち悪さを感じるのは当然のことだった。
「カーマイン商会へは私から話をしておきます。あとになってこの荷を返せとは言わせませんよ」
その為には自分がカーマイン商会の跡取りだということを伝え、家の力に頼る必要があるが、旅の限界を感じているギルにはそれでもいいような気がした。
「私はこの毛布を配りに行ってきます。ご主人は明日の朝食を必要とする方たちへ渡せるよう準備をしておいてください」
毛布以外の荷を下ろすと、ギルは荷馬車を操って再び明かりのない村へと進んでいくのであった。




