第3話
女性を一旦部屋へと残し、ギルは慎重に階段を降りていく。
歩く度に床や壁が軋むが、下の階から物音は聞こえ続けており、こちらに気づいている様子はなさそうだ。
宿屋の入口、受付と食事をとる為の空間が用意されているあたりから音は聞こえている。
ゴブリンの生き残りかもしれない、混乱に乗じての物取りかもしれない、そう自分に言い聞かせながら、油断だけはしないようにとギルは斧槍を握り直しながら下の階へと到着した。
壁に沿って姿を隠しながら歩き、部屋の中を覗き見る。
そこには角灯の明かりに浮かぶ大きな影があった。
一瞬、ギルはロザーナが殺されたあの夜の魔物の影かと錯覚したが、しかしよく見ればその正体は普通の人間であった。
しばらく息を殺してその者の動向を見守る。
深いため息を吐きながら片付けをしているところを見ると、その正体はどうやら宿屋の主人のようだった。
もう村に脅威がないことをあの女に聞かされ、戻ってきたのかもしれない。
音の正体を確認したギルはまた静かに2階へと戻っていった。
こんなことがあったあとだ、暗闇の中から武装した、見ず知らずの男が現れれば無駄に混乱をきたすかもしれない、とギルは思った。
「すまないが、下に行って宿屋の主人に声をかけてくれないか」
ギルは部屋で待たせていた女性のもとに戻るとそう依頼した。
宿泊している、しかも女性であれば騒ぎになることはないだろうと考えたのだ。
俺も後ろについていく、というギルの言葉を聞いた女性はわずかに頷くと、恐る恐る部屋の外へと出ていった。
今度は存在を示すかのようにわざと足音を立てながら歩いた。
そして下に降りると何故か明かりは消えており、宿屋の主人は暗闇の中でひっそりと息を殺して隠れているようだった。
「あの」と女性が呼びかける。
暗闇の中から、ひっと息を呑む音が聞こえた。
不安そうな顔をしてギルを振り返る女性に、ギルは無言で続けるように促した。
「こんばんは」
完全な暗闇の中、若干間抜けにも聞こえる語りかけは、しかしちゃんと効果があったようだ。
少しの間のあと、再度角灯に明かりが灯され、怯えた主人の顔が浮かび上がってきた。
「あんたら、いつの間に」
角灯を目の前に掲げ、女性の正体を確かめようとしているその様は、まるで初対面かのように思えた。
「今からそっちに行くが、何もしないから安心してほしい」
ギルは声を張り上げ、斧槍を外套の下に隠しながら女性の前に回り込んで部屋の中へと入っていった。
主人の怯えた様子は変わらないが、大声を上げたり突然逃げ出したりしなかったのは最初に女性に話しかけてもらったおかげだろう。
「あんたは、いったい」
と、少し後ずさりした初老の男性の顔には疲れと怯えが浮かんでいた。
「私はカーマイン商会からの使いで、こちらに荷物を届ける予定だった」
たまたまゴブリンの襲撃に遭遇したこと、村の中で女と出会ったこと、そしてこの宿屋にいる女性を守ってあげてほしいと依頼されたことをギルは宿屋の主人に一通り説明した。
「ああ、その女の人なら」
と主人はようやく笑顔を見せてくれた。
夜半前、突然外が騒がしくなったため外に出るとすでに村のいくつかの建物からは火の手が上がっていた。
何事かと慌てているうちに主人の前にもゴブリンが現れた。
「その時助けてくれたのが、きっとその女の人ですな」
主人も顔は見ていないが、背格好は同じふうだという。
その女の人から逃げる場所を指し示され、宿屋の主人は数十年ぶりに全力で走ったのだそうだ。
「それで」
と主人は首を傾げながら女性を見た。
「今日は誰も泊まってなかったし、この村の子でもない」
少し話をして落ち着いたのか、宿屋の主人は女性の顔をまじまじと見ながら呟いた。
「あんた一体、どこから来たんだい?」と。




