信仰の段 終
「純粋であることが良い、ということではない」
ラドリアスは感情のない声で2人を見下ろしている。
「信仰の対象が何であれ、それは己の中で昇華すればいい。その場合は確かに純粋であればあるほどに良い結果になるだろう」
だが、と続けるラドリアスの顔には一切の表情がなかった。
「神の在り様を人が決め、更にその信仰心を金で計ろうなどというのはただただ愚かだ」
善意によって献上されるものであるなら、それが物でも能力でも金でもいい。
しかし「献上しなければならない」というのが間違っているのだとラドリアスは言う。
「果たして神がそれを求めているのか」
いや違う、とラドリアスは自らの問いに答えを続ける。
「神は金など求めてはおらず、信仰すらも求めてはいない」
人が勝手に捧げ、満たされた気になっているだけなのだ、とラドリアスは静かに言った。
「そんなことは」
宿屋の主人が奥歯を噛み締めながら顔を上げる。
「そんなことは分かっていますよ。だから私にとってドゥムジが何であろうが、そんなことはどうでもよかったのです」
気のせいか、その言葉を聞いたラドリアスの口元が僅かに緩んだ気がした。
「家族であれど他者であれば考え方も違う。それが子であれば尚更、思うようにはいかないものだな」
それが慰めなのか、哀れみなのか、それとも嘲笑なのか、ラドリアスの口調からは判断ができない。
「あなたはやはり、信徒狩りなのではないですか」
ゆっくりと立ち上がりながら、宿屋の主人が正面からラドリアスを見据えた。
その顔はもう、全てが吹っ切れたようにすら見えるほど、焦りも、恐怖も、悲しみもない。
「さっきも言ったが、僕はただの討伐隊だ」
ラドリアスはラドリアスで、今目の前の光景が自らの行動によって起こされたものだということを理解していないかのように平然としている。
「そしてその討伐隊として、少し君と話がしたい」
宿屋の主人はラドリアスの言葉に素直に頷き、妻を立ち上がらせると奥へと足を進めた。
「2人は上で先に休んでいてくれて構わない」
そう言い残し、歩き出したラドリアスを振り返った宿屋の主人は目を丸くしている。
「ここに、泊まるおつもりなのですか?」
こんなことをしておいて、こんな状況の中、と宿屋の主人が驚くのも無理のない話だとギルは思った。
それは、自分自身も同じように思っていたからだ。
しかし。
「ここは宿屋だろう」
と答えるラドリアスに、それ以上誰も何も返すことができなかった。
その夜、下からは遅くまで話し声が聞こえてきた。
何を話しているのかまでは分からなかったが、ほとんどラドリアスが話し、それに2人が答えるというような雰囲気だ。
話し声が収まったかと思えば、次は宿の裏手から土を掘り返す音と鼻を啜る音、そして嗚咽が聞こえ始め、ギルとロザーナはなかなか眠りにつくことができなかった。
それでも、旅の疲れもあり、気がつけば2人はいつの間にか眠っており、昨夜とは打って変わってとても静かな朝に目を覚ましたのであった。
「2人とも、起きてきませんね」
旅立ちの準備を終え、ギルとロザーナが1階に降りてきた時、既にラドリアスが朝食を取っていた。
「君達も」
とラドリアスに促され、妻によって用意されたという朝食を食べている間、宿の人間はどちらも顔を見せなかった。
食事を終え、しばらくその場で待っていたのだが、いつまで経っても主人も妻も起きてこない。
「昨晩遅くまで作業をしていたから、2人とも疲れているのだろう」
食事を用意した後、妻は「疲れました」と言って奥へと消えたらしい。
「金を置いて、私達はもう出発しようじゃないか」
確かに、わざわざ起こしに行くような間柄ではないし、向こうからすれば自分達は顔も見たくないような存在だろう。
ならば、とギルは少し多めの金を机の上に置いた。
それは十分すぎる宿泊費とは別に、自分なりの弔いの気持ちの現われであった。
「おかしい、ですか?」
その様子を、口元にだけ笑みを浮かべたラドリアスが見ている。
「いや、何も可笑しくはないよ。ギル君がそうするべきだと思ったのならば、それは君にとって正しいことだ」
机の上に置いた金を見ながら、ギルはこれまで当たり前のように使ってきていた「かね」というものが、昨日の話を聞いたせいで今日は異様に卑しいもののように見えたのだった。
「信徒狩り、というのは何なんですか?」
宿を出て村を抜け、整備された街道まで来たところでギルは疑問に思っていたことをラドリアスに聞いた。
「その名の通り、信徒を狩る者だよ」
そう答えた後、それだけでは少し意地悪だったかな、とラドリアスは続けた。
聖地での事件後、各地に散らばった状態で静かに続けられていた人神信仰。
特に何かを成すわけではないが、一度始めた信仰を簡単に捨てることはできず、世間には隠された状態で存在し続けていた。
「しかし、中には最初の人物のように表立って信仰を広めようとする者もいた」
それは大昔の時と同じように周りから相手にされることはないのだが、それでもほんの一握りの人間にだけは共感されるようで、今日まで信仰者の数を僅かに増やし続けている。
「それを面白くないと思ったのが、竜神信仰の者達だ」
大多数側の人間にとって、少数側の人間というの気に入らない存在であったようで、街角や街道で演説をする人神信仰者を見つけると追い払ったり唾を吐きかけたり、酷い時には集団で暴力を振るうこともあったそうだ。
「だがそれらはまだ良い方でな」
ある時を境に、各地で人神信仰者を狙った殺人が行われるようになった、とラドリアスは言う。
「たまたま殺されたのが人神信仰者であった、ということではなく、人神信仰者を狙って起きた殺人だったそうだ」
それを誰が行ったのか。個人なのか集団なのか。
今となってもそれは判明していない。
しかし長い時間の中、人神信仰者を狙った殺人は今でも起き続け、討伐隊の中でも話題に上がるほどに各地で起きているのだとラドリアスは言った。
「それこそがまさに、神の意志である」
そう言って鼻で笑ったあと、ラドリアスは「なんてな」と苦笑したのだった。
そんなラドリアスを見て、ギルは昨日からのラドリアスに違和感を覚えていた。
これまで見てきた顔とは違うように思える。
とはいえそれほどラドリアスのことを知っているわけではない。
何が本心で何が上辺なのか。
これまで見てきたラドリアスのどこまでが本当で、どこからが嘘なのか。
仲間だと思っていたラドリアスが今は少し不気味な存在に思えて仕方なかった。
残り僅かな聖王都までの旅が、今は少しでも早く終わってほしいと願わずにはいられないギルであった。
3人が、出発した宿の奥。
宿泊客は誰もおらず、早朝の為に訪れる村人もいない。
昨夜穴に埋められたと思われていた息子の頭は、布で巻かれた状態で妻の胴に固定されている。
落ちないように、抱き抱えられていたのだろう。
そしてその隣には主人がいる。
2人の身体は、寒さ和らぎ鳥の囀る朝、ゆらゆらと天井からぶら下がっていた。
何も残さず、何も示さず、ただただ2人は、ゆらゆらと揺れていたのであった。




