8ワン
ソラは初めてのダンジョン
ワンコも最強の片鱗を隠しながら後略だ!
帰り道に良いことがあるかもね
ダンジョンに入る日の朝は、よく晴れていた。
ギルドの前には、三人の冒険者が待っていた。
「お前が、荷運びの新人か」
先頭に立っていたのは、大柄な男だった。使い込まれた鎧に、肩幅の広い体。顔には、いくつもの古い傷がある。この一党のリーダー、ダルガというらしい。
「はい。ソラです。よろしくお願いします」
「ふん。ずいぶん細いな。荷物を落とすなよ」
「が、頑張ります」
その後ろに、痩せた魔法使いの青年と、弓を背負った女性が立っていた。
「まあまあ、ダルガ。新人をいじめないの」
弓の女性は、ミーナと名乗った。二十代後半くらいの、明るい笑顔の人だった。
彼女が、ふと、ソラの足元に目を向けた。
「あら、可愛い! その子も一緒に行くの?」
その瞬間、俺の尻尾が、勝手に暴れ出した。
「きゃんきゃんきゃん!」
「あははっ、すごい元気!」
ミーナが、しゃがみこんで、俺の頭を撫でてくれた。
いい人だ。
絶対に、いい人だ。
「こら、コッペ……」
ソラが、小声で俺を睨んだ。
……バレている。
でも、気にしない。
*
ダンジョンは、街から半日ほど歩いた、山の麓にあった。
崩れかけた石の門が、地面から突き出している。その奥に、暗い階段が、ぽっかりと口を開けていた。
「昔の戦争で、魔族が残していった遺跡だ」
ダルガが、松明に火を灯しながら言った。
「今は、ほとんど探索し尽くされて、危険は少ない。初心者向けってやつだな。俺達の仕事は最後の安全確認みたいなもんだ」
「はい」
「だが、油断はするな。罠は、まだ残ってる」
ソラは、こくりと頷いた。
背中には、荷物を山ほど背負っている。松明の予備、食料、水、縄、それから、ダルガたちの予備の武器。細い体が、ぐらぐらと揺れていた。
「大丈夫? ソラ君」
ミーナが、心配そうに声をかけた。
「はい、大丈夫です」
「無理そうなら、言ってね」
ソラは、にっこり笑って頷いた。
俺は、その背中を、じっと見つめていた。
……荷物が、多すぎる。
こっそり、支えよう。
ソラの足元に寄り添って、そっとバフ魔法を付与した。ふわり、と背負い袋が軽くなる。
「あれ? 急に、軽くなった。いや、そんな訳ないか」
ソラは首をかしげたが、すぐに歩き出した。
*
階段を降りると、ひんやりとした空気が、肌を撫でた。
石造りの通路が、まっすぐに続いている。壁には、松明を差すための金具が、等間隔に並んでいた。天井は低く、湿った匂いがした。
俺は、ソラの足元から離れて、少し前を歩いた。
「おい、犬。あんまり前に出るなよ」
ダルガが、ぶっきらぼうに言った。
俺は、聞こえないふりをした。
犬の鼻は、通路の先の空気を、ちゃんと読んでいる。
左の壁の、三歩先。
壁の隙間から、革と、古い麻縄と、油の匂いがする。
罠だ。壁の奥に、仕掛け弓が隠れている。
……この体は、罠に引っかかる運命にあるらしい。ステータスの運のせいで。
だったら、引っかかる前に、壊してしまえばいい。
俺は、壁に向かって、こっそり魔力を流した。
対象は、弓の弦と、矢を放つ仕掛けの蔓。
流す魔力の性質は、「劣化」。
ぼろぼろ、と壁の奥で、何かが崩れる気配がした。
弦が、腐ったように朽ちていく。何十年ぶんもの時間が、一瞬で流れたように。
俺は、迷わず、その先の石畳を踏んだ。
かちり。
壁から、矢が飛び出した。
ぽとん。
矢は、俺の足元にすら届かず、ぽとりと床に落ちた。
勢いがない。弦が朽ちていたせいで、飛ぶ力が残っていなかったのだ。
「……ん?」
後ろで、ダルガが立ち止まった。
「今、何か落ちたか?」
「矢ですね。罠の矢です」
魔法使いの青年が、床の矢を拾い上げた。
「弦が、腐ってるみたいです。この遺跡、ずいぶん古いですから、罠も劣化してるんでしょう」
「ふむ。魔族の罠も時間の経過には勝てないってわけか」
ダルガは納得したように頷いた。
俺は、澄ました顔で、通路を進んだ。
次の罠は、床の下に仕掛けられた、火薬の爆発装置だった。
古い火薬の匂いがする。
俺は、床石に向かって、同じ魔力を流した。
火薬が、じっとりと湿って、固まっていく。
かちり。
俺が床石を踏んだ。
……何も、起こらなかった。
「おい、今、何か仕掛けが作動した音がしなかったか?」
「しましたけど、何も起きませんでしたね」
「火薬が湿気てるんだろう」
ダルガが、肩をすくめた。
「まあ、ワンコの運がいいってことだな」
ミーナが、俺を見下ろして、にこっと笑った。
「この子、縁起がいいかも」
俺は、尻尾を振りながら、内心でほくそ笑んだ。
……計画通り。
*
だが、すべての罠が、劣化魔法でどうにかなるわけではなかった。
通路の奥で、俺は、ぴたりと足を止めた。
この先の床から、妙な匂いがする。
金属と、魔石と、魔法の匂い。
魔力を流してみる。
……弾かれた。
対魔法処理が、かかっている。魔力を流しても、跳ね返してくる仕組みだ。
つまり、これは、魔法では解除できない罠だ。
なら、力技だ。
俺は、通路の脇の壁に、ぴったりと体をつけた。
それから、前足を、ぽん、と壁に当てた。
ばきばきばき。
壁の一部に、大きな亀裂が走った。
次の瞬間、天井の一部が、がらがらと崩れ落ちた。
「うわあっ!?」
全員が、慌てて飛びのいた。
崩れた岩が、罠の床を、そのまま押し潰していく。
仕掛けの床が、がしゃん、と音を立てて壊れた。
しばらくして、砂埃が収まると。
通路は、瓦礫で少し塞がっていたが、罠だけは、跡形もなくなっていた。
「な、なんだ、今のは!?」
「崩落か?」
「この遺跡、古いからな。天井が、もろくなってたんだろう」
ダルガが、咳き込みながら言った。
「危なかった。もう少しで、下敷きだったぜ」
「でも、おかげで罠が壊れましたね」
「結果オーライってことか」
俺は、素知らぬ顔で、埃を払った。
ソラだけが、じっと俺を見つめていた。
「……コッペ」
「きゃん?」
「お前、なんか、やった?」
……鋭い。
俺は、思いっきり、首をかしげてみせた。
ソラは、しばらく俺を見て、それから、ふっと笑った。
「まあ、いいや。ありがとうな」
ぐしゃぐしゃ、と頭を撫でられた。
誤魔化せた、のか?
*
「おっ、スライムだ」
ダルガが、天井を見上げた。
緑色のぶよぶよしたものが、ぽとり、ぽとりと落ちてきていた。
ダルガは、剣を抜こうとして、途中で手を止めた。
それから、にやりと笑って、ソラのほうを振り返った。
「おい、新入り」
「は、はい」
「スライムだ。いい練習になる相手だ。やってみろ」
ソラは、目を丸くした。
「え、お、おれがですか?」
「ああ。荷物は、置いていけ。俺たちが見ててやる」
ミーナが、ソラの荷物をそっと受け取って、笑顔で頷いた。
「大丈夫、ソラくんならできるわよ」
「危なくなったら、すぐ助けるからな」
魔法使いの青年も、頷いた。
いい人たちだ。
本当に、いい人たちだ。
ソラは、緊張した顔で、腰の木剣を握りしめた。
木剣だ。シリウスじいさんが、稽古用に作ってくれた、短い木剣。
ダルガは、それを見て、少し眉を上げたが、何も言わなかった。
「い、いきます!」
ソラが、スライムに向かって、一歩、踏み出した。
俺は、ソラの足元に、そっと寄り添った。
ソラの足に、体をこすりつけて。
魔力を、ほんの少しだけ、流した。
バフだ。
ソラの体に、力が満ちていく。腕が軽くなり、足が地面をしっかり掴む。剣を握る手に、熱が宿る。
「はっ!」
ソラが、木剣を振り下ろした。
ぱしゃあんっ!
スライムは、水風船のように弾け飛んだ。
一撃だった。
「…………」
ソラは、木剣を握ったまま、ぽかんとしていた。
「えっ……倒せた?」
「倒したな」
ダルガが、目を丸くして呟いた。
「木剣で一発、か」
「はい……? えっと、まぐれです、たぶん」
「まぐれじゃねえよ」
ダルガが、ソラに近づいてきた。
「お前、いい剣筋してるじゃないか」
「え?」
「木剣で、スライムを一撃だ。今の踏み込み、腰の入れ方、剣の軌道。素人のものじゃない」
ダルガは、腕を組んで、ソラをじっと見つめた。
「師匠は、いるのか?」
「えっと、孤児院の、おじいさんです」
「孤児院?」
「はい。用務員のおじいさんで。毎日、稽古をつけてもらってます」
「……そのじいさんの、名前は」
「シリウスさん、です」
ダルガの顔が、ぴたりと固まった。
「……そのじいさん、背が高くて、腰が少し曲がってて。肩幅だけが、やたら広くないか?」
「そう、です。よく知ってますね」
ダルガは、ゆっくりと、魔法使いとミーナを振り返った。
「……おい」
「……ええ」
三人が、顔を見合わせた。
「孤児院の、爺さんだと」
「あの方が……」
「まさか、こんなところにいたなんて」
ソラが、おろおろした顔で三人を見た。
「え? えっと、何か……?」
「ソラ」
ダルガが、ゆっくりと口を開いた。
「シリウスといえば、『鬼の副団長』だ。王国騎士団の副団長を務めていた男だぞ」
……は?
ソラは、口をあんぐり開けた。
俺も、ぽかんと口を開けた。
「え、ええええっ!?」
「二十年前に、突然、騎士団を退いて姿を消した。隠居したとだけ聞いていたが、まさか孤児院にいたとはな。剣の腕は、王国一だと言われていた」
「ただの、用務員のおじいさん、ですよ? 護衛も兼ねてる、ってシスターは言ってましたけど……」
「護衛が鬼の副団長だと? 贅沢すぎる話だ」
「そんな人に、稽古をつけてもらってたのか、お前は!」
ダルガが、頭を抱えた。
「羨ましいぜ、まったく。俺なんかの世代で剣を齧ってる奴はみんな、一度は憧れる大剣豪だよ」
「ただ、木剣を毎日振るだけで……」
「それだけで、こんなに強くなれるわけがねえだろう。シリウスさんが、みっちり基礎を叩き込んでくれたんだ」
ミーナが、目を輝かせて、ソラの肩を叩いた。
「すごいわね、ソラくん! あなた、シリウス副団長の弟子なのよ!」
「そ、そうなんですか……?」
ソラは、まだ呆然としていた。
俺も、呆然としていた。
あの、庭の隅で、いつも木剣を振っていた、腰の曲がった爺さん。
木剣を真っ二つに折られて、「筋がいい」とだけ言っていた、あの爺さん。
王国騎士団の、副団長だったのか。
……そりゃあ、あの落ち着きようも、納得だ。
ソラは、しばらく、自分の手のひらを見つめていた。
それから、ぽつりと言った。
「おれ、帰ったら、シリウスさんに、ちゃんとお礼を言います」
その顔は、少しだけ、誇らしげだった。
俺は、ソラの足元で、静かに尻尾を振った。
*
ダンジョンの探索は、その後も、順調に進んだ。
罠は、ことごとく劣化し、あるいは崩落で壊された。魔物は、ダルガたちが片づけた。ソラは、荷物を運びながら、二匹目のスライムも、木剣で倒した。
もちろん、こっそり、俺がバフをかけたおかげだが。
夕方、探索を終えて、俺たちは、ダンジョンを出た。
「ふう、今日は、楽な探索だったな」
ダルガが、大きく伸びをした。
「罠が、全部ボロボロだったからな」
「運がよかったですね」
空は、もう夕焼けに染まっていた。
帰り道は、長い。街まで、半日歩かなければならない。
俺は、ソラの隣を、とことこと歩いていた。
体力は、MAXだ。全然疲れない。
でも、ミーナが、ふと足を止めて、俺を見下ろした。
「コッペくん、疲れたでしょう? 抱っこしてあげる」
……え?
「ほら、おいで」
ミーナが、両手を広げた。
俺は、ソラのほうを、ちらりと見た。
ソラは、じっとりとした目で、俺を睨んでいた。
……いや、これは、疲れているから、抱っこしてもらうだけで。
犬だから、仕方のないことで。
「きゃん」
俺は、ミーナの腕の中に、ぴょんと飛び込んだ。
抱き上げられた。
背中に、何かが、当たる。
あたたかくて、やわらかい感触が。
歩くたびに。
一歩、歩くたびに。
むにゅ、むにゅ、と。
……。
…………。
四十二歳、悶絶。
俺は、ミーナの腕の中で、ぐでん、と力を抜いた。
世界最高峰の魔力も、最強のステータスも、この背中の感触の前では、無力だった。
「あらあら、気持ちよさそうな顔してる」
ミーナが、くすくす笑いながら、俺を撫でた。
「この子、疲れてたのね」
違う。
疲れてなんかいない。
ただ、この感触を、少しでも長く。
俺は、目を閉じて、あるがままを受け入れた。
道の途中、ソラが、ときどきこちらを睨んでいたが、気にしなかった。
*
街のギルドに着いたころには、日はすっかりと暮れていた。
俺は、ミーナの腕の中で、骨抜きになっていた。
ふにゃふにゃの、ぐにゃぐにゃ。
ソラが、ため息をついて、俺を抱き取った。
「すみません、ミーナさん。うちの犬が、ご迷惑を」
「いいのよ。楽しかった」
ミーナが、にっこり笑った。
「また、一緒に行きましょうね、ソラくん、コッペくん」
ソラは、ぺこりと頭を下げた。
俺は、ぼんやりとした頭で、ミーナに向かって、尻尾を振った。
ダルガが、ソラの前に、小さな革袋を置いた。
「約束の報酬に、少し上乗せしてある。荷物運び、よくやった」
「あ、ありがとうございます!」
「それから、爺さんによろしく言っておいてくれ」
「はい!」
ホールの隅で、他の冒険者たちが、ひそひそと話をしていた。
「あの新人、あの鬼の副団長の弟子らしいぜ」
「マジかよ。それで、あんなに落ち着いてたのか」
「犬連れなのに、意外とやるんだな」
笑い声は、もう聞こえなかった。
受付のお姉さんが、ぱっと顔を上げた。
「おかえりなさい、ソラくん。怪我は、ない?」
「はい、大丈夫です」
「よかった」
お姉さんは、ほっとしたように笑った。
「ダルガさんから、聞いたわ。すごいのね、ソラくん」
「あ、いえ、僕は、まだ、全然」
ソラは、照れくさそうに、頬をかいた。
俺は、ソラの腕の中で、まだぼんやりしていた。
ミーナの余韻が、抜けきっていない。
……危険だ。
あの感触は、危険すぎる。
*
その夜、孤児院に帰ると、シスターが、扉の前で待っていた。
「おかえりなさい、二人とも」
「ただいま、シスター!」
ソラが、報酬の袋を、嬉しそうに差し出した。
「これ、今日の稼ぎです。荷運びの仕事で、ちょっと多めにもらえました」
「まあ、こんなに」
シスターは、目を細めて、ソラの頭を撫でた。
「無事に帰ってきてくれて、本当によかった」
それから、しゃがんで、俺を抱き上げてくれた。
「コッペくんも、お疲れさま」
……。
あたたかい。
石鹸と、乾いた花の匂い。
やわらかくて、安心する腕の中。
ああ。これだ。
俺は、シスターの腕の中で、ふううう、と長い息を吐いた。
ミーナの腕の中も、悪くなかった。悪くなかったどころか、危うく昇天するところだった。
でも、やっぱり。
ここが、いちばん、落ち着く。
俺は、目を閉じて、シスターの胸元に、ぐりぐりと顔を押しつけた。
「あらあら、今日は、甘えん坊ね」
シスターが、くすくす笑った。
……ただいま。
俺の、帰る場所だ。
「そういえば、ソラ、おじいさんが、帰ってくるのを待っていたわ」
「え? おじいさんが?」
「ええ。なんだか、今日は、嬉しそうな顔をしているの」
ソラは、目をぱちぱちさせた。
「行ってみます!」
ソラが、庭に向かって走っていった。
その背中を見送りながら、俺は、シスターの腕の中で、静かに思った。
いい一日だった。
これは、きっと、始まりに過ぎない。
この先、もっと、色んなことが、起こるだろう。
でも、俺は、ずっと、ソラのそばにいる。
……あと、シスターに、ずっと、抱っこしてもらう。
それは、絶対に、譲れない。




