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7/22

7ワン

時は流れてソラとコッペも立派ななったようです

 季節が、何度もめぐった。


 俺は、相変わらず一日四回、シスターに抱っこされている。ソラは、相変わらず毎日、木剣を振っている。ルーナは、相変わらず、僧侶の修行をしている。


 変わったことといえば、ひとつだけ。

 孤児院の財布が、目に見えて寂しくなってきたことだ。


          *


 その夜、俺は、廊下の隅で、シスターの姿を見かけた。

 食堂の灯りの下で、小さな帳簿を広げている。ペンを持ったまま、ため息をついていた。

「……今年の冬は、薪が足りないかもしれないわね」


 独り言だった。


 俺は、廊下の暗がりから、じっとその横顔を見つめていた。

 優しい人だ。いつも笑っているけれど、その笑顔の裏で、たくさんの子どもたちの食事や服や薪を、たった一人で工面している。


 その日の夜更け。

 ソラが、寝台の上で、天井を見つめたまま、ぽつりと言った。

「コッペ。おれ、冒険者になろうと思う」

 俺は、耳をぴんと立てた。

「シスターが、帳簿を見て、困った顔をしてたのを、見ちゃったんだ」

 ソラも、気づいていたのだ。

「おれ、まだ強くないけど。でも、働くことなら、できる。少しでも稼いで、孤児院に返したい」


 窓の外の月明かりが、ソラの横顔を照らしていた。

 少年の顔は、昔よりも、ずっと大人びていた。

 あの日の、路地裏の少年は、いつのまにか、自分よりも他人のことを考える人間になっていた。

 俺は、ソラの胸に、ぐりぐりと顔を押しつけた。

「……止めないでくれる?」

 止めるわけがない。

 お前が決めたことなら、俺は、どこへでもついていく。

「きゃん」

「ありがとう、コッペ」


          *


 翌朝、ソラは、シスターに打ち明けた。

 シスターは、最初は反対した。

「冒険者だなんて。危ないわ」

「わかってます。でも、やらせてください」

「あなたに、何かあったら」

「危ないことは、しません。薬草を摘んだり、荷物を運んだり。そういう仕事から、始めます」


 ソラは、まっすぐな目で、シスターを見つめた。

 シスターは、長いあいだ、黙っていた。

 それから、ふっと、息を吐いた。

「……本当に、頑固なところは、小さい頃から変わらないわね」

「すみません」

「いいのよ。その代わり、必ず、毎日、ここに帰ってくること。約束できる?」

「はい」

「コッペくんも、一緒に行ってあげてね」

 シスターは、俺を見て、微笑んだ。

 俺は、力強く「わん」と吠えた。

 任せてください。ソラは、俺が守ります。


 ……それから、帰ってきたら、また、抱っこを。


          *


 冒険者ギルドは、街の中心にあった。


 三階建ての、大きな石造りの建物。玄関の上には、剣と杖が交差した紋章が掲げられている。中からは、酒と汗と革の匂いが混ざって、扉の隙間から漏れ出していた。

 犬の鼻には、情報量が多すぎた。


 ソラは、ごくり、と唾を飲み込んで、扉を押した。

「……失礼、します」

 広いホールだった。

 壁一面に、依頼書が貼られている。奥には、酒場が併設されていて、昼間から、屈強な男たちが杯を傾けていた。誰もが、鎧や武器を身につけている。


 その視線が、一斉に、こちらを向いた。

「おい、ガキが来たぜ」

「見ろよ、犬連れだ」

「遠足かよ」

 笑い声が起きた。


 ソラは、顔を赤くして、うつむいた。

 俺は、ちらりと、笑った男たちを睨んだ。

 ……覚えておくからな。


          *


 受付のカウンターには、ひとりの女性が座っていた。

 二十代半ばくらいだろうか。栗色の髪を後ろでゆるく結んで、ギルドの制服を着ている。ソラに気づくと、柔らかく微笑んだ。

「いらっしゃい。冒険者の登録ですか?」

 俺の全身に、稲妻が走った。

 いい声だ。

 いい声すぎる。


 気がついたら、俺は、カウンターに前足をかけて、尻尾をぶんぶん振っていた。

「あらあら」


 お姉さんが、身を乗り出して、俺を覗き込んだ。

「可愛いワンちゃん。お名前は?」

「コッペです」

「コッペくん、ね。いい名前」

 撫でられた。


 撫でられた。


 俺は、昇天した。

「こら、コッペ! おとなしくしろ!」

 ソラが、慌てて俺を引き剥がした。

「すみません、うちの犬が」

「いいのよ。大歓迎」

 お姉さんは、くすくす笑って、登録用紙を差し出した。

「ここに、名前と、志望の職種を書いてね」

 ソラは、緊張した手つきで、ペンを取った。


 名前。ソラ。

 職種。剣士。見習い。

 書き終えた用紙を、お姉さんが受け取る。

「はい、確かに。それじゃあ、簡単な測定をしましょうか」


 カウンターの脇から、お姉さんが、透明な石を持ち上げた。

 手のひらに乗るくらいの、丸い石だ。


「この測定石に手を乗せると、その人の力量が、色でわかるの。これで、ランクが決まるのよ」

「わかりました」

 ソラは、深呼吸して、石に手を置いた。

 石は、ぼんやりと、白く光った。

 弱い光だった。ろうそくの火のように、頼りない。


 周りの冒険者たちから、くすくす笑いが漏れた。

「白か」

「最下位じゃねえか」

「まあ、あの見た目だしな」

 ソラの肩が、少し落ちた。


 俺は、そっと、ソラの足に寄り添った。

 気にするな。お前が、弱いなんてことは、ない。

 そのとき、俺の鼻先が、測定石に近づいた。

 石が、ちらっと、瞬いた。

 ほんの一瞬、赤にも青にも見える、不思議な色で。


 ……まずい。


 俺は、ぱっと後ずさった。

 石は、すぐに元の白に戻った。

 誰も、気づいていない。お姉さんは、書類を確認していたし、冒険者たちは、ソラの弱さを笑うのに夢中だった。


 ……危なかった。


 俺は、心臓をどきどきさせながら、尻尾を丸めた。

「はい、これで登録完了です」

 お姉さんが、小さな銅の板を、ソラに手渡した。

 冒険者の登録証だった。


「ソラくん、見習いのランクからスタートね。最初は、薬草採取や荷運びのお仕事から始めてください」

「はい。ありがとうございます」

「がんばってね」


 お姉さんが、優しく笑った。


 その笑顔に、また、俺の尻尾が勝手に振れた。


          *


 ギルドの二階の手すりに、誰かが立っているのに、そのとき、ふと気づいた。

 中年の男だった。恰幅がよくて、口ひげをたくわえている。腕を組んで、階下のホールを見下ろしていた。


 その視線が、ソラを、じっと捉えていた。

 感情を、読んでみる。


 ……面白い。


 なんだ、こいつ。

 興味、というか。値踏み、というか。

 何かを測っているような、気配がした。

 でも、それも一瞬のことだった。男は、すぐに、奥の部屋へ消えていった。


          *


 その日から、ソラの冒険者生活が始まった。

 最初の仕事は、街の外の森での、薬草採取だった。

「えっと……この草が、依頼にある薬草か」

 ソラは、茂みの中にしゃがみこんで、草をかき分けている。


 なかなか見つからない。

 俺は、鼻を地面に近づけて、くんくんと嗅いだ。


 ……あった。


 薬草には、独特の匂いがある。爽やかな、少し苦い匂い。犬の嗅覚にとって、それは、目印のようなものだった。

「わん」

 少し離れた岩陰で、鳴いてみせる。

「コッペ? どうした?」

 ソラが、こちらへ歩いてきた。


 岩陰の草むらに、目当ての薬草が、びっしりと生えていた。

「すごい! コッペ、見つけたのか!」

 俺は、誇らしげに尻尾を振った。

 次の日も、その次の日も、同じことを繰り返した。


 薬草の場所は、鼻でわかる。ドブさらいのときは、詰まっている場所を、匂いで見つける。荷運びのときは、こっそりバフ魔法をかけてソラの負担を減らす。


 ソラは、みるみるうちに、仕事が早くなった。

「ソラくん、今日も早いわね」

 ギルドの受付のお姉さんが、驚いた顔をした。

「え、そうですか?」

「他の新人さんより、二倍は早いわ。コッペ君のおかげかしら?」


 お姉さんは、俺を見て、微笑んだ。

 俺は、澄ました顔で、あくびをした。

 冒険者たちは、相変わらず、ソラのことを笑っていた。

「犬連れの新人だぜ」

「犬に助けてもらってんのか」

「ひでえ話だ」

 ソラは、気にしなかった。

 ただ、黙々と、働き続けた。


          *


 一月ほどたった、ある日の夕暮れ。

 ソラは、孤児院の食堂で、革の小袋を、シスターの前に置いた。

「これ、今月の分です」

 中には、銅貨が、ぎっしり詰まっていた。

 シスターは、目を丸くした。

「こんなに……?」

「薪代にしてください。冬の分、これで足りますか?」


 シスターは、しばらく、小袋を見つめていた。

 それから、ソラの手を、両手で包み込んだ。

「ありがとう、ソラくん。本当に、ありがとう」

 声が、少し震えていた。

 ソラは、照れくさそうに、頭をかいた。

「おれ、これくらいしか、できないから」

 その言葉を聞いて、俺の胸が、じんわりと熱くなった。


 これくらいしか、じゃない。

 お前は、立派だ。


          *


 その夜、ルーナが、ソラを廊下に呼び止めた。

「ソラ」

「なに?」

「無理、してない?」

 ルーナは、腕を組んで、じっとソラを見つめていた。

「ちゃんと、ご飯食べてる? 怪我とか、してない?」

「大丈夫だよ。コッペもいるし」

「……そう」

 ルーナは、少し唇を尖らせた。

「わたしも、いつか、一緒に行けるようになるからね」

「え?」

「なんでもない!」

 ぷい、と顔を背けて、ルーナは、走っていった。

 ソラは、きょとんとした顔で、その背中を見送っていた。

 俺は、ため息をついた。

 ……鈍感なやつだ。


          *


 翌朝、ギルドに顔を出すと、受付のお姉さんが、手招きをした。

「ソラくん、ちょうど良かった。ソラくんにぴったりの依頼が、入ってるの」

 彼女は、一枚の依頼書を、カウンターに置いた。

「荷運びの仕事なんだけど、ちょっと特別で。探索済みの、初級ダンジョンに入るの」


 ダンジョン。

 俺は、耳をぴくりと動かした。

 この街の周りには、昔の戦争で魔族が残していった遺跡がたくさんある。ギルドの冒険者たちは、それを探索して、人間の管轄下に置く仕事をしていた。


 ソラは、依頼書を、じっと見つめた。

「……ダンジョン」

 その声は、少しだけ、緊張していた。

 でも、その目は、まっすぐだった。

「やります」

 俺は、ソラの隣で、静かに、尻尾を振った。

 行こう、ソラ。

 どこへ行っても、俺が、ついている。

 

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