7ワン
時は流れてソラとコッペも立派ななったようです
季節が、何度もめぐった。
俺は、相変わらず一日四回、シスターに抱っこされている。ソラは、相変わらず毎日、木剣を振っている。ルーナは、相変わらず、僧侶の修行をしている。
変わったことといえば、ひとつだけ。
孤児院の財布が、目に見えて寂しくなってきたことだ。
*
その夜、俺は、廊下の隅で、シスターの姿を見かけた。
食堂の灯りの下で、小さな帳簿を広げている。ペンを持ったまま、ため息をついていた。
「……今年の冬は、薪が足りないかもしれないわね」
独り言だった。
俺は、廊下の暗がりから、じっとその横顔を見つめていた。
優しい人だ。いつも笑っているけれど、その笑顔の裏で、たくさんの子どもたちの食事や服や薪を、たった一人で工面している。
その日の夜更け。
ソラが、寝台の上で、天井を見つめたまま、ぽつりと言った。
「コッペ。おれ、冒険者になろうと思う」
俺は、耳をぴんと立てた。
「シスターが、帳簿を見て、困った顔をしてたのを、見ちゃったんだ」
ソラも、気づいていたのだ。
「おれ、まだ強くないけど。でも、働くことなら、できる。少しでも稼いで、孤児院に返したい」
窓の外の月明かりが、ソラの横顔を照らしていた。
少年の顔は、昔よりも、ずっと大人びていた。
あの日の、路地裏の少年は、いつのまにか、自分よりも他人のことを考える人間になっていた。
俺は、ソラの胸に、ぐりぐりと顔を押しつけた。
「……止めないでくれる?」
止めるわけがない。
お前が決めたことなら、俺は、どこへでもついていく。
「きゃん」
「ありがとう、コッペ」
*
翌朝、ソラは、シスターに打ち明けた。
シスターは、最初は反対した。
「冒険者だなんて。危ないわ」
「わかってます。でも、やらせてください」
「あなたに、何かあったら」
「危ないことは、しません。薬草を摘んだり、荷物を運んだり。そういう仕事から、始めます」
ソラは、まっすぐな目で、シスターを見つめた。
シスターは、長いあいだ、黙っていた。
それから、ふっと、息を吐いた。
「……本当に、頑固なところは、小さい頃から変わらないわね」
「すみません」
「いいのよ。その代わり、必ず、毎日、ここに帰ってくること。約束できる?」
「はい」
「コッペくんも、一緒に行ってあげてね」
シスターは、俺を見て、微笑んだ。
俺は、力強く「わん」と吠えた。
任せてください。ソラは、俺が守ります。
……それから、帰ってきたら、また、抱っこを。
*
冒険者ギルドは、街の中心にあった。
三階建ての、大きな石造りの建物。玄関の上には、剣と杖が交差した紋章が掲げられている。中からは、酒と汗と革の匂いが混ざって、扉の隙間から漏れ出していた。
犬の鼻には、情報量が多すぎた。
ソラは、ごくり、と唾を飲み込んで、扉を押した。
「……失礼、します」
広いホールだった。
壁一面に、依頼書が貼られている。奥には、酒場が併設されていて、昼間から、屈強な男たちが杯を傾けていた。誰もが、鎧や武器を身につけている。
その視線が、一斉に、こちらを向いた。
「おい、ガキが来たぜ」
「見ろよ、犬連れだ」
「遠足かよ」
笑い声が起きた。
ソラは、顔を赤くして、うつむいた。
俺は、ちらりと、笑った男たちを睨んだ。
……覚えておくからな。
*
受付のカウンターには、ひとりの女性が座っていた。
二十代半ばくらいだろうか。栗色の髪を後ろでゆるく結んで、ギルドの制服を着ている。ソラに気づくと、柔らかく微笑んだ。
「いらっしゃい。冒険者の登録ですか?」
俺の全身に、稲妻が走った。
いい声だ。
いい声すぎる。
気がついたら、俺は、カウンターに前足をかけて、尻尾をぶんぶん振っていた。
「あらあら」
お姉さんが、身を乗り出して、俺を覗き込んだ。
「可愛いワンちゃん。お名前は?」
「コッペです」
「コッペくん、ね。いい名前」
撫でられた。
撫でられた。
俺は、昇天した。
「こら、コッペ! おとなしくしろ!」
ソラが、慌てて俺を引き剥がした。
「すみません、うちの犬が」
「いいのよ。大歓迎」
お姉さんは、くすくす笑って、登録用紙を差し出した。
「ここに、名前と、志望の職種を書いてね」
ソラは、緊張した手つきで、ペンを取った。
名前。ソラ。
職種。剣士。見習い。
書き終えた用紙を、お姉さんが受け取る。
「はい、確かに。それじゃあ、簡単な測定をしましょうか」
カウンターの脇から、お姉さんが、透明な石を持ち上げた。
手のひらに乗るくらいの、丸い石だ。
「この測定石に手を乗せると、その人の力量が、色でわかるの。これで、ランクが決まるのよ」
「わかりました」
ソラは、深呼吸して、石に手を置いた。
石は、ぼんやりと、白く光った。
弱い光だった。ろうそくの火のように、頼りない。
周りの冒険者たちから、くすくす笑いが漏れた。
「白か」
「最下位じゃねえか」
「まあ、あの見た目だしな」
ソラの肩が、少し落ちた。
俺は、そっと、ソラの足に寄り添った。
気にするな。お前が、弱いなんてことは、ない。
そのとき、俺の鼻先が、測定石に近づいた。
石が、ちらっと、瞬いた。
ほんの一瞬、赤にも青にも見える、不思議な色で。
……まずい。
俺は、ぱっと後ずさった。
石は、すぐに元の白に戻った。
誰も、気づいていない。お姉さんは、書類を確認していたし、冒険者たちは、ソラの弱さを笑うのに夢中だった。
……危なかった。
俺は、心臓をどきどきさせながら、尻尾を丸めた。
「はい、これで登録完了です」
お姉さんが、小さな銅の板を、ソラに手渡した。
冒険者の登録証だった。
「ソラくん、見習いのランクからスタートね。最初は、薬草採取や荷運びのお仕事から始めてください」
「はい。ありがとうございます」
「がんばってね」
お姉さんが、優しく笑った。
その笑顔に、また、俺の尻尾が勝手に振れた。
*
ギルドの二階の手すりに、誰かが立っているのに、そのとき、ふと気づいた。
中年の男だった。恰幅がよくて、口ひげをたくわえている。腕を組んで、階下のホールを見下ろしていた。
その視線が、ソラを、じっと捉えていた。
感情を、読んでみる。
……面白い。
なんだ、こいつ。
興味、というか。値踏み、というか。
何かを測っているような、気配がした。
でも、それも一瞬のことだった。男は、すぐに、奥の部屋へ消えていった。
*
その日から、ソラの冒険者生活が始まった。
最初の仕事は、街の外の森での、薬草採取だった。
「えっと……この草が、依頼にある薬草か」
ソラは、茂みの中にしゃがみこんで、草をかき分けている。
なかなか見つからない。
俺は、鼻を地面に近づけて、くんくんと嗅いだ。
……あった。
薬草には、独特の匂いがある。爽やかな、少し苦い匂い。犬の嗅覚にとって、それは、目印のようなものだった。
「わん」
少し離れた岩陰で、鳴いてみせる。
「コッペ? どうした?」
ソラが、こちらへ歩いてきた。
岩陰の草むらに、目当ての薬草が、びっしりと生えていた。
「すごい! コッペ、見つけたのか!」
俺は、誇らしげに尻尾を振った。
次の日も、その次の日も、同じことを繰り返した。
薬草の場所は、鼻でわかる。ドブさらいのときは、詰まっている場所を、匂いで見つける。荷運びのときは、こっそりバフ魔法をかけてソラの負担を減らす。
ソラは、みるみるうちに、仕事が早くなった。
「ソラくん、今日も早いわね」
ギルドの受付のお姉さんが、驚いた顔をした。
「え、そうですか?」
「他の新人さんより、二倍は早いわ。コッペ君のおかげかしら?」
お姉さんは、俺を見て、微笑んだ。
俺は、澄ました顔で、あくびをした。
冒険者たちは、相変わらず、ソラのことを笑っていた。
「犬連れの新人だぜ」
「犬に助けてもらってんのか」
「ひでえ話だ」
ソラは、気にしなかった。
ただ、黙々と、働き続けた。
*
一月ほどたった、ある日の夕暮れ。
ソラは、孤児院の食堂で、革の小袋を、シスターの前に置いた。
「これ、今月の分です」
中には、銅貨が、ぎっしり詰まっていた。
シスターは、目を丸くした。
「こんなに……?」
「薪代にしてください。冬の分、これで足りますか?」
シスターは、しばらく、小袋を見つめていた。
それから、ソラの手を、両手で包み込んだ。
「ありがとう、ソラくん。本当に、ありがとう」
声が、少し震えていた。
ソラは、照れくさそうに、頭をかいた。
「おれ、これくらいしか、できないから」
その言葉を聞いて、俺の胸が、じんわりと熱くなった。
これくらいしか、じゃない。
お前は、立派だ。
*
その夜、ルーナが、ソラを廊下に呼び止めた。
「ソラ」
「なに?」
「無理、してない?」
ルーナは、腕を組んで、じっとソラを見つめていた。
「ちゃんと、ご飯食べてる? 怪我とか、してない?」
「大丈夫だよ。コッペもいるし」
「……そう」
ルーナは、少し唇を尖らせた。
「わたしも、いつか、一緒に行けるようになるからね」
「え?」
「なんでもない!」
ぷい、と顔を背けて、ルーナは、走っていった。
ソラは、きょとんとした顔で、その背中を見送っていた。
俺は、ため息をついた。
……鈍感なやつだ。
*
翌朝、ギルドに顔を出すと、受付のお姉さんが、手招きをした。
「ソラくん、ちょうど良かった。ソラくんにぴったりの依頼が、入ってるの」
彼女は、一枚の依頼書を、カウンターに置いた。
「荷運びの仕事なんだけど、ちょっと特別で。探索済みの、初級ダンジョンに入るの」
ダンジョン。
俺は、耳をぴくりと動かした。
この街の周りには、昔の戦争で魔族が残していった遺跡がたくさんある。ギルドの冒険者たちは、それを探索して、人間の管轄下に置く仕事をしていた。
ソラは、依頼書を、じっと見つめた。
「……ダンジョン」
その声は、少しだけ、緊張していた。
でも、その目は、まっすぐだった。
「やります」
俺は、ソラの隣で、静かに、尻尾を振った。
行こう、ソラ。
どこへ行っても、俺が、ついている。




