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5ワン

たとえ中身がおじさんでも子犬は暖かい場所で眠るべきです

 修道女に連れられて、俺たちは街の外れへ向かった。

 石畳の道がだんだん細くなり、家の数が減って、代わりに畑と草むらが増えていく。その先に、小さな教会が見えた。


 古い石造りの建物だった。屋根には、色あせた鐘楼。壁には、ところどころ蔦が絡まっている。その隣に、木造の細長い建物が、寄り添うように建っていた。

「あそこが、私たちの家よ」

 修道女は、そう言った。


 ソラは、俺を抱えたまま、足を止めた。

「……あの」

「なあに?」

「おれ、行ったら、コッペと離れなきゃいけませんか」

 声が、震えていた。

 俺は、ソラの腕の中で、その震えを感じていた。


 そうか、と思った。

 この子は、怖いのだ。

 やっと見つけた居場所を、また失うのが。

「おれ、コッペも一緒じゃないと、行きません」

 小さな声で、でも、はっきりと、ソラは言った。


 修道女は、少し驚いた顔をして、それから、ふわりと微笑んだ。

「もちろん、一緒よ」

「……本当に?」

「本当。コッペくん、っていうのね。あなたの大事な友達を、離ればなれにするなんて、そんなひどいこと、しないわ」

 ソラの体から、力がふっと抜けた。

 俺は、ソラの頬に、鼻先をすり寄せた。

 大丈夫だ。俺は、どこにも行かない。


          *


 孤児院の扉を開けると、あたたかい空気が、ふわりと俺たちを包んだ。

 暖炉の火が、ぱちぱちと音を立てている。木の床は、ぴかぴかに磨かれていた。壁には、子どもたちが描いたらしい、へたくそな絵が貼ってある。


 その奥から、たくさんの足音が近づいてきた。

「シスター、おかえりなさい!」

「その子、だあれ?」

「わあ、犬だ!」

 十人ほどの子どもたちが、わっと寄ってきた。

 ソラは、びっくりして固まった。俺も、びっくりした。

 こんなに大勢の人間に囲まれるのは、初めてだった。

 ……いや、前世の子供のころにはあったのかもしれないがもう覚えていない。


「はいはい、みんな。落ち着いて」

 修道女が、両手をぱんぱんと叩いた。

「この子は、ソラくん。それから、犬のコッペくん。今日から、私たちの家族よ。仲良くしてあげてね」

 子どもたちは、口々に「よろしくー!」と叫んだ。

 ソラは、耳まで真っ赤になって、小さく頭を下げた。


          *


 最初に連れて行かれたのは、風呂場だった。

 ソラは、大きなたらいに張られたお湯に、おそるおそる足を入れた。

「あったかい……」

 目を丸くして、ぽつりとつぶやく。

 湯気の向こうで、シスターが、優しくソラの背中を流している。


 俺はといえば、別のたらいに入れられて、若い修道女に体を洗われていた。

「はい、コッペくん。じっとしててね」

 優しい手が、泡をたてながら、俺の身体を隅々まで洗う。

 あったかい。

 いい匂い。

 石鹸と、乾いた花の匂い。

 俺は、たらいの中で、目を細めていた。

 極楽だ。ここは、極楽だ。


「……お前、顔がにやけてるぞ」

 隣のたらいから、ソラがじっとりとした目でこちらを見ていた。

 きゃん、と誤魔化した。


 いや、これは、犬の本能だから。

 仕方のないことだから。


          *


 風呂のあとは、食事の時間だった。

 長いテーブルに、子どもたちが並んで座っている。大きな鍋から、湯気が立ちのぼっていた。

 野菜と豆と、少しの肉が入った、あたたかいスープ。

 ソラの前に、木の椀が置かれた。


 ソラは、じっと椀の中を見つめていた。

「……こんなに、食べていいんですか」

「ええ、お腹いっぱい食べていいのよ。おかわりも、あるからね」


 ソラは、スプーンを持ったまま、動かなかった。

 それから、ぽたり、と椀の中に、雫が落ちた。

 泣いている。

 声も出さずに、ただ、静かに。

 俺は、ソラの足元で、その姿を見上げていた。


 俺の前にも、小さな皿が置かれた。

 スープと、パンの切れ端。

 あたたかい。

 人間の食べ物だ。ちゃんとした、あったかい食事だ。

 俺は、ゆっくりと、それを口に運んだ。

 うまい。

 前世で食べたどんな弁当よりも、今まで食べたどんな食事よりも、うまかった。


          *


 食事のあいだ、ずっと、視線を感じていた。

 

 テーブルの端の席に、ひとりの女の子が座っている。

 ソラより頭一つ分大きい位の背丈だった。栗色の髪を三つ編みにして、大きな目をしている。スプーンを口に運びながら、こっちをじっと見ていた。


 食事が終わると、その子は、ちょこちょこと近づいてきた。

 ソラの前で、腕を組んで立つ。

「あなた、新入り?」

「……うん」

「わたし、ルーナ。ここで、いちばんお姉さんなの」

 えへん、と胸を張る。

 ソラは、ぽかんとした顔をしていた。

「あなた、名前は?」

「……ソラ」

「ソラ。いい名前ね。空みたい」


 ルーナは、にこっと笑った。

 それから、ソラの膝の上にいる俺を、じっと見た。

「その子、噛む?」

「噛まないよ」

「本当に?」

「本当。パンの色をしてるだけ」

「ぱん……?」

 ルーナは、きょとんとした。

 それから、ぷっと吹き出した。

「変なの。でも、確かに、パンの色ね」


 おそるおそる、ルーナは手を伸ばしてきた。

 俺は、彼女の指先に、鼻をちょんと当てた。

「あ……」

 ルーナの目が、まんまるになった。

「あったかい。濡れてる」

「鼻はね、犬は濡れてるんだ」

「そうなんだ。……名前は?」

「コッペ」

「コッペ。よろしくね」


 ルーナは、俺の頭を撫でた。

 小さな、やわらかい手だった。

 俺は、尻尾をぱたぱたと振った。

 ソラに友達ができそうで、嬉しかった。

 もちろん、それ以外の理由は、まったくない。


          *


 夜になった。

 ソラは、生まれて初めて、ちゃんとした寝台で眠った。

 薄い毛布と、藁のマット。それでも、ぼろ布に比べれば、天国のようなものだった。

「コッペ、こっち」

 ソラが、毛布をめくって、俺を招き入れた。

 ぴったりとくっついて、目を閉じる。

「暖かいなあ……」


 その言葉を最後に、ソラは、すぐに寝息を立て始めた。

 俺は、目を開けていた。

 ふと、部屋の隅の暖炉に目をやった。

 火が、消えかけている。赤い炭が、ほんの少しだけ、光っているだけだった。


 この時期の夜は、冷える。朝までに冷え込めば、子どもたちが風邪をひくかもしれない。

 俺は、そっと寝台を抜け出した。

 暖炉の前に座って、じっと炭を見つめる。

 以前にソラを温めたときの感覚を、思い出した。


 魔力を、流す。それだけだがなかなか難しい。

 あのときは、無我夢中だった。今度は、ちゃんと、やってみたい。

 目を閉じた。


 体の奥に、何か、熱いものがある。それは、まるで、静かな湖のようだった。

 その水を、ほんの少しだけ、すくい上げるイメージ。

 前足に、集める。

 ぽう、と、小さな光が灯った。

 温かい光。手のひらほどの、まるい光。

 やった。

 でも、その瞬間、光が、ぱん、と弾けた。

 暖炉の炭が、ぼうっと燃え上がり、火の粉が舞った。

「きゃんっ!?」

 やりすぎた。

 慌てて、魔力を引っ込める。心臓が、どきどきと鳴った。


 火は、ちょうどよい大きさに落ち着いた。

 暖炉の中で、ぱちぱち、と穏やかに燃えている。

 部屋の中が、ふわりと暖かくなった。

「……ふう」

 誰も、起きていない。ソラも、ぐっすり眠っていた。

 まだ、加減が難しい。でも、少しずつ、わかってきた気がした。


 最初は、勝手に流れ出ていた魔力を、今は、少しだけ、自分の意思で動かせる。

 これを、もっと上手くできるようになれば、ソラの役に立てるかもしれない。

 俺は、こっそり寝台に戻って、ソラの隣に潜り込んだ。


          *


 翌朝、食堂で、シスターと見習い修道女やお手伝いさんが首をかしげていた。

「おかしいわね。今朝は、あまり冷えなかったわ」

「暖炉の火が、朝まで消えなかったのよ」

「不思議ねえ」

 俺は、テーブルの下で、素知らぬ顔をしていた。


 シスターが、ふと、しゃがんで、俺を見た。

「コッペくん、あなた、何か知ってる?」

 きゃん、と、鳴いた。

 シスターは、くすっと笑った。

「まあ、いいわ」

 立ち上がって、彼女は、ソラのほうを向いた。

「ソラくん。もし、あなたがよければ、ここで暮らしなさい」

 ソラは、目を見開いた。

「あなたの居場所は、ここにあるわ。コッペくんと一緒に」

 ソラは、唇を噛んだ。

 それから、ぼろぼろと、涙をこぼした。

「……はい。ありがとうございます」

 その声は、小さかった。でも、確かに、届いていた。

 俺は、ソラの足元に、そっと寄り添った。

 これで、ソラは、もう、一人じゃない。

 そう思うと、胸の奥が、じんわりと熱くなった。

 

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