↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/22

4ワン

チワワと少年の運命が少しずつ動き出す

 ソラの朝は、早い。


 空がようやく白み始めるころ、ソラはぼろ布の中からもぞもぞと起き出す。あくびをひとつ、伸びをひとつ。それから、隣で丸まっている俺の頭を、指先でそっと撫でる。

「おはよう、コッペ」

 きゃん、と返す。

 それが、俺たちの一日の始まりだった。


 ソラは、路地裏の水汲み場で顔を洗って、布靴の紐を結び直す。そして、大通りの裏手にある食堂へ向かう。

 皿洗いと、薪割りと、ゴミ出し。店が開く前から閉まったあとまで、ひたすら働く。

 賃金は、ほとんど出ない。その代わり、店の余り物をもらえる。

 それが、この少年の、唯一の収入だった。


          *


「おう、来たか」

 食堂の裏口から顔を出したのは、腕っぷしの太い、無愛想な男だった。店主だ。

「今日は薪が山ほどある。昼までに全部割っとけ」

「はい」

「その犬は?」

「あ、その……拾いました。邪魔はさせません」

 店主は、ぎろり、と俺を見下ろした。


 俺は、ぴたりと姿勢を正して、おすわりした。

 人間の常識を持つ元中年男性として、ここは第一印象が大事だ。

「……ふん。店の前には出すなよ」

 それだけ言って、店主は厨房に戻っていった。

 追い出されなかった。ほっとした。

 ソラが、こそっと笑って、俺の頭を撫でた。

「大丈夫だってさ、コッペ」


          *


 昼間、ソラが働いている間、俺には俺の仕事があった。

 母を、探すことだ。

 あの古い倉庫を、見つけなければならない。屋根に穴のあいた、雨漏りのする、藁の巣のある倉庫。

 犬の足と鼻を使って、街の倉庫を片っ端から回った。港の近くの倉庫。市場の裏の倉庫。使われなくなった穀物倉庫。どこも似ているようで、どこも違った。


 三日目の昼、ようやく、それらしい場所を見つけた。

 屋根に穴が開いて、床板が一枚外れている。雨のあとの匂いが、まだ壁に染みついていた。

 巣は、あった。

 藁と布切れで作られた、あの巣。

 でも、空っぽだった。

 母の匂いが、ほんの少しだけ、藁に残っていた。兄弟たちの匂いも、薄く。


 棚の上を見上げた。あの日、母が兄弟を運んでいった、高い棚。

 誰もいなかった。

 俺は、しばらく、その場に座り込んでいた。

 生きているのか。それとも。わからなかった。


 でも、巣に血の匂いはなかった。荒らされた跡も、なかった。

 誰かが、みんなを連れて、ここを離れたのだ。

 きっと、そうだ。

 俺は、そう信じることにした。

「……絶対、探すからな」

 きゃん、と鳴いて、倉庫をあとにした。


          *


 母探しの合間に、俺は、ソラの手伝いもしていた。

 といっても、大したことはできない。目立つのは、まずい。

 世界最高峰の魔力なんてものを、街中で振り回したら、大騒ぎになる。そのくらいの分別は、四十二歳の中身が持っている。

 だから、こっそりやる。

 薪割りは、ソラにとって重労働だった。斧が重い。薪が硬い。振り下ろすたびに、体がふらつく。


 俺は、薪の山の裏側にまわって、前足で、こっそり薪を叩いた。

 ぽん、ぽん、ぽん。

 ほんの少しだけ、木目に亀裂が入る。

 ソラが斧を振り下ろすと、薪は、面白いように割れた。

「あれ? 今日は、割れやすいな」

 ソラは、首をかしげた。

 俺は、素知らぬ顔で、尻尾を振った。

 野良犬が近づいてきたときは、ちょっとだけ睨む。


 睨まれた野良犬は、なぜか、尻尾を巻いて逃げていく。

 ソラの荷物を運ぶときは、口にくわえて、そっと持ち上げる。

 ちいさな体で、大きな仕事。

 最強のステータスを、こんなことに使っている自分が、少し可笑しかった。


          *


 ただ、ひとつだけ、困ったことがあった。

 店には、店主の奥さんがいた。

 三十歳くらいの、さっぱりとした顔立ちの女性で、ときどき、厨房の手伝いをしていた。優しい声で、「あら、可愛い子ね」と俺に話しかけてくれる。

 優しい声で。

 女性が、俺に、話しかけてくれる。

 これは、いけない。

 気がついたら、俺は、彼女の足元にすり寄って、尻尾をぶんぶん振っていた。

「あらあら、甘えん坊さんね」


 撫でられた。


 撫でられた。


 俺は、幸せだった。

「こら、コッペ。仕事の邪魔しちゃダメだろ」

 ソラが、慌てて俺を抱き上げた。

「すみません、おかみさん」

「いいのよ。犬はいいわねえ。なんだか、癒されるわ」


 奥さんは、にこにこと笑っていた。

 ソラは、俺を抱えたまま、ちょっと怒った顔をしている。

「お前、女の人だと、すぐ寄っていくよな」

 ……バレている。

 俺は、目をそらした。

 犬だから仕方ない。これは、犬の本能だ。そういうことにしておく。


          *


 仕事が終わるころ、店主は、いつも、ソラに包みを渡した。

「ほら、今日の分だ」

 ソラは、深々と頭を下げて、受け取る。


 中身は、パンだ。前の日に売れ残った、硬くなりかけのパンが、ふたつ。

 路地裏の寝床に戻って、ソラは、その包みを開ける。

「今日は、二つあるな。コッペ、はんぶんこにしような」

 そう言って、ソラは、パンを割ろうとする。

 俺は、パンを見た。

 二つとも、真っ黒に焦げていた。

 ……なぜだ。

 前の日も、その前の日も、そうだった。ソラがもらうパンは、いつも、焦げているのだ。


 店主は、なぜか、毎回、いちばん焦げたパンを選んで、ソラに渡している。

 いや、違う。

 運だ。

 運MAX。※方向は保証しません。

 俺の運の悪さが、ソラの運にまで伝染しているのか。

 申し訳ない気持ちになって、耳が垂れた。

 ソラは、そんな俺を見て、けらけらと笑った。

「コッペ、なんでそんな顔してるんだ?」


 焦げたパンの端を、ぽきっと割って、口に入れる。

「香ばしいな。おれ、こういうの、好きだよ」

 嘘だ。

 絶対、嘘だ。

 でも、ソラは、本当に美味しそうに食べていた。


 俺も、焦げたパンにかじりついた。

 苦い。かたい。粉っぽい。

 でも、あたたかかった。


          *


 一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、季節が、ゆっくりと変わっていった。

 朝の空気が、冷たくなった。

 水汲み場の水が、凍りそうなほど冷えた。

 ぼろ布の寝床は、風を防ぎきれなかった。

 ソラは、毎晩、俺を抱きしめて眠った。

「あったかいな、コッペは」

 そう言って、笑ってくれる。


 でも、日に日に、ソラの咳が増えていった。

 こほ、こほ、と乾いた音。

 最初は、朝だけだった。

 それが、昼にも出るようになり、夜には、止まらなくなった。


 その夜は、特に冷え込んだ。

 ソラは、薄い布にくるまって、歯をがちがちと鳴らしていた。

 顔が、赤い。額に、そっと鼻を寄せた。

 熱い。

「……だいじょうぶ、だよ……ちょっと、寒いだけ……」

 大丈夫じゃない。

 絶対に、大丈夫じゃない。


 でも、俺には、何もできない。

 医者を呼ぶことも、薬を買うことも。

 言葉ひとつ、伝えることも。

 ……いや。

 一つだけ、できることがある。

 俺は、ソラの胸の上に、そっと乗った。

 小さな体を丸めて、ソラの体に、ぴったりとくっつく。

 それから、目を閉じて、魔力を、ほんの少しだけ、流した。


 どうやるのかは、知らなかった。

 でも、ソラを温めたい、という気持ちだけで、体が勝手に動いた。

 俺の体から、ほんのりと、あたたかい光が広がっていく。

 ソラの咳が、少しずつ、静かになっていった。

 歯の音も、止まった。

 呼吸が、ゆっくりと、深くなる。

 俺は、朝まで、一睡もしなかった。

 ソラの寝顔を、ずっと見ていた。


          *


 朝になった。

 目を覚ましたソラは、きょとんとした顔で、自分の体を見下ろした。

「あれ……? 咳が、出ない」

 熱も、下がっていた。

「なんでだろう。コッペが、あっためてくれたからかな」

 ソラは、俺を抱き上げて、頬をすり寄せた。

「ありがとうな、コッペ」

 きゃん。


 俺は、とても疲れていたけれど、それでも尻尾を振った。

 ソラは、いつものように、布靴の紐を結び直して、立ち上がる。

「行こうか。今日も、仕事だ」

 路地の入口に向かって、二人で歩き出した。


 そのとき、路地の向こうから、誰かが、こちらを見ていることに気がついた。

 黒い長い服。白い頭巾。胸元には、小さな銀の飾りが揺れている。

 修道女だった。

 二十代の後半くらいだろうか。穏やかで、柔らかい顔立ちの女性だった。

 彼女は、ゆっくりとこちらへ歩いてくると、ソラの前で、静かにしゃがんだ。

「あなた、ずっとここに、一人でいたの?」

 ソラは、びっくりして、俺をぎゅっと抱きしめた。

「……おれ、悪いことは、してません」

「ええ、わかっているわ」

 修道女は、優しく微笑んだ。


 その瞬間、風が吹いて、彼女の匂いが、俺の鼻をくすぐった。

 石鹸と、乾いた花と、焼きたてのパンの匂い。

 俺の鼻が、ひくひくと動いた。

 ……いい匂いだ。

 いや、待て。今は、それどころじゃない。

「その子は、あなたの犬?」

「……はい。おれの、友達です」

「そう」

 修道女は、俺の頭に、そっと手を伸ばした。

 撫でられた。

 俺は、抗えなかった。

「きゃううん」

 自分でも情けなくなるほど、甘えた声が出た。

 修道女が、くすっと笑った。

「あなたたち、二人とも、うちへ来なさい」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。