20ワン
大きな扉を押し開けた瞬間。
凄まじい轟音が、広間いっぱいに響き渡った。
「うおおおおおおおっ!」
女の野太い雄叫び。重たい金属同士が激しくぶつかり合う音が絶え間なく響いていた。
広間の中央で巨大な影が動いている。
鬼のような隆々とした体躯。だが、その頭部は牛のそれだった。太い角。血走った赤い目。三メートルはあろうかというその巨体が、両手にそれぞれ巨大なアックスを握っている。
「あれは魔獣ミノタウルスです。こんなところに潜んでいるなんて!」
珍しく驚きの表情を浮かべるエウロパ。
魔獣の足元で一人の女性が棍棒でアックスを受け止めていた。
赤い髪をボサボサのポニーテールにまとめ、頭には短い二本の角。褐色の肌に汗と土埃がこびりついている。
タンクトップはあちこち裂けていた。腕や足に切り傷がいくつも見える。
でもその目はまだ力強く輝いていた。
「まだまだ届かねぇぞ! てめえ!」
彼女が棍棒を大きく振りかぶった。
「今度こそ、その斧をぶっ壊してやるぜ、喰らえ! 報武乱!」
ミノタウルスの右のアックスがそれを受け止めつつ、圧倒的な力で押し返す。
鈍い、金属音。
女性が体ごと弾き飛ばされて地面を転がった。
「ぐっ……!」
「大丈夫ですか!?」
ソラが思わず、駆け寄った。
その声に女性が初めてこちらに気づいた。
「……あんたたち」
肩で息をしながら女性は目を見開いた。
「まさか、来てくれたのか」
「ギルドの依頼で援護に来ました」
「そりゃあ助かる」
女性が素早く立ち上がりながら、満面の笑みを浮かべた。
「もう、半日以上戦ってるって」
「ああ、そうだ。馬鹿みたいに硬ぇし、見た目よりも動きが早い。腕力も半端ねぇ」
女性はニヤリと笑った。
顔中傷だらけなのにその笑みには余裕があった。
ルーナが駆け寄って回復魔法を唱えると、さっと手で静止した。
「かすり傷だ。スタミナが半分削れただけさ」
半日以上、戦ってかすり傷。スタミナ半分。
……この人、化け物か。
俺は感心とも呆れともつかない気持ちで女性を見上げた。
「剣士に僧侶に魔法使い、それと犬か」
「はい」
ソラが勇者の剣を抜いた。
「手伝います」
「攻撃の手数が足りなくて困ってたんだ。ガンガン攻めてくれ」
女性は棍棒を握り直した。
「アルティだ。よろしくな」
*
「うおおおおおおん!」
ミノタウルスの咆哮が遺跡全体を揺らした。
両手のアックスを振り上げてこちらへ迫ってくる。
「ばらけろ!」
アルティの鋭い声を合図に全員が、四方に散った。
アックスが地面を叩き割る。土埃が舞い上がった。
「馬鹿力な上に見た目よりも俊敏ですね……」
エウロパが目を細めた。
「エウロパ、魔法の詠唱、間に合う?」
「反応速度が早いので、強力な魔法を使うには少々部が悪いかもしれません。詠唱の短い低火力の魔法ではダメージが期待できないです」
「なら、わたしが時間稼ぐよ! エウロパは女神様の結界の中へ!」
ルーナはロッドを床に突き立てると、弾かれるように飛び出していった。そしてロッドを中心に守護領域が淡い光の輪となって広がった。
「はあっ!」
振り下ろされたアックスをひらりと避けるとミノタウルスの脚部に拳を叩き込んだ。
巨体がわずかによろめく。
でも、それだけだった。
ミノタウルスは疲れを知らないかのように再び、アックスを振り上げた。
アルティが棍棒で一振りを受け止める。
「坊主、もう一本もアタイが受け止めるから奴の片手を落としてくれ!」
「はいっ!」
「来やがれ牛野郎!」
アルティの挑発に簡単に乗るミノタウルスはもう一本のアックスをアルティ目掛けて振り下ろした。
その時、アルティは背中に背負ったもう一本の棍棒を左手で構えてアックスを受け止めた。
「はあっ!」
アルティの背後から飛び出したソラがミノタウルスの右肘を切りつけた。が、防御壁がソラの斬撃を弾いた。
「硬い!」
「皆さん、下がってください」
エウロパのその一言を合図にソラ達は四方に散会した。
「炎撃魔法」
ミノタウルスの足元から巨大な火柱が立ち上がった。
「やったか?」
ソラが剣を構えながらそう漏らした。
いや、奴の気配は変わらずにそこにある。
*
俺は少し離れた場所からその戦いを見つめていた。
おかしい。
強力な炎撃魔法を喰らっても傷一つなく、半日以上戦い続けてアックスの勢いがまったく衰えていない。
どんな屈強な魔獣だろうと体力には限りがあるはずだ。
……いや。
あるはずだ、というのは俺の前世の常識だ。
この世界には、魔力という別のエネルギーがある。
もし、あのミノタウルスに外部から絶えず魔力が供給されているのだとしたら。
スタミナが尽きないことにも説明がつく。
俺は目を閉じた。
自分の中の湖のような魔力の感覚を大きく広げていく。
このダンジョン全体に誰にも気づかれないように。
感覚を遠くまで伸ばしていく。
石の壁。冷たい地下水の流れ。古い鉱脈の気配。
そして。
……あった。
この遺跡の反対側。もう一つの最奥に。
大きな魔力の塊だ。脈打つように力を放ち続けている何か。
間違いない、あれが供給源だ。
俺はちらりと戦況を確認した。
確かに奴に対して致命傷を与えるには至っていない。が、こちらも致命傷を受けるほど集中力が低下している訳ではない。体力もまだ残っている。
戦況が動くにはまだしばらくはかかりそうだ。
誰も俺がいなくなったことには気づかない。
俺は静かに身を翻し、音もなく広間を後にした。
*
通路は思ったより長かった。
入り組んだ道を迷わず駆け抜ける。魔力の気配を頼りにまっすぐ進んでいく。
やがて開けた小さな広間に出た。
中央の台座に拳大の赤黒い石が埋め込まれていた。
脈動するように光を放っている。
魔石だ。
でもその手前に一体の影が立っていた。
魔獣ミノタウルス。
牛の頭を持つ体躯だが先程の個体よりは一回り小柄だった。
しかし、その体から溢れる魔力の量に俺は思わず身構えた。
……こいつ小柄なくせにとんでもない魔力量だ。
番人。
あの魔石を守るために置かれた番人だ。
*
ミノタウルスがこちらに気づいて雄叫びを上げた。
一本の大きな戦斧を構える。
俺は周囲を素早く確認した。
誰もいない。
見ている者は誰もいない。
……よし。
なら遠慮はいらない。
俺は静かに体の中の湖を解き放った。
これまで抑え続けてきた世界最高峰の魔力を制限なしで、全力で。
地面が軋んだ。
俺の小さなチワワの体にステータスMAXの力が溢れる。
ミノタウルスが戦斧を振り下ろすその瞬間、俺は地を蹴った。
その動きはもう犬のものではなかった。
弾丸のようにミノタウルスの懐へ飛び込む。
「――っ」
体当たり。
ただの体当たり。ちょっとばかし音速を超えただけの体当たり。
そこに込められた力はミノタウルスを絶命させるには十分すぎた。
大気の壁をぶち破った際に生じる衝撃波が広間の壁を粉砕した。
そして強烈な爆音が遺跡全体を揺らした。
ミノタウルスの巨体が後方の台座ごと吹き飛んだ。
赤黒い魔石が粉々に砕け散る。
破片が光の粒となって、宙に舞い消えていった。
ミノタウルスは壁に叩きつけられたまま崩れ落ちて動かなくなった。
俺は砂埃の中で静かに着地した。
……よし。これで供給源は断てた。
俺は体についた埃をぶるぶるっと払って、何事もなかったかのようにソラたちのいる広間へ駆け戻った。
*
広間に戻るとソラたちはまだ、ミノタウルスと対峙していた。
でも、その様子が少し違っていた。
「こいつ……やっとこさバテてきやがった!?」
アルティが驚いた声を上げた。
ミノタウルスのアックスが、明らかに鈍くなっていた。
膝がかすかに震えている。
俺はソラの足元に何食わぬ顔で戻った。
「コッペ、どこ行ってたんだ?」
ソラがこちらを見た。
「きゃん」
澄ました顔で答えた。
……ちょっと、そこまで。本気の体当たりをしに。
ミノタウルスの動きがさらに鈍っていく。
「今だ! 一気にたたみかけるぞ!」
アルティが叫んだ。




